夢か現か幻か | ナノ
Confinement part.1
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朝の冷たい風が駆け抜ける縁側を歩いていると、ある女中さんとばったり出くわした。彼女達はこの屯所を裏で支えている女性達で、主な仕事は食事の手配や、男所帯だけでは手が回らない場所の清掃等だった。彼女は、親戚の伝手で入ってきた若い方だ。確か名前は御代志さん。

この人、土方さんにお熱らしく、彼(のガワを被ったトッシー)と付き合っていた吉野さんをいびってるとか聞いた。会話をするような関係でもないので軽く会釈をすると、それが気に食わなかったのか、すれ違いざまにボソリと何かを言われた。どうせ言われて気分のいい内容ではないだろうから、聞き返さない。そのまま行き過ぎようとしたら、心底呼びたくなさそうに名前を呼ばれた。呼びたくないんなら呼ばなかったらいいんじゃないですかね。

「ちょっと来て」

何かあったのかなとホイホイついていった先の洗濯室で、女中さんにいきなり押し付けられたのは、いくつもの洗濯かごに押し込まれた、洗いたてのリネンや隊長達のシャツといった洗濯物だった。彼女は「暇でしょ?やっておいて」とこちらの答えも聞かずに、ぱっとどこかへ行ってしまった。

残されたのは大量の乾燥待ちの洗濯物とあたし。以前にもこんな事があったなあ。前は確か、大量の洗い物だった。さらに前は、隊士の制服の修繕で……。悪意しか感じない。でも仕方がない。せっかくの休日だったのだけど。やりたい事があるでもなし、まあいいか。ため息をついて洗濯かごを持ち上げた。

洗濯物を落とさないようにえっちらおっちらと歩いていると、後ろからあたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。多分四番隊の隊士だったかな。振り返ると、やっぱり四番隊の人だった。見るからに好青年といった風貌の彼は、不思議そうな顔であたしを見ている。

「先生、洗濯物を持ってどうしたんですか?」
「女中さん忙しいみたいで、洗濯物を干すのを任されちゃったんです」
「そうなんですか。じゃあ俺も手伝います!」
「いいんですか?確か非番ですよね」
「俺達の屯所ですから、女中さんが忙しいのなら手伝わないと!」
「うーん、じゃあ、お願いしちゃいますね」
「残りはまだ洗濯室ですか?」
「はい。道中で落としたりしないように気をつけて」
「了解です!」

青年は元気な足音を立てて、走り去っていった。施設にいた頃は先生を手伝って、何人もの洗濯物を干したりしていたから、このくらいはお茶の子さいさいだけど、それでも一人で全部となると気が重かったので助かる。この寒さだと、洗濯物の冷たさが指先を凍らせてしまいそうだったし。

「よし」と一声気合を入れて、松と松の間に張ったロープに洗濯物を干していく。真ん中に小物類を干すハンガーをかけて、その周りはシャツとかちょっと長いものを。洗濯物は空気に触れる部分が大きいほど乾きがいいのだ。

「先生!持ってきました!これどこに干せばいいですか!?」
「それはあっちでいいと思います」
「あれ、先生、何やってんスか」
「女中さん忙しいらしくて、先生任されちゃったんスよ!」
「先生、確か非番でしたっけ。手伝います」
「じゃあ俺も手伝おうかな」
「え、でも」
「いいっていいって」

洗濯物を干していると、どんどん非番の隊士が集まってきて、あれよあれよと洗濯物が片付いていく。

「すみません、皆さん非番とか週休なのに」
「先生は気にしない気にしない。俺達の飯作ってくれてる女中さん達への恩返しだよ」
「そうそう。自分たちの部屋とか厠とかは俺達も片付けてるけど、廊下とか玄関の掃除は女中さん達に任せっきりだからさ」
「みんなー、洗濯物はこれで最後だぞ!」

さすが男性。長い布団カバーも簡単に干していく。自分だとちょっと時間がかかるから助かった。

「おう、お前ら休みに何やってんだ?」

ひょこっと現れたのは近藤さんと土方さんだった。そういえば、今日の見回りにはこの二人も入っていたっけ。

「先生が仕事任されたんですよ」
「なんでも女中さんが忙しいらしいっス!」
「え、忙しいの?でもトシに話しかけてきた子、暇そうだったけどな。確か御代志さんって言ったっけ」

昼間手前の暖かな日差しが、一瞬にして温度を失くした。周りの空気が近藤さんの言葉で固まったのだ。……まあ、そんな事だろうと思っていた。性善説に生きる男、近藤さんは、なぜその場の人間がほぼ固まっているのか、理解できないような顔だ。しかし、それを補う相方・土方さんは、眉間のシワを深くした。

