▼ 鳥籠の恋人
「カズマ様、絵本なんてめずらしいですね。どうしたんですか?」
昼下がりの木陰。
そこに腰掛けた俺を、妻が覗き込んだ。
顔を上げると、いつも通りのやわらかい笑顔。
彼女はそのまま、俺の隣に腰を下ろす。
俺は、そんな彼女の動作を目で追った。
「これは昨日、視察に行ったときに……」
そこまで言って俺は言葉を濁す。
下町の喧騒と、気味の悪い笑顔をした老人が、脳裏によみがえった。
『お兄さん、未来を知りたくないかね?』
この上なく胡散臭い台詞をこちらに投げ掛けてきた、胡散臭い身なりの老いた男。
怪しげな水晶玉を目の前に置き、地べたに座り込んでいる。
『そんなものを知る必要はない』
構わず歩き出した俺の腕を、枯れ木のような手が掴んだ。
振り返ると、老人は笑っていた。こちらが不愉快になるような笑顔で。
『しかしあんたは、不安に思っているね。大切なものを、壊しやしないかと』
『余計な世話だ』
『いやなに、私はあんたみたいな人間が大好きでね。ちょっかいをかけたくなる』
誰に向かって口を聞いている、などと振り払うわけにもいかず、俺はただ黙って老人を見下ろした。
『商売っ気を出すつもりはないよ。あんたにこれをプレゼントしたいだけさ』
老人は、どこから取り出したのか、一冊の絵本を差し出した。
『絵本を眺めて楽しむ趣味はない』
『そうだろうね。だけどまあ、たまには似合わんことも、いいんじゃないかい?』
『……お前は俺の何を知ってる』
『何も知らんよ。興味がない。ただ、わかるだけだ。あんたからは、私の大好きなにおいがする、とね』
ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべた老人から、何故その絵本を受け取ったのかは自分でもわからない。
とにかく早く立ち去りたかっただけかもしれないし、表紙に描かれた、鳥籠の中で途方に暮れる少女が――妻を思い出させたからかもしれない。
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