夢か現か幻か | ナノ
Absinthium
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街明かりが少し乏しいここは、江戸の真ん中よりもちょっとだけ星がよく見える。それでも数えられそうな程度しかない。空を見上げて星を数え、地に満ちる喧騒に引き戻された。

白夜叉をパトカーに押し込み、そして問答を繰り広げているのを、他人事のように眺める。

「つーかすみれ先生いつまで男装してるんだよ!!それはそれで銀さんちょっとキテるけど!!」
「たまにはベリーショートもいいですね。スッキリしてます」
「ガキにしか見えねェけどな」

身長も低いし、男にしては華奢だし、子供にしか見えないのは自分がよくわかっている。そんなに変かなと髪の毛をいじっていると、また話が変わっていた。

「今回の件は全て自分の責任っス」
「いやちょっと待ってそーいう流れにしたいんじゃないんだけど!!」
「自分……みんなに……副長に元攘夷浪士である事がしれるのが怖くて……そのせいで……みんなにこんなに迷惑かけて」

鉄は心を痛めていた。土方さんの事情、その深いところを知らずに、ものを言ってしまった事を。そして、預かった手紙を、土方さんのお兄さんにも、鉄の兄にさえも、届けられなかったことを。

でも、きっと、土方さんなら、こう言うと思うのだ。

「届かなかったんならもう一度だせばいいさ」と。

……やっぱり。

「約束しただろう。俺より強くなるって。今度はてめーの番だろーが。確かにてめーの兄貴には、届かねェかもしれねェ。――だがな、少なくとも、お前と同じ、このロクでもねェアニキどもと、このちんちくりんのアネキには、きっと届くさ」
「ああ……字が読めるかどうかは保証しねーが」

近藤さんの言葉に、黒い集団がどっと笑いに湧いた。鉄は泣きそうになるのを、ぐっとこらえてそれを見ている。

「……鉄」

改めて鉄の名前を呼ぶ土方さんの声は、どこか力が弱い。いつもの迫力がないというか。力強い光を宿していた目の光は弱く、焦点が微妙にあっていない。そもそも、遠い街明かりが照らしている顔色がめちゃくちゃ悪い。服着替えてるから忘れそうになっていたけど、この人、大怪我してた。

なんでこんな状態でも暴れたり煙草吸ったりしてたんだよこの人は!!これ以上身体痛めつけて何がしたいんだ!?

「てめーの手紙……おれ達はいつでも待ってる事を……忘れん……な……」

地面に受け身も取らず倒れ込む身体を、すんでのところで受け止めた。あのまま倒れてたら鼻の骨くらいは折れてしまっていたかもしれなかった。

「副長!!」

身体は夜風に当たっていた事を加味してもかなり冷たい。血圧も降下気味。一方脈拍は速い。……典型的な出血性ショックだ。

「オイトシ!?トシぃぃぃ」
「今から搬送する!あとAのRh+の隊士はなるべく献血頼みます!」

幸いベッドは一つ開けるように言ってある。多発外傷だけど、どの処置もそう難しいものじゃない。うろたえる近藤さんが思うよりは状態はいい。あとは時間との勝負だ。

「私が運びますね」
「えええ……」
「お、すみれ先生、ちょっと写真撮らせてくだせェ。お姫様が抱っことかネタにしかならねェ」
「時間無いから勝手に撮って!」

土方さんを横抱きにして、ため息をついた。彼に意識があれば死んでも拒絶しただろうけど、このくらいやった方が、次は無茶しないだろう。

パトカーに乗り込み、服を裂いて止血をやり直し、静脈路を確保して、点滴を落としていく。保温もやってる。これでやれる事はやった。後は手術室だ。

「先生!!トシは!!トシは大丈夫か!?」
「全力は尽くします」

体温を少しでも分けたくて、冷たい頬に手を当てる。普段ならば、血の巡りの良さを伝えてくれるぬくもりが、今は弱い。それに泣いてしまいそうになるのを、根性でこらえた。

事件は解決をみたけれど。あたしの戦場はあの廃ビルだけではなかったようだ。

*

土方さんが何度目だかの怪我をしてからしばらく。彼は流石の頑丈さと言うべきか、あれだけやられておいて、すぐさま回復した。とはいえ、万全とは行かないのでもうしばらくは病棟に預かってもらうつもりだ。

