夢か現か幻か | ナノ
Put-up job
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岩盤の下に埋まり、左足を切開して入院してからしばらく。ようやっと歩けるようになった。すると自分の身の回りの世話に本格的に手を付けられるようになる。具体的には洗濯とか。

入院中でも汗はかくし垢や汚れは出る。だから洗濯をして衣服を交換する必要がある。

他の病院ではどうだか知らないけれど、今自分が入院している大江戸病院では、洗濯機で洗ったものは基本的にコイン式の乾燥機に突っ込んで乾かす事になっている。でも電気式の乾燥機では乾きは悪いし何より縮んだり痛んだりする素材も少なくない。そこで乾燥機にかけたくないものは物干場に干すのだ。

でも物干場のスペースや利用時間には限りがあるし、なにより、乾燥機に突っ込めないものの代表格は女性ものの下着だ。そんなものを外に干せるはずもない。

長々と語ってしまったけれど、何が言いたいか総括すると、下着類は病室に干すしかないって事。特に自分のような個室に入院させてもらっている身であればそっちの方が安心だ。

あたしは今日も小物干しの外周にタオルを引っ掛けて目隠しにして、その内側に下着を干していた。

異変を察知したのは脚の検査から戻ってきた後、タオルと下着を取り入れた時だ。

ないのだ。タオルではなく、下着が。何度数えても、何度荷物を漁っても該当のパンツが見当たらないのだ。

しかも失くなっていたのは、入院で気落ちするだろうから少しでも可愛いものをと思って持ってきた、お気に入り。

確かに干した。行き来の間に落としたなんて事はまずない。

という事は考えられるのは唯一つ――、

「これって、下着泥棒じゃないですか?」

急に呼び出されたせいか、土方さんはちょっとやる気が無いらしい。明らかにめんどくさそうな顔だ。

「あーそういや、怪盗フンドシ仮面がまた脱獄して巷を騒がせてるらしいなァ」
「なんですそれ」
「女の下着を盗んで、モテない男共にバラ撒く義賊気取りの変態だよ」
「キモいです」
「ったく、あんなのがいるせいで、新聞でボロクソ書かれるわ、市民からの苦情が来るわ、散々なんだよなァ。コソ泥も刑務所も、俺達の管轄じゃねェっての」

土方さんの言葉には義憤を覚える。怒りをそのままにテーブルを叩くと、彼はぎょっとしたようにこちらを見た。

「そういうタテ割りのお役人みたいな考え方してるから、やれ税金泥棒だ、やれチンピラ警察だ、って言われるんですよ!」
「なんだよいつになく熱血じゃねーか」
「下着ですよ!土方さんは盗られて嫌になりませんか」
「なるけど、また買えばいいだろ」
「確かに、金銭面にはまだ余裕がありますけれど!土方さんは自分の下着が勝手に持ち出されて、知らない人のズリネタになる事が許せるんですか!」
「バッッ……女がズリネタとか言うんじゃねェ!……そもそもだな、俺達は武装警察なんだ。テロリスト共の殲滅が仕事なんだよ。俺達が下着ドロごときに人員割けると思ってんのか」

確かに、そうだ。真選組の役割は攘夷浪士をこの国から一掃する事。下着泥棒などという国家から見れば些細なものに関わっている暇なんてない。ただでさえ真選組は人手が足りてないんだから。

冷静に考えると土方さんに怒るのはお門違いだ。らしくもなく熱くなって、挙げ句土方さんに八つ当たりしてしまった。いくら下着を盗まれたからってみっともない真似だ。

「そうですよね。ごめんなさい」
「い、いや、分かりゃいいんだ」
「すごく気に入っていた下着だったから、つい、頭に血が上って」
「ああ、気に入ってたモン盗られると腹立つよな」
「入院中であんまり動けないし、退屈だし、制服は着られないしで、テンションがダダ下がりなので、下着だけでも可愛いものをつけて元気でいようって思って持ってきてもらったのに」
「…………」
「しかもブラジャーとお揃いの下着だから、かたっぽ失くなっちゃうと意味がないんですよ……」

引き潮のように怒りが引いていくと、次には悲しみが押し寄せてきた。喜怒哀楽の内の楽があまりない病室だと、哀は目立って仕方がない。ベッドの上で膝を抱えて、暗い気持ちから身を守る。

