短編そのた | ナノ


▼ 走れ!うさぎさん


わたしのなまえはうさぎさん。

ほんとうは、なまえなんてないのだけど、まいにち森へやってくるあのひとが、わたしのことをうさぎさんってよぶから、かってにそう思うことにした。


あのひとは、森のむこうのお城にすんでる王子さま。

15年いきているって言ってたけど、それってながいのかみじかいのか、わたしにはよくわからない。


「僕はお城が好きじゃないんだ」

いつも王子さまはそう言っていた。王子さまのなまえは、ながくてむずかしくて覚えられなかった。

王子さまは、まいにちここへ来ては、わたしをひざにのせておはなしをする。

お城にさく花のこと、きれいなかたちの雲のこと、お城にあったふしぎなぬけ道のこと…


だけど、人間のはなしはぜんぜんしない。

うさぎたちがあつまったときは、なかまたちのことをたくさんはなすのに。


「お城の人たちなんかより、僕はうさぎさんとずっと一緒にいたい」

そんなことばをきくたびに、やさしくて、うれしくて、でもかなしいきもちにもなる。

だけど、「うさぎさんが大好きだよ」と笑う王子さまはとてもきらきらしているから、やっぱりわたしは王子さまが来るのをまいにち待ってしまう。



ある日、王子さまはとっても暗い顔で森へやってきた。

わたしをいつものようにひざにのせ、

「一月後に結婚しなくちゃいけないんだ」

ひくい声でそう言った。


結婚。
ひとりのひとを愛して、一生いっしょにいきていく、約束ごと。


「もうここには来れないんだ」

ああ、やっぱり。

約束ごとは、結んだリボン。
ほどいて森へは来られない。


それでも王子さまにだれかがよりそってくれるなら、いいことだ。

そう思いたかったけれど。

「僕のことを好きになる人なんていないし、僕も好きになれない。――うさぎさんが人間だったら、僕はうさぎさんをお嫁さんにするのに。うさぎさんなら、人間でも大好きになれるのに」

わたしをじっと見て、王子さまはそんなことを言うから、なきそうになる。


どんな事情があるのかはしらないけれど、そんなふうに思う王子さまがかなしい。

そんなことないのに、きっとここでの王子さまをみれば、みんな好きになるのに。


でもきっと、ここでの王子さまは、お城にはいない。べつじんみたいな王子さまでしか、いられない。

だから。



「さよなら」

ひとことだけのこして、王子さまはお城にかえっていった。


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