バイクを走らせて、沖田さんの目撃証言を辿った結果、赤いチャイナ服の少女と共に、浪士共に囲まれて廃ビル街に連れて行かれたとの事だった。天人の資本が入り、開発が行われたものの、諸般の事情で打ち捨てられたエリアだ。確かにあの辺ならば浪士の隠れ家にはうってつけだろう。ガセだったりハズレの可能性はあるけれど、一応土方さんへの報告を済ませて現場に急行した。
風を斬り裂いて目的地にたどり着いた頃には、夜の帳が下りていた。電気が一切通ってないせいか、あたりは真っ暗だ。闇に目を慣らすべく、糸のように目を細めてみたけれど、今のところは効果が薄そうだ。それにしても、弱った。ここ、かなり広い。とりあえず高い所に登って周辺を確認してみる……?
兎にも角にも一歩踏み出さなければ沖田さん達は見つけられない。あたしはデタラメに歩き出した。
暗い街を走りながら、話し声が聞こえやしないか、耳をすませる。幸い、周辺は静かでだだっ広いため、ちょっとの音でもよく響くのが救いだ。地面に耳をつけて感覚器全てを研ぎ澄ませる。かすかに数人の話し声が夜闇の静寂を妨げている。多分、こっちかな。
そしてとあるビルの近くにたどり着いたちょうどその時、わっと大勢が騒ぐ音が廃墟の壁を反響した。自分が向かっている方向だ。釣り針にかかった感触がした気分で指を鳴らす。
「ビンゴ!!」
廃墟のコンクリートの地面を蹴りながら、携帯で土方さんへ連絡を入れる。大まかな場所を伝えると、すぐに行くという言葉があった。既に出動しているので割合近くにいると言っていたけれど、土方さん達の現着にはまだ時間がかかるだろう。でもあっちの戦いはもう始まってる。彼らの到着まで自分がなすべき事は――。
「沖田さんの援護!」
沖田さんは真選組最強の剣士だ。ならば一対多だろうと、そうそう死にはしないだろう。でも、今回は少しだけ話が違ってくる。相手は恐らく六角屋の娘さんを人質にとった。ろくに動けない状況でもおかしくない。手足を縛られた状態では百戦錬磨の一番隊隊長でも厳しかろう。
都会の雑多な明かりの遠い空の下。暗闇をひた走る。こんな時に、思い出すのはやっぱり、手の届かなかった大切な人達で。あの時ああしなければ、逆にああしていれば。ずっとそんな事を考えて生きてきた。過去は取り返せない。他ならぬ自分が悪縁を結んだ事実も、誰一人護れなかった事実も永遠に消えない。けれど、過ちを踏まえた上で、同じ事が起きないようにはできる。今度ばかりは、手が届いてほしい。沖田さんに、あたしと同じ思いをさせたくない。
闇夜を切り裂く銃声が、崩れた壁の間を縫って鼓膜を震わせた。沖田さんは銃を持たない。神楽ちゃんの仕込み番傘かな。いや、彼女達の手の届く場所に、彼女らの慣れ親しんだ得物があるとは考えがたい。敵のものだろう。
足に無茶を聞かせて、建物の残骸の合間を全力で駆け抜ける。今ここで無理をせずに、どこで無理をするというのか。
いくつもの崩れた建物をくぐって、求める声を探し続ける。そうして走り続けた先に、見慣れた赤いチャイナ服が見えた。間違いなく神楽ちゃんだろう。
そして、よたよたと歩くその後ろ、彼女と彼女が肩を貸す短髪の少女の後方。無防備な背中に、襲いかかる男達がいた。
「神楽ちゃん!」
歯を食いしばって、がむしゃらに足を動かして、飛び出す。彼女の背中に、白刃が覆いかぶさる、その寸前、かろうじて届いたあたしの剣が、男達を斬り裂いた。飛び上がっていた男達が、目的を達する事なく地面に倒れ、血の雨がねずみ色の地面を濡らした。血振りをして、追い越した人影を振り返ると、脚を怪我した神楽ちゃんと、彼女に肩を借りた少女がいた。この人は、六角屋の娘さんだろうか。急に止まったせいか、喉から心臓が飛び出しそうだ。