「あー、部屋に干してても盗まれるんじゃおちおち洗濯もできやしねェな。そんな状況だと、不安にもなるか」

わっしわっしと犬か猫でも撫でるような手付きで髪の毛をかき乱される。朝に水なしのシャンプー使ってよかった。

「悪かったな。俺達が捜査する事はできねーが、奉行所によく調べるように掛け合ってみる」
「本当ですか!?」
「ああ。今度からは下着の洗濯は芝崎さんに任せろ。野郎の標的は若い美人だって話だ。あの人のところなら盗られる事ァあるめェ」
「分かりました。そうします。助言に感謝します」
「他人に下着任すのは恥ずかしいかもしれんが、盗られるよりはマシだろ」
「そうですね」

確かに、美智子さんは美人だけど若くはない、いわゆる美魔女に近い人だから盗まれにくいかも。いや、美智子さんは美智子さんで別の需要があると思うんだけど。下着泥棒の趣味じゃないってだけで。

「また困った事があれば連絡くれ。暇な時に来るから」
「ありがとうございます。それとごめんなさい。急に呼び出したりなんてして」
「書類で肩が凝ってたから丁度よかったぜ。あんだけ怒る元気がありゃすぐに回復するな」
「はい。楽しみに待っていてくださいね」

この後は些細な、本当に他愛のない話をして、面会時間の終わりとなった。

去り際に「また来てくださいね」と言うと、片手を上げるだけ。いつもの反応だ。

*

下着泥棒の件を土方さんに相談してから数日が経過した。相変わらず世の中は下着泥棒の話でもちきりだ。そんなわけで、大変恥ずかしいながらも事情を説明して芝崎さんに洗濯をやってもらっている。そのせいか、今のところは盗まれたという話は来ていない。芝崎さんに干してもらう事で例の下着泥棒を撹乱する事に成功しているのかもしれない。

異変が起きたのは面会時間が始まった頃だった。荒い足音と、女性の怯えた声。壁越しにも分かる殺気。自分を取り巻く大気の重みが増したような。ただ事じゃない気配に傍らの刀を確かめた。慣れ親しんだ刀は折れて今は予備だから少し心許ない。

粗暴さを隠しもせずに歩く人物Xは、あたしがいる個室の前で立ち止まった。真選組に恨みを持つ浪士か、それともただの犯罪者か。いずれにせよ、左足がマトモに使えない今はかなり危ない。

ノックもせずに乱暴に扉を開けた人物は、づかづかと歩き、ベッドサイドで足を止めた。

布団を剥ぎ取られると同時に、刀を抜き――、

「うおっ!!!」

刀はXの着衣を掠めただけで、ほとんど空を切った。大きく飛び退いて刃から逃れたらしい。

そこでやっとXの正体を見た。聞き覚えのある声と、黒ずくめの服が見えた気がしたのは気のせいではなかったみたいだ。彼の制服は斬り裂かれている。幸か不幸か、胴体には刃が当たらなかったようだ。……不意打ちで実に当てられないなんて。鈍ってるな。

「なんだぁ土方さんか」
「バカヤロー!なんだぁってなんだ!おっ死ぬかと思ったわ!!」
「それはごめんなさい。でも土方さんだって悪いと思いますよ。廊下歩いてる時からおっかない空気だったし、ノックもないしで、てっきり真選組に恨みがある攘夷浪士かと」
「あー、それは悪かったな」

土方さんはバツが悪そうに頭をかいた。自分に多少なりとも非がある事は分かってもらえたらしい。

「お怪我はありませんか?」
「ああ。今だに心臓バクバクいってるがそんだけだ」
「なら、すぐに収まりますね。あと、制服はかけはぎしておくので」
「どうせ古くなって交換する予定だったから別にいい」
「そうですか」
「過ぎた事はこんくらいにして、お前、あれからまた下着ドロに遭ったりしたのか」
「いいえ、幸いな事にあれからは一度も」
「そうか。よかったな。だが、泥棒は許せるか?」
「いいえ。然るべき謝罪と賠償、そして逮捕及び適切な刑罰を望みます」
「ああ。その通りだ。俺がなんとしてでも野郎をしょっぴく」

土方さんは抜身の刃じみた目をますます鋭くして、犯人の逮捕を誓った。変だな。この前までコソ泥ごときに人員割けると思ってんのかとか言ってなかったっけ。

「どういう心境の変化ですか」
「それは俺から説明しまさァ」
「沖田さん」

なんで今日に限ってどいつもこいつもノックをしないのだろうか。まあそれにしても、土方さんと沖田さん、順番が逆じゃなくてよかった。もし逆だったら、あたしが殺されてるところだったと思うし。

