夢か現か幻か | ナノ
Forget-me-not part.7
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扉を小さく開けた隙間から体を滑らせるように廊下に出た。見張りはいない。おそらく客室を見張ってる余裕などない状況なのだろう。土方さんって強いんだな。

抜身の刀を携えて、広いとはいえない廊下を駆け抜ける。目指すは最前線。銃声の元だ。

戦場での古い教訓の中に、『戦場で迷子になったら鉄砲声の聞こえる方へ行け』というものがある。銃声が敵のものであれ味方のものであれ、銃声が聞こえる以上は戦闘状態なのだからそこに行って間違いはない。多分、そういう意味だったと思う。どこでこれを知ったのか、それは思い出せないけれど。

その教訓は今まさに生かされている。土方さんの元に向かうための道標として。多分、銃声は下からだ。土方さんは一旦下に戻って、そっちの敵を掃討するつもりらしい。

船の中には重要な目標がいくつかある。

まずは船橋。船長が駐在しているここは、いわば船の頭脳だ。ここを押さえれば最低限の事はできる。だけど、重要な目標は、もう一箇所ある。

機関室だ。船の底で船を推進するエンジンやモーターの保全及び出力の調整を行うあの場所も、船にとって必要不可欠だ。船橋が頭脳ならば、機関室は心臓と言うべきか。ここを押さえなければ、この船を制圧したとはならないだろう。

だから、敵勢力は船橋の操舵室と機関室、両方に戦力を割いているはずだ。土方さんはまず機関室を奪還しにかかったんだ。小型船の方はどうするつもりなんだろ。あの装甲だと、この手榴弾で乗員を殺傷するのが手っ取り早いかな。

……私はこのような戦場に関わった事がない。なのに、どうしてこうもなめらかに考えられるのだろう。答えは単純だ。このような事態に備えて訓練を積んだからだろう。記憶がこぼれ落ちても、染み付いて離れない戦場の残り香といったところか。この際だ。気にせず使おう。

考える事はできても、問題は山積されている。今の自分に戦闘ができるかは甚だ怪しいのだ。

そんな私がこんな棒きれを持っていたところで土方さんの役に立てるのかは分からない。むしろ足を引っ張ってしまうかも。それでも、私はやらなくちゃいけない事がある気がしていた。

「本当にやりたい事、か」

確かに、逃げられないな。自嘲の笑みをこぼして階段を駆け下りた。

階段を下りて、見えた光景に切っ先が震えた。

血だ。何人もの浪士から流れ出た血潮が、絨毯を赤く染めている。浪士達に呼吸の兆候はない。すでに死んでいるのか。土方さんは、これを全部一人で……?

浪士達の刀は鞘から抜かれているけれど、それだけだ。欠けもなければ、血も脂も付いていない。想像だけど、振り上げて、それでおしまい。土方さんに一太刀浴びせることもできずに絶命したらしい。

たった一人なのにどう立ち回ればこんな結果になるのか、自分では想像もできない。やっぱり私いらないんじゃないかな。

……いや。土方さんのそばにいかなくては。

唾液と一緒にこみ上げてきた吐き気を飲み込んで、彼らの死体を踏まないように、慎重に足を進める。絨毯が吸いきれない血がぐちゃりと鳴くのが最悪だ。吐き気が戻ってきそうなのを気合で堪えた。

数人まとまって横たわっていた浪士の死体をまたいで、一息ついたら、また銃声が轟いた。近い。

死体を見たときよりもずっと激しく刀を握る手が震えた。

直接銃火にさらされてない地点でも、怖い。こんなんじゃあ、きっと、いざ自分が標的になったら動けないんじゃないか。そう思うのに、自分の脚は前進する。自分の手は刀を手放さない。そして、顔は前を向いている。

見えない糸があって、その糸に引っ張られているみたいだ。その糸がなんなのか。自分には分からないけれど、手放してはならないものだと、誰かが言っていたような気がする。

頭が痛んで、廊下に側頭部をぶつけた。……そうだ。その人は確か、ヘリから銃撃されたのだったか。私と何人かを庇って。曖昧だけど、これは自分の記憶なんだろう。その現場に、土方さんもいたのだろうか。

また銃声が船内の空気を震わせた。きっと、それは土方さんが戦っている証だ。だというのに、私の頭は、記憶の中の誰かの顔を土方さんの顔にすげ替えた。

「……いかなくちゃ」

廊下を走る。途中の浪士を勢いよくまたぐ。更に階段を下りて、底から二番目のフロア、乗用車が積み込まれているフロアに突入した。今度は、糸に引かれるのではなく、自分の意志で。