「先生!」
「間に合って、よかった」
「大丈夫アルか」
「……煙草、やめようかな」
「しっかりしろヨ」
「あなたの処置は必要ですか」
「私、夜兎ネ。地球人よりちょっぴ頑丈。このくらいなら、寝たら治るヨ。だから、先生はあっち、あのアホのところ行ってやれヨ」
「……多分、隊士達がすぐ近くまで来ています。彼らに助けを求めて」
「いいからさっさと行くアル、先生」
「恩に着ます」
肺腑の底から、空気を全て絞り出して、また吸って。そうして、また、夜の闇へと駆け出した。
走るにつれて、さっきまでは遠雷のようにしか聞こえなかった男達の怒号が近づいてきた。
銃声、追い打ちをかけるような二重奏。場所は近い。地面を精一杯蹴って、少しだけ残ったコンクリートの壁を飛び越えて、その先にいるライフルを構えた男に、愛用の刀を投げ刺した。あーあ。拵が外れかけてるだろうから、後でアレ回収して修理に持ってかないと。納める刃に手が届かない今では文字通り無用の長物の鞘を投げ捨てた。
「お祭りに呼んでくれないなんて水臭いですよ、沖田さん」
「本当に、犬みたいな嗅覚してますねィ、すみれさんは」
「土方さんになんか知らんかって呼び出されたくらいなんですから、付き合いが長ければ分かりますよ」
「……土方の野郎も気付いちまってたのか」
「誰かしらがチクったみたいですね。せっかく黙っててあげたのに」
手近な浪士の死体から刀を剥ぎ取って、脇に構える。新手の登場に、創界党の頭目らしき男は顔を歪めた。
「小娘一人増えたところで、大した事はないわ。畳み掛けておしまいなさい!!」
「――そらァどうかねェ、」
男の声に従い剣先を持ち上げこちらに突っ込んできた男の胸を斬る。必死の形相で突きの構えのまま懐に飛び込もうとする男の首に、切っ先を突き立てる。隣の男は脚を撃たれても尚、衰える事のない剣の冴えで、あたし達の敵を斬り伏せていた。
「この女、誰かを護ろうとする執着だけは人一倍だぜ」
「おだてても処置の痛さは変わりませんから」
「相手はたった二人よ!怯むな!」
寄せては返す波のように何度も何度も、浪士の群れが我々の背後のコンクリートの開口部めがけて殺到し、あたし達はそれを斬る。血の雨が降っては止んでを繰り返す。沖田さんもあたしも、雑魚相手に斬られはしない。だけど、確実に疲労が溜まっていた。沖田さんは脚に銃創、他にも激戦を物語るようなかすり傷多数。こっちもこっちで高速走行に向かないバイクを無理やり走らせ、更には暗い廃墟街を全力で走り抜け、その上この連戦。そろそろ休憩したい。
「ムダだっつってんのがわかんねーのか。俺ァ、俺達ゃ死んでもココから動かねーぜィ」
不敵に笑う顔は、普段の飄々とした読めない表情を覆い隠していた。笑みの向こうに並々ならぬ決意と信念が覗いている。
合間に大きく息をついて、乱れた息を整える。呼吸を読まれる事は、剣筋を読まれるのと同義だ。落ち着こうとした深呼吸も効果は薄く、まだ息は弾んでいる。息が乱れているのは沖田さんも同じだ。ズボンが吸いきれなかった沖田さんの血がポタポタと地面に垂れている。脚の銃創、早いうちに塞いであげないと。そのためにはまず敵の処理が必須だ。でも正直、キツい。昨日は眠りが浅かったんだ。
「……決めた。禁煙する」
「無理だろ、ファザコン……くるぜ」
「おう」
沖田さんの太刀筋は、彼の殻に入っていたからよく知っている。実は彼の剣は未だに自分の中に染み付いて離れてくれないのだから。……自分の体格では、沖田さんの太刀筋は使えないから封印しているけれども。
右脇から左肩にかけて袈裟斬り。男の体を貫いた刀で更に後ろの男を串刺しにする。男達から引き抜いて、その勢いのままに左の男を斬り、返す刀で正面の男の命を断つ。