さて、あの人はちゃんと寝ているだろうか。煙草を吸ったりはしてないだろうか。入院中くらいはマヨネーズ控えてくれてるといいんだけど。

色々思いながら、お見舞いに買ったフルーツのかごを抱えて、病院の廊下を歩く。

一応非常勤としてこの病院に出入りしているから、顔を知っている患者さんは顔を知っていて、何人かが声をかけてくれた。

「あ!!ひときりセンセーだー!!」
「真選組の人斬り先生ぇーこんにちはー!」
「こんにちは」

……なぜか伊坂さんが呼んでいたあだ名の『人斬り先生』が、みんなの耳に残ってしまったのか、あたしを知っている患者さんはだいたいこのあだ名で呼んでくるようになってしまった。彼がガンで亡くなっても尚、このあだ名は消えないようだ。

まあ、あたしから警察手帳を引っ剥がせばタダの人斬りであるのは紛れもない事実だし、いいんだけども。

「あら、人斬り先生も、今日はお見舞い?」
「はい。副長が入院中なので」
「副長さんも、こんなかわいい女の子がお見舞いに来てくれるだなんて、幸せものね」
「ははは……」

終いには、こんな風に患者さんのご家族にまで人斬り先生呼ばわりされてしまっている。しかし、そう呼ぶ人の誰もが、あたしを怖がるでもなく、蔑むのでもなく、ただただ親愛を込めて呼んでいる。それが不思議といえば、不思議だった。

「理央ちゃんはお元気ですか?」
「ええ、最近はすっかり良くなって。もうじき退院なのよ」
「それはよかったです」
「でもね、ウチの理央と同じ部屋の子がね……」
「確か、加納さんでしたか」
「ええ……おかわいそうに……」

演技でもなんでもなく、他人の子供の死に心底胸を痛めている様子のこの人は、きっと優しい人なのだろう。その温かい心に、真選組の大将を思い出した。そして、今入院している大将の盟友の顔も。

「あら、ごめんなさい。こんな時間だわ。旦那にご飯を作らなくちゃ。引き止めてしまって、ごめんなさい」
「いえいえ。お大事に」

一礼して病室に急ぐ。面会時間には余裕がある。だけど、今はなんとなく、土方さんの顔が早く見たかった。

「失礼します」
「すみれか」
「はい。お見舞いです……あれ、手紙、ですか?」
「ああ。悪いな、散らかってて」

落ちている紙飛行機を手にとって、ベッドサイドテーブルに戻すと、小さくお礼を言われた。

ベッドに寝転がる姿勢から、腹筋で体を起こした土方さんは元気そうだ。もう輸液が必要ないなんて、本当に頑丈だな、この人は。顔色もいい。まあ、経過は順調と聞いていたから心配はしてなかった。

土方さんのいない日々を思い出す。屯所にいつもの怒号が欠けているのは、なんだか変な気分だった。まだ、もう少しだけ土方さんのいない屯所は続きそうだ。

真っ白い紙に、目が吸い寄せられる。しばらく放置されていたのか、筆先の乾いた小筆にも。……もしかして、この紙飛行機に触発されてなにか書こうとしたけれど、結局何も思い浮かばなかったりしたんだろうか。

