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▼ あったかいココア

『俺は、お前以外に触れたいともキスしたいとも結婚したいとも……身体を重ねたいとも思わねぇ』

『お前は絶対、俺の女になる。お前は、最初で最後の俺の大切で大好きで仕方ねぇ可愛い女なんだから。当たり前だろ』

『だから――黙って、俺を好きになれ』


「何だよアイツはぁああああああああああ!!」


 よくもあんな恥ずかしい台詞をペラペラと言えるもんだ。しかも、壁に私を追い詰めて言うもんだから逃げられない。いや、最終的に私の顔を見たヤツが固まった瞬間(多分人格が変わったんだと思う)に逃げたんだけど……。


「……アイツは苦手だ」


 私は好きという感情が苦手だ。いや、苦手というよりは一種のコンプレックスだろう。誰から愛されることが怖い。誰かを愛することも怖い。私は、恋も出来ない臆病者だ。何で、……何で私なんかを好きになんだよ。
 頭を抱えてしゃがみこんで少ししたら、とんとんと肩を叩かれた。上を見上げれば、見知らぬ大人の男。


「えと、君大丈夫?」
「……」
「いや、あの! 俺はぜんぜん怪しいやつじゃないよ! 突然叫んで項垂れてたから、何か訳があるのかなって……」


 とうとう私は、通行人Aにまで心配をかけさせるようになってしまったのか。


 今ので、喉の奧がつんとしょっぱくなり始めたけれど、恥ずかしくて惨めで情けなくて、飲み込んだ。
 目の前の男に心配されてはならない。誰にも迷惑をかけちゃダメだ。こんな私になったのは私のせいで、私の罪なんだから。


「あ」
「……とうとうストーカーだけでなく、ロリコンになったか」
「か、香奈さん!? 違います! 俺は香奈さん一筋ですよ!!」


 今度は女の人が現れた。男の人は必死に、そりゃあ血相変えて女の人に弁解していた。……多分、あの二人は恋人、ではなくとも男が女の人に恋をしているんだろう。
 少しだけ、羨ましかった。


「彼は、私を心配して下さっただけです。彼は決してロリ、ショタ、ホモの類いではないですよ」
「何でさらにショタにホモが追加されてるの!?」
「私、よく男だと勘違いされるので……って、珍しいですね。私を女だと分かる人は」


 目をぱちくりさせる男の人は、何故か今思い出したくもない彼の驚いた顔と重なって、視線を反らしてしまう。そんな様子を香奈さんは小さなため息を漏らして、口を開いた。


「……まぁ、いいわ。ジロー。あそこで缶ジュース買ってきなさい」
「……はい! 分かりました!」


 まるで飼い主にフリスビーを投げられた犬のように、自販機まで走っていく彼。よくよく見れば確かに犬みたいだ。
 女の人は少しある段差に座って、手招きをして隣を軽く叩いた。……座れということか。


「あ、あの……」
「私は、一切関係ない」
「は……?」
「これからも、無関係よ。ただたまたまここでジローが貴女に話しかけただけ……つまり、赤の他人なの。
 ここで、何を言っても、他人なんだから噂を広めるわけじゃないし、貴女を罵倒するわけでもない。……赤の他人なんだから」


 ……ああ、何だ。優しい人なんだなぁ。
 赤の他人を強調してるわりに、私の愚痴を促してくれていた。やっぱり、大人の余裕というやつなんだろうか。
 私も、もう少し大人なら……。


「……私、好意で人を殺したことがあるんです」


 あの過ちを、止められただろうか。
 それから香奈さんという人に、ポツリポツリと愚痴を溢していった。昔、私は何故か女子に好かれていたこと、そして親友がその子達に恨まれたこと、それからはもう言わなくても分かるだろう。私は、彼女のピンチに陸上に夢中で気づいてさえあげられなかったんだ。 そして、私は一生ぬぐえないような罪を背負うことになった。だからといって、私は困った人をほっとけない臆病者だ。万人への無償の優しさなんて、ただのお節介であり、時として凶器になるのはとうの昔に理解している。だけど、止められない。

 だから、私は誰かを特別視することを諦めた。


「……でも、私を好きだって言ってくれる人、いるんです。
 私を男ではなく、女のコとして好きになってくれたバカがいるんです。だけど、嬉しいのに、それを受け入れる勇気は私にはない……」


 なんて情けないことだ。結局、私は人を苦しめることしかできないんだ。
 ふと、香奈さんは口を開いた。


「……優しさが、全て正しいと言うつもりもないけど……。その子を気遣う貴女は、十分優しいと思うわよ」
「……え」
「あと、嫌なら相手に止めろって言わなきゃダメ。なぁなぁにするととんでもないことになるわ」
「……でも、相手が傷つく」
「自分が傷付いてボロボロになるのが、本当に貴女を好きなその人の本心だと思う?」


 ……平城なら、アオなら、今の私を見てなんていうだろうか。アオなら、呆れるかもしれない。平城なら……心配、するな。極度に心配して、暴走するかもしれない。
 そう想像すると、少し笑えてくる。


「私も、受け入れたらとんでもないことになるんだから」
「……えと、あのジローさん……のことですか?」
「よく分かったわね」
「妙に香奈さんの対応が冷たかった気がするので」
「当たり前よ。……アイツ、私を“運命の人”って言って隣に引っ越してきたストーカーなんだから」
「え゛。タチが悪い……」
「香奈さぁあん!! 俺は本当に香奈さんの運命の人なんですって!!」


 何時からここに来たのか、少し泣きそうな顔をして私や香奈さんにジュースをくれた。香奈さんはコーヒーで、私には暖かいココアだった。


「……ありがとう、ございます。あの、お金……」
「いやいいよ! これはおごりだから」
「ありがとう、ジロー」
「! えへへへ。香奈さんにお礼を言われた……!!」


 本当に嬉しそうに笑みを浮かべるジローさんに、ただ言わなきゃならないから言ったまでだとコーヒーに視線を落とす香奈さん。やっぱり、いい人達だ。
 運命の、人か。


「運命の赤い糸って、切れたりするらしいですよ」
「え」


 否定的な戯言。
 だけど、私は空想や幻想にすがりたい。その方が、幸せだ。
 否定を、肯定したい。


「だけど、自分で繋げることもできます。切れたら自分で結び直したらいいと思います。きっと、切れるギリギリの赤い糸より、より丈夫で堅い絆が結ばれると……信じたいです」


 所詮、願望。夢物語。
 だけど、みたいじゃないか。私が出来ない分、誰かの幸せを見て私も幸せになりたい。


「応援しています」


 それは、ジローさんに? 香奈さんに? いいえ、違います。
 私は、二人の幸せを応援します。


 口にしたココアが、甘ったるくて頬が緩んだ。





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