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つい先日成人を迎えたばかりの私に、結婚なんて十年早い。
父の言いなりになんて絶対になってはやらないと思っていたけど。
「へぇ、珍しい。1980年代のヴィンテージワインですか」
「おお! さすがは千輝くん、目利きがズバ抜けているな。まぁそれもそうだろう、この程度のワイン、かの有名な宝木社長のご子息ともなれば自宅のワインセラーにごまんとあるだろうからな」
「それは買いかぶり過ぎですよ、お義父さん」
私の"許婚"は、思いのほか凄いところのお坊ちゃんらしい。
らしいと言ってもたった今それを知ったばかりで、彼が私のフィアンセだということも、父のことをすでに"お義父さん"呼ばわりしていることも、まだ全然ピンと来ない。
世界屈指の投資家である父は、知らぬ間に私の未来までをも投資していた。
突然許婚の存在を打ち明けられたと思えば、翌日にはこんな形で初お目見えとは。
昨日まで会ったこともない男を前にして何を喋れというの?
さっきからだんまりの私を取り繕うように父が饒舌をふるっているけど、すまし顔でその相手をしている彼も彼だ。
彼はこの結婚に納得してるわけ? 信じられない。
それにしても、もっとこう黒縁眼鏡の似合う小デブな男が現れて、いざ私を前に止まらない汗を拭いながらおどおどする姿を想像していたもんだから、思った以上に教養の行き届いたお坊ちゃんでちょっと驚いてる。
おまけに、悔しいけどこんなモデル顔負けのイケメンが未来の旦那様ならまぁまぁ悪くないかもって。彼がこのホテルのレストランへ入ってきた瞬間は思わずほだされそうになった。
って、ナイナイ!
確かに宝木社長って言ったら、私でも知っている世界的規模の超一流IT企業の大社長だ。
世界で名高い投資家と、世界を舞台に戦う大社長が手を組めば、そりゃもう順風満帆といったところだろう。
だからって何で私が嫁がなきゃならないの?
結婚なんてまだまだ先のこと。私は興味ない。
「どうだ、皐月。今夜は千輝くんと共に過ごしてみたらどうだ。実はこの後、最上階の部屋を取ってあるんだ」
「ぶっ……!?」
全然話を聞いていなかったせいで急にとんでもない言葉が耳に飛び込んで、思わずシャンパンを吹き出してしまった。
「どうぞ、これを。お召し物は濡れませんでしたか」
彼は表情一つ変えず落ち着き払った様子でスマートにハンカチを差し出してくる。
「……お気遣いなく」
なかなか引っ込めない手に根負けして渋々受け取り口元を拭うと、彼はふっと笑った。
「俺は是非。皐月さんのことを知るいい機会ですから」
「わ、私は嫌! 何でこんな初対面の方とっ……」
言いかけて、一瞬彼の睨むような鋭い視線が突き刺さるのを感じた。
その違和感を確かめるようにもう一度彼の方を見るが、見間違いだろうか、ただにっこりと笑みを向けているだけだった。
「皐月、まあそう言わずに、な。若者同士水入らず親睦を深めてくれ。千輝くん、愛想の悪い娘で申し訳ないがこれでも自慢の娘なんだ。よろしく頼むよ」
「こちらこそ。仲良くしましょう、お義父さん、皐月さん」
顔は笑っているのになぜか私には冷ややかに思えて身震いしそうになる。
父の言いなりになんてならない―――そう決めてここへ来たのに、有無を言わさぬその笑顔に圧されて仕舞いには受け入れてしまった。
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