圧巻だった。乗用車達が規則正しく並べられている。車両はしっかり固定されているようで、先程の揺れにも関わらず動いている様子はない。

入り組んだ車両の隙間に苦労しながらも、土方さんに追いついた。彼はひしめく自動車の影で銃撃をやり過ごそうとしていたみたい。怪我一つない。自分の妄想が裏切られた形になって、安心した。

でも、私と土方さんの間に人影があった。ラウンジで見かけたいかつい男の一人だ。血だらけの男が最後の力を振り絞って構える拳銃。黒い金属が貨物室の明かりを鈍く反射している。銃口の先にあるのは、土方さんの無防備な背中。

殺らなくては。そう考えるよりも先に男の背中に刀を突き立てていた。切っ先が肉を切り裂く感触。骨と鋼が擦れる耳障りな音。そして、風船に穴を開けたときのような軽い衝撃のようなもの。それらが全て柄を伝って自分の手に伝わってくる。気持ちが悪い感覚だ。

男は、ビクリと痙攣して、銃を取り落し、そして指一本動かなくなった。刀を突き刺した場所から、じわじわと赤が広がっていく。

殺した。――私が。

殺した。――あの時と同じように。

殺した。――人を。

殺した。――護るために。

「あ――――」

また、幻覚を見る。

低い視点。暗いコンクリートの階段の下で、見下ろす人影。彼は、暗がりから、脚だけをこちらに見せていた。

そして、自分の右手には、未だ鮮血が滴る刀が――。

「お前――!なんで来た!」

怒号が私を現実に引き戻した。ドスの利いたそれに思わず肩が縮こまる。けれど、ここまで来たんだ。引っ込むわけにもいかない。男の体から刀を引きずり出しながら、答える。

「土方さんが危ないんじゃないかと思ったんです」

男の筋肉が締まっているのか、罰当たりにも死体を踏みつけてまで柄を引っ張っているのに、なかなか抜けない。四苦八苦していると、私よりも大きくて硬くて熱い手が柄を握って、あっさりと抜いてしまった。

「死にかけ仕留めるのにこんなに手間取るようじゃあ、足手まといにしかならねェ」
「面目ないです。でも肉盾くらいになら」
「アホか。お前に庇われる前に敵をたたっ斬るに決まってんだろ」
「ですよねー」
「……だが、お前が居れば怪我人の命は拾える。付いてくるのは勝手だが、俺から離れるなよ。あと、ソイツで戦おうなんて思うな」
「分かりました」

さっきみたいな無様を見せたらそうも言われるか。こればっかりは仕方がない。帰れって言われないだけ有情かもしれない。

「それと、これ、山崎さんが、『万が一のために』って」
「無線機に手榴弾か。山崎にしちゃあ気が利いてるな」

それからの土方さんは鬼の副長に恥じない活躍だった。浪士達がほとんど抵抗できずに斬られていった。なるほど。どうりで得物が綺麗なままだと思った。

そして、見ていて、気がついた。この人の強さは、純粋な剣技だけじゃない。戦い方がとにかく上手いんだ。その頭のキレはその刀に劣らぬものだ。真選組の頭脳の真髄を見た気がした。

一通り斬り終えて、いよいよ機関室も間近、といったところで、土方さんはポツリとこぼした。

「俺が下に行ってる理由は分かるか」
「機関室の奪還ですね」
「ああ。本当は俺とお前で分担できたら良かったんだが、その様子じゃ期待できそうもねェな」
「重ね重ね面目ないです」

土方さんはここで肺の中の空気を全て絞り出すようなため息をついた。

「連中は見廻組がマークしてた連中だ。本来管轄外の事件に首を突っ込むのはアレだが、気になる会話を聞いた」
「なんです?」
「『俺達は国を興す』だとよ。どうだ?これだけで胡散臭いだろ」

国?蝦夷に?何のために?