「つい昨日、土方さんにこんなものが届けられましてねェ」
「下着?」
「ウチの隊士共に届いたブツでさァ」
「まさか――」

それフンドシ仮面の施しじゃあ。そう言おうとしたけれど、窓を開けていないのに病室を通り抜けた風に沈黙した。

沖田さんがばっちいものを触るようにつまんでいた下着が細切れになって病室を漂い、ひらりと床に着地した。土方さんはその剣技をいかんなく発揮し、下着を切り裂いたのだ。一体誰が掃除すると思ってんだコイツら。

「絶対に許さねェ」

その声は低く、低く。地を這うどころか地殻を突き破りそうなほどに低い声が、下着泥棒の誅伐を誓った。なるほど。贈られたのは土方さんもだったのか。隊士と一緒くたにされて下着を施されたのに、いたくプライドを傷つけられたようだ。

それにしても、泥棒の目は腐っているのだろうか。目の前で相手を切り刻むイメージを描いていると思しき男を眺めた。

刃のように鋭い目。すっと通った鼻筋。煙草を挟む少しカサついた唇。背も高いし、脚も長いし、何より均整が取れた肉体だ。これでもかという程いい形質しか現れてない。彼の容姿を総括するのなら、硬派な美丈夫、といったところか。

見た目だけでなく、中身もかっこいい人だ。不器用さが先行するけれど、なんだかんだと一途で真面目で、それでいて随所に思いやりが伺える。おまけに公務員で役職付き。そんな人だから、虜になる女性は珍しくないだろう。

その土方さんのどこがモテないのか。食事の手前まではまずフラれないのに!

小さな紙片なら挟めそうなくらい眉間のシワを深くする土方さん。そしてそれをニヤニヤと見守っている沖田さん。……なんだろうな。言葉にはできない違和感。

まあいいや。土方さんがやる気になってくれれば、きっと怪盗だろうとなんだろうと逮捕できるハズ。

「お前も捜査に協力してくれ。外泊許可ならなんとかもぎ取ってやるから」
「あー、釣りには疑似餌がいりますもんねぇ」
「ああ。とっておきを用意しとけ」
「じゃあ、これとかどうですかね。同じ男性から見て」

土方さんの目の前に取り込んだ下着をひらひらさせてみた。彼は吸った息の宛先を間違えて、盛大にむせた。苦しげな咳が収まり、鋭い目に睨みつけられる。

「なんで俺に見せんだよ!」
「私には他人から見た下着の良し悪しなんて分からないので。これ、とっておきなんですけど」
「そ、ソングはちと狙いすぎだろ」
「俺ァもうちっと慎ましやかなものの方が好みですねィ。いかにもってェのはどーにも」
「なるほど。じゃあこっちですか」
「紐ってのもあざとすぎやしませんか」
「つーか変態野郎じゃねーんだ。パンツなんざ知るかよ。重要なのは中身だろ」

病室の空気が固まった。自分の思い過ごしなどでなければ、土方さんがとんでもないこと言わなかったか。

「じゃあ土方さんを釣るにはすみれさんのぱいぱ――」
「プライベートゾーンの漏洩反対!」
「……オイ。なんで総悟がすみれの」
「なんでってそりゃあ――」
「不慮の事故です!沖田さんと私の間に肉体関係はありませんから!」
「つーか、土方さんこそなんで――」
「面倒くさいからその話やめよう!!誰も得しない!!」

ややこしい発言が面倒な事態を呼び、面倒な事態がさらにややこしい発言を――と悪夢のような連鎖を断ち切って、一息ついた。土方さんは納得してくれたらしい。沖田さんは納得してなさげだけど、一応黙ってくれた。

「で、いつやるんですか」
「お前の外泊許可が取れ次第だ。刀の手入れしておけ。疑似餌はフツーのやつにしろよ!!」

睨みを効かせつつ土方さんと沖田さんが立ち去ると、やっと重圧が消えた。あれ、土方さんが発信源だったのか。本気でキレてたな。さすが鬼の副長。キレさせると怖いわ。

「フンドシ仮面、殺されそうな勢いだったな」

これから対峙するであろう下着泥棒に手を合わせた。南無南無。
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