「桜ノ宮、状況を説明しろ」

さて、どうするべきか。土方さんに言ったら、多分女中頭さんまで直行だ。彼女の勤務評定がどうなろうと知ったこっちゃないけれど、これは自分の勘が正しければ色恋沙汰だ。つまり、第三者、特に異性が割り込んでもいい事はあまりない。しかもそれが彼女の意中の人であれば尚の事。

いっそ屯所から放逐してしまう手もあるけれど、ああいう手合いは野に放つと何するか分かんないからなあ。なまじっか身分のしっかりしたお嬢様だけに扱いが面倒だ。……うん、黙っておこう。悪意には慣れている。自分が吉野さんの分までヘイトを稼いで耐えれば問題ない。

「いえ、土方さんが思うような事は何もなくて。ただ、女中さんが忙しそうにしていらっしゃったから、私が引き受けたんです。丁度週休で、暇を持て余していたのも事実ですし」
「本当だな。それでいいんだな」
「逆にお伺いしますがね。この件で土方さんが首突っ込んで、状況を改善させる方策はあるんですか?」
「……チッ。それもそうか。邪魔して悪かったな。『手伝い』を続けろ」
「はい。ありがとうございます。さて、皆さん、後少しですよ!」

イキの良い返事が帰ってきた。三々五々手伝いに戻るみんなは元気だ。うん、それ以上の何が必要だというのか。

「これが終わったらお茶入れますね!」
「あっ、お茶はいらないんで!お礼だけで十分なんで!」
「え、でも、せっかくの週休だったのに」
「あー、じゃあ、コーヒー!先生のコーヒー飲みたいっス!」
「俺も!」

俺も俺もと手を上げている人数を数えると、五人用のサイフォンで間に合いそうだ。コーヒー豆もアルコールランプの燃料も十分だったし。

「じゃあ、後でコーヒーをごちそうしますね」
「よし!ちゃっちゃと終わらせるぞ!」

彼らの手伝いのおかげで、昼ごはんより前に洗濯物を干す作業が終わった。

一仕事終えて医務室に帰り、淹れたてのコーヒーのカップで指を温めつつ、隊士達と雑談に花を咲かせる。土方さんとのやり取りのせいもあってか、話題は女中さんとあたしのイザコザになった。自然な流れかな。

「先生、本当に大丈夫なんですか?」
「今のところは、多分」
「なんかあったらまた言ってくださいね!俺達でよければ力になりますから!」
「じゃあ、お洗濯くらいは、お願いします」
「任せてください!これでも親兄弟の洗濯物干したりしてたんで!」
「はい、お任せしますね」

まあ、次はないと思うけれど。

コーヒーをすすりながら、思案を巡らせる。この広いようで狭い屯所だ。副長の口を封じたところで、非番の隊士が洗濯をやる横で男性にコナをかける女中がいたという噂はどうしたって広がる。おそらくは地獄耳の女中頭さんにも届くだろう。そうなればきっと必ず彼女は叱責される。元を辿れば税金で雇われているのだから、当然の話だ。

確か彼女の出自は、どこぞのお嬢様だっけか。今回のは世間知らずらしいやり方だったけれど、今度は何をしでかしてくる事やら。これで懲りて真っ当に勝負を仕掛けてくるのなら、いくらでも受けて立つのだけど。

*

それから数日後、自分の予想通り、明確にその人の仕業と分かる嫌がらせは姿を消した。けれど、正体不明の嫌がらせは未だに続いている。挙げていくと流石に憂鬱になるので割愛するけれど、仕事に支障が出てきそうで困る。嫌われるのはいつもの事だけど、土方さんの邪魔になるのは許せない。そろそろガツンと言わなくては。

そう思って医務室に投げ込まれていた『お話がありますので、五番蔵においでください』の手紙に従ったのは大きな間違いだったな。固く閉ざされた観音扉を前にそう考えた。だけど後悔してもこの牢獄はどうにもならないわけで。

事態に気が付いて、勝手に閉められた裏白戸を開けた時には既に遅かった。真っ黒い扉が外界と内側を隔てるその瞬間に立ち会ってしまった。重たい音を立てて閉ざされた観音扉は押しても引いてもびくともしない。これは閂の上に南京錠できっちりロックされたな。閉まる寸前に見えた顔は見覚えのあるものだったのは、この際どうでもよろしい。今はどうするか考えなくては。