「一番伝えたい人には、何も思い浮かびませんか」
「……お前の元カノを笑えねェな」
「あら、見廻組局長にはあんな立派な文章書いたのに」
「それとこれとは話が別だ」

何も浮かばない人に無理やり書かせるのは本意ではない。別の話題に変えようか。

「果物を持ってきたのですが、何になさいますか?」
「林檎くれ」
「分かりました。うさぎさんにしますか?」
「好きにしろ」
「はーい」

林檎をくし切りにして芯を取り、皮をVの字にカットして。うさぎさんの完成だ。自分ができるのはあくまで家庭料理で、芸術じみた包丁さばきはできないけれど、食べる分には十分だろう。

持ってきた楊枝を刺して、土方さんの口元に林檎を持っていく。

「はい、どうぞ」
「……ああ」

土方さんはためらいがちに口を開いて、その割には林檎を一口で食べた。しゃくしゃくとみずみずしい音がこちらにまで聞こえてくる。

「おいしいですか?」
「ああ」
「それはよかった」
「なあ、マヨネーズは」
「入院中は控えてください。衛生隊長からのお願いです」
「……煙草を取り上げられ、その上マヨネーズまで取り上げるたァ、俺ァ何を支えにして入院生活を送りゃいいんだ」

魂の拠り所がないのがよっぽど堪えているのか、土方さんは初めて見る表情を見せた。眉尻を下げて、ほんの少し悲しげに目を細め、そして口角は頼りなく下がる。

プライドの高い土方さんのその表情は、あたしに罪悪感を抱かせるには十分だった。……いやいや、絆されないぞ。なんか耳を垂れさせて飼い主の許しを請う大型犬っぽいなとか思ったけど、騙されないぞぅ!

この男の中身はイヌはイヌでも、犬小屋で買われるような犬じゃなくて、首輪も鎖も引きちぎって山を駆ける野犬だ。とても飼い慣らせる気性じゃない。……近藤さんは飼い慣らしてるというか、同族の力というか。

「ダメなものはダメです。怪我人に煙草はご法度だし、運動量もびっくりするぐらい減ってるんですから、マヨネーズなんてすすってたらあっという間に肥えちゃいます!」

視線がぶつかり合う。いつもなら殺気混じりのガンを飛ばしてきても不思議じゃないのに、今回ばかりはそうしないらしい。彼はあたしの弱い部分を押すような表情のまま、あたしの目をじっと見ている。なんだかあたしが悪い事してる気分!

かくなる上は自己の正当化を図るしか。

「無茶して色んな人を心配させた罰です!!近藤さんなんてずーーっと『トシ!』って名前呼んでたんですから!」
「それはもう反省した」
「じゃあ、同じ状況になっても無茶しませんか?」
「………………」
「約束できないのなら、マヨネーズも煙草もお預けですっ」
「クソ……」

土方さんは小さく悪態をついた。でも許しませんから。

もう一回話を変えてしまおう。

ぴらりと一枚の印画紙を彼の前に掲げた。最初目を点にしていた土方さんだけど、徐々に顔つきが険しくなっていく。そりゃそうだ。この印画紙の銀塩が描いているのは、今入院する原因になった傷を負った時の土方さんの姿だ。もっというと、ベリーショートのあたしにお姫様抱っこされる土方さんの姿が写真に撮られている。ちなみにネガは未だに沖田さんの手元にある。

「総悟か。……妙な写真撮りやがって」
「すみません」
「つーかお前こうなるって分かっててこの抱え方したろ!?」
「なんの事でしょう」

土方さんの言葉は正解だ。そもそも土方さんは背中を怪我していた。だから、本来なら背中に触れるこの抱え方をするのはよろしくないのだ。一応傷に障らないようには抱えたけれども。

「これに懲りたら、少しは無茶するのやめてくださいね」
「ったく、やってくれるぜ」

とりあえず煙草とマヨネーズの話題からは逃れられたらしい。

もう倒れるまで無茶しないという約束は取り付けられなかったものの、少しは無理しない事を意識してくれれば嬉しい。

二つ目の林檎に楊枝を突き立て、土方さんの口元に持っていった。
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