何人斬ったのか。
数えるのも嫌になるくらいずっと、人を斬っていた。きっと一時間も戦っていないはずなのに、何日も戦っていたような。頬に付いた生ぬるい液体を拭う暇すらない。流石の沖田さんも取り繕う余裕をなくしているのか、今にも膝を折りそうな頼りな気な脚を、地面に突き立てた剣で支えている。沖田さんもそろそろ限界に近づいてきているらしい。
「コイツぁちょいとヤベーか。斬っても斬っても、一向に数が減らねェ」
しかしこっちはそんな状況なのに、この期に及んでもまだ戦力があったのか、男の手駒はまだ増えているように……あれ、あの見慣れた白髪と間延びした顔は。思わず完全に脱力して、剣先を完全におろしてしまった。それを見た沖田さんは静かに笑った。
「すみれさんでも流石に無理か。むしろ増えたようにすら見えてきやがったもんなァ。……へへ、いよいよ疲労で視覚もおかしくなってきやがっ……」
沖田さんも同じ様に男の後ろの集団に目を凝らして、それから白けたように戦闘態勢を解いた。これを好機と見た頭目の男は、残った仲間に、突撃を命令した。……しかし、その声に従うものは誰もいない。
そりゃあそうだ。だって、後ろに雁首揃えて並んでる輩は全員、沖田さんの味方なんだから。神山さんをはじめとする真選組の平隊士、そして昔の殿様のように髷の先を逆立てた茶筅髷の新八くん、さらにわざとらしい付け髭の旦那。しまいには不機嫌全開の着流し姿で浪士の背中を踏みつける土方さんに、腕を組んで局長の威厳を発揮する近藤さんまでいる。
味方だと思ったら全員敵でしたという状況に周章狼狽する男。沖田さんはそれを横目で見つつ、殺気混じりの視線をあたしに向けた。
「土方にチクったか?」
「さっきも言ったでしょ。あたしは土方さんに事情を聞かれた側だって」
「……」
この場所を教えた事を白状すれば確実に殺されるので、黙っておく。
あたしは怒気が蜃気楼のように立ち上り、光を曲げるのをはじめて見た。沖田さん、割とマジでキレてるなこれ。大方、山崎さんあたりが密告、いや職務を全うしたんだろうけど、お気の毒さまに。沈む船から逃げ惑うネズミのように、男は集団の反対側、沖田さんとあたしに向けて走り出す。
「なんでっ!!なんでこんな事に!!」
「ホント、なんでこんな事になっちまったんだ」
腰を落として構えた沖田さんは、自分が最悪の方向に走っていた事にやっと気がついた男を、手にした刀で打ち上げた。
「ホームラン」と、小さく呟いたのが、沖田さんに気づかれなかったのが幸いだ。
*
六角事件が真の終結を迎えてからしばらく。沖田さんは脚の療養という名目で屯所内で謹慎させられ、一番隊の書斎に山と積まれた書類と戦っている。デスクワークが大っ嫌いな彼の事だ。多分死にそうな顔で片付けているんだろうな。もしかしたら、退屈な仕事に耐えかねて見廻りがてら脱走しているかも。
もう一つの仕事場に行くべく屯所の廊下を歩いていると、案の定外にいたらしい沖田さんとすれ違った。でも彼の顔は苦手な仕事をずっとしていた割には、活力があるように見える。ケーキの箱なんてぶら下げちゃってるし。大方中身はタバスコトッピングされたケーキだろう。
「あ、沖田さん。お疲れさまです」
「すみれさんはこれから大江戸病院かィ。よくそんなに働けるな」
「このくらいしかできませんから。ところで沖田さん、何かいい事がありました?」
「……さァてねィ」
いつも通りの飄々とした顔で、板張りの床を踏みしめる沖田さんの背中を見送った。
いい事があったみたいで、よかった。
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