▼ ビター、スイート
「……にがい」
真夜中。駐車場。暗い車内。
小さなきっかけで拗ねていた彼女を黙らせるように唇を重ねると、吐息のかかる距離で、そう呟かれた。
彼女なりにまだ、意地を張っているのは明白だ。
「会社出る前に、吸ったからな」
「……いつも、にがい」
「悪い」
「べつに……いや、とかじゃないけど」
ヘビースモーカー、というほどではないが、煙草を吸わない日はない。
身体を心配する彼女に、何度か禁煙を勧められてはいる。
「……なにがおいしいのか、わかんないなって、思うだけ」
彼女にとって実はあまり意味のないその問いに、答えるよりも口を塞いでしまうことを選んだ。
「にが、い……」
「そう」
はあ、と息を吐きながら、まだ許すものかと躍起になっているらしい彼女。
苦い煙草に慣れたこの舌に、彼女の唇は、その内側は――ひどく甘い。
それはどこか、彼女の好む甘ったるいチョコレートのようで。
チョコレートには人を惑わす効果があるのだとか、どこかで聞いたことがあるけれど。
純粋にこの身体を心配をしてくれている彼女には、とても言えない。
やめられない理由は、中毒になっているのは、苦みではなくて――
「なに、するの」
彼女の下唇をやわらかく噛むと、睨まれた。
「何が美味しいのか、とか言われたから、なんとなく」
「私じゃなくて、煙草の話」
「同じようなもんだ」
意味がわからない、と顔をしかめる彼女の機嫌を直すために――という口実で、もう一度、その甘さを味わうことにした。
end
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