「さあな。政治屋の考える事なんざ理解できるかよ。おそらく俺達を強制的に移住させて現地の住人も巻き込んで、新たな国を作る……ってところだろうが」
「嫌ですねぇ乗客の1割以上が武器を持った浪士なんて。銃を突きつけられながら農業なんてたまったもんじゃない」
「同感だ。上陸させて本当に国なんか作られたら面倒だ。なんとしてもこの船の中で食い止めるぞ」
「了解」

腕っぷしの面では全く期待できないけれど。そう言いたかったけれど、土方さんが機関室の扉を開け放ったので口を噤んだ。

果たして、機関室は占拠されてなどいなかった。

むしろ浪士の方がタコ殴りにされて縛り上げられていた。彼らは床に転がされて、さめざめと泣いている。それなりの人数が頭を打ったらしく、どいつもこいつも大きなたんこぶを作っている。

「えーっと」
「何だてめーら!お前らもこのクソッタレ共の仲間か!?」
「い、いえ!違います!我々は真選組です!テロリストよりこの機関室を奪還しようと参ったのですが」
「ほう。真選組か。――何をやっとるんだお前らは!」

テロが起こってからでは遅い!と一喝されてしまった。確かに、その通りだ。予防にまさる医療はないように、こういった国家を揺るがす一大事も未然に防がれるべきだ。予防即ちテロリストの捕縛は私達の仕事なのに。

「悪いなオッサン。連中は俺達の管轄じゃなくってな。文句なら見廻組の奴らに言ってくれや」
「私達は異動や出張で、たまたま乗っただけなんです」
「それを早く言わんか!お客さんだったのか。すまんなァ巻き込んで。包囲を崩してくれて助かったぜ」
「いいんです。我々警察の連携不足でもありますから。ところで、すごいですね。武器を持った浪士を片付けてしまうなんて」
「海の男は腕っぷしと頭がなけりゃ務まらんのよ。おかげでお客さんはびっくりさせただろうが」
「揺らしたのはオッサンだったのか。まァいい。すまねェが身分証出してくれ。念の為に確認しておきたい」

快く差し出された身分証を確認して、機関士達がちゃんと機関士だとわかった。こういう人が敵だと勝てる気がしなかったから助かった。

「外の連中の捕縛は頼んでいいか」
「おうよ!」
「じゃ、行くわ」
「ありがとうな!真選組の兄ちゃんも姉ちゃんも気をつけろよ!」

岩みたいな体のオジサンとその仲間達に見送られて、機関室を後にした。

「機関室が未だに占拠できてなかったのは予想外でしたね」
「最初の揺れで突入した馬鹿を昏倒させたんだろうな」

あの揺れはオジサンの戦っている証だったのか。何の用意も防護もなくアレを受けたら痛いじゃすまないだろうなあ。

なんにせよ、包囲網も崩壊させたし、オジサンは元気そうだし、機関室は大丈夫だ。

となると、いよいよ本命の船橋か。

「気ィ引き締めろよ」
「はい!」

ぶっちゃけお荷物にもなれるか怪しいけれど、やれる事はやろう!

*

機関室の中は発動機の音と、波が船体に当たって砕ける音で満たされていた。そことは別のベクトルで船内は騒がしかった。怒号、銃声、そして断末魔の叫び。

瞳を虚無で満たした浪士達が目の前に倒れ込み、そのまま動かなくなった。絶命したようだ。自分は実質戦闘不能なので、誰がやったかなど言うまでもない。土方さんだ。

彼は屈強な男を一刀のもとに斬り捨てた。私の頬に飛んだ生ぬるい液体を指ですくい取り、目の前にかざすと、赤い。さっきの浪士の一部だ。彼の前では大抵の剣士が塵芥と同義なのか。

人の死が手の届きそうなほど間近にある現状。そしてそれが他ならぬ同じ人間の手で為されている事実。その人がさっきまで自分と酒を飲んで談笑していた人であるちぐはぐさ。全てが恐ろしく感じられて、いつでも抜刀できるように鯉口に添えた手が震える。

「無理なら部屋に戻ってろ」

私を見た土方さんの視線には侮蔑のようなものは一切なかった。むしろ、心配とかそういった色が濃く浮かんだ目だ。

白刃に身を晒し、危険な目に遭っているのは土方さんなのに、その彼よりも怯えるのはだめだ。この光景から、目を逸らしてはいけない。

だって私は、約束した。――どんな?

自分の触れない部分に、何かがある気がして、それを考えた。でも分からない。土方さんは私をじっと見ていた。進むも戻るもお前の自由だ。彼の目はそう言っている。その目が何かをくすぐるのを今だけは見ないふりをして、その目を見返した。

「大丈夫です。最後までついていきます。いかせてください」

土方さんは眉をひそめた。彼の目から僅かに伺い知れる苛立ちは、私に向けられたものか、それとも彼自身へだったのか。

「そういう頑固さも変わらねェな。――手前の命は手前で守れよ」
「分かりました」

小休止は終わり。私達はまた走り出した。腕の震えは止まらない。人の死は怖い。けれど、この人を助けたい、その意志だけは、揺るがない。
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