「参ったな。こんな時に限って携帯忘れた」

なお悪い事に、この蔵は屯所の外れで、母屋から一番遠い蔵だ。母屋と反対側に一つだけある窓から叫んだところで、建物の近辺を歩く彼らには届くまい。そして最悪な事に、今夜はかなり冷え込む。

岩尾先生のとこに流れ着いてから知った事だったが、江戸時代の冬はひどく冷える。原本がいた時代であれば、東京中の列車が停まるような積雪がざらにあるのだ。これだけでどのくらい寒いのか、想像がつくだろう。なんなら今日明日の予想最低気温だと、神田川は凍るんじゃないかな。死の一文字が頭をちらついた。土方さんのためならまだしも、こんなくだらないイザコザで死ぬつもりはない。

「みんなが気がついてくれるまで、凍死しないように寒さを凌ぐしかないか」

この蔵は、主に使わないものを放り込んでおく場所だったようだ。もしかしたら、旧式のストーブと、年を越した灯油もあったりするかもしれない。灯油の方は、よっぽど劣化していなければ、多分使えるだろう。

そうと決まれば日が落ちる前に探索だ。埃を払ったマグライトを相棒に、蔵の中をウロウロと探る。ダルマストーブに、持ち越し灯油、拡大鏡に、ランタンとホワイトガソリンが見つかった。他になにかないかな。……あ。非常用持ち出し袋の中に固形栄養食とミリメシがある。アルファ米は……不味いから最後の手段かな。美味しくない長期保存水、それに簡易トイレも。誰かの私物っぽい、一人で眠るにはちょっと大きいけれど四人ほど入れそうなシェラフも見つけた。これでしばらくは籠城できるか。

確か、この蔵は2階建てで、どっかに隠し階段があるって土方さん言ってたような。マグライトの光をくまなく走らせると、天井に人がくぐれるくらいの穴が空いている。見渡しても梯子のようなものは見当たらない。誰かが梯子を持ち出したかな。いや、埃の上の真新しい足跡からして違うか。天井から梯子を下ろして、2階に上がってから回収したんだ。という事は、今も誰かが2階にいて、あたしの巻き添えを食って閉じ込められてしまった事になる。……マズいな。

丈夫なものを積み上げて、筋力でどうにかこうにか2階に体を引き上げる。雑多なものがひしめいていた1階と打って変わって、こっちは目的が比較的明白だ。床には畳が張られ、立派なタンスには使わない隊服だとか、隊服の切れ端だとか、潜入に使った着物なんかが詰め込まれている。衣類をしまっておくための場所だ。開口部のそばには、案の定、昇降用の梯子が投げ捨てられていた。やっぱり、誰かが2階にいるんだ。

さて、助け出されるまでの間の同居人は一体誰だと、フラフラと光を揺らしていると、長い足が丸い光の中に現れた。胴体、そして頭まで照らして、あっと声を上げた。

長いまつげを伏せて、ぐったりと畳に横たわっているのは、土方さんだった。吐瀉したのか、彼の口の周りだけ畳の色が濃い。

「土方さん、大丈夫ですか?」

常に持ち歩いている聴診器とペンライトで状態を探る。脈拍・呼吸、共に正常。瞳孔、左右差なし。血圧も十分。結論、寝ている。それも、蔵の重たい扉が激しい音を立てて閉ざされても気が付かないくらいにぐっすりと。多分、何かしらの薬理だ。

顔をそっと覗き込むと、本当によく眠っている。眉間のシワが少しほぐれて、無垢なようにも見える寝顔だ。いつまでも眺めていたい顔だけど、そうもいかない。起きて現実に向かい合ってもらわないと。

「土方さん、土方さん、起きれますか?」
「ん……その声は、すみれか?」
「はい、すみれです。どうしたんですか、こんなところで」
「俺は、確か、山崎が持ってきた茶ァ飲んだら、急に眠くなって、それで、命の危険を感じて蔵の2階に……」
「だから梯子が1階になかったんですね」
「お前は、探しに来てくれたのか」

土方さんは寝ぼけているのか、嬉しそうな口ぶりだけれど、残念な事に現実はそう甘くはない。

「いえ、ここにいるのは偶然です。しかも最悪な部類の」
「最悪?」
「私達、閉じ込められました」
「はァ!?」

土方さんは眠たかった様子を弾き飛ばして、一気に上体を起こした。かわす間もなく、土方さんの硬い額と、あたしの鼻っ柱が激突した。独特の痛みが、顔面を襲う。

ぎゃああああと、暗い土蔵に、二人分の悲鳴がこだました。
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