▼ 嘘つきのエイプリルフール
嘘つきのあのひとは、四月一日だけ、嘘をつかない。
あのひとは私の恋人で、それが私たちの約束だからだ。
四月一日以外のあのひとは詐欺師で、名前を七つも持っていて、代わりにひとつとして『本当のこと』なんて持っていない。
そんなあのひとと私が、どうして恋人同士になったのか――それはまた別の話で。
ただ、初めて逢った日、あのひとは私を騙そうとしてこの家にやってきて、何故か途中でそれをやめてしまった。
本当の名前を口にして、きみを騙そうとしていたのだと、謝った。
四月一日のことだった。
それ以来、毎年四月一日になると、あのひとは本当のあのひとのままでこの家にやってきて、私に本当のことだけを伝えてくれる。
「きみが好きだよ」
「ずっと一緒にいたい」
「きみの前では嘘はつきたくないんだ」
あのひとは、私だけを見つめて、どこか苦しそうに言う。
だけど次の日からは、七人のうちの『誰か』として家にやってきて、私に嘘をつく。
安心しきっているような表情で、嘘をつく。
それは、『嘘』だと私が知っているからか。
それとも、嘘をつくことがあのひとの生きる目的だから――嘘をつかなければ生きていけないようなひとだからなのか。
『誰か』として私に逢いに来る時、あのひとは決して私に『気持ち』を言わない。
言わなければ、騙さなくて済むから。
だから私は、四月一日が待ち遠しくてしかたない。
だけど。
彼にとって『嘘』は『生きること』で。
だったら『嘘をついているあのひと』が『ほんとう』かもしれなくて。
嘘をつかないことは、あのひとがあのひとでなくなることかもしれなくて。
そうだとしたら、四月一日の『ほんとうのこと』は、あのひとにとってはむしろ私たちにとっての『嘘』のようなものかもしれないと、時々考える。
だって、私たちがエイプリルフールに嘘をつくのと同じように、あのひとはエイプリルフールにだけ真実を口にする。
罪のない『嘘』。四月一日が終われば、なかったことになる『嘘』。
あのひとの場合はただ、『嘘』と『ほんとう』がひっくり返ってしまっているだけで。
どちらが本当に『ほんとう』かなんて、あのひとにとっては価値のないことなのかもしれない。
どちらにせよ、四月一日が終われば、姿を消してしまうものなのだから。
だから近頃、思う。
一日で消えてしまうあのひとの『ほんとう』に縋るより、あのひとの『嘘』を愛してしまった方が、いいのかもしれない。
あのひとは、嘘をつくことをやめない。
嘘をついて、生きている。
そんなあのひとを、私は愛している。
それなら。
「四月一日は、私だけに嘘をついて」
そうねだると、あのひとは、少しだけ瞳を揺らして、私を抱きしめた。
end
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