槙島を犯罪者と断言する
「シビュラがあるととても楽だね」
槙島が本から顔を上げて目をまあるくさせて、驚いた。らしくない表情に、口端がちょっと上がる。もう一度同じ事を言うと今度は笑みを浮かべて、
「どうしてそう思うんだい?」
「すべてシビュラの言う通りにしていれば良いんでしょう?こんなに楽なことはないよ。私はかねてから考える事が嫌いなんだ」
「……君は本当に怠惰だ」
ほとほと呆れたように槙島が私を見やって、本を閉じた。それから、ゆっくりと足を組み替えた。あんまりさまになっているものだからちょっと見惚れてしまった。彼が本ばかりにかまけているものだから言ってみたのだけど、思ったとおり食い付いた。
「つまらないでしょう?」
私は君の知識欲やなんやを満たせる存在ではないし、デメリットもメリットもない。だからはやく解放してほしいなぁ。そんな意味も込めて槙島を見ると、槙島はただ笑みを深めただけだった。いやな男だ。突然人を攫ったかと思えば、何をするでもなく最低限の家具と本ばかりの殺風景の部屋に閉じ込めた。会話らしい会話というのもほとんどなく、私はこの男が「槙島聖護」という名前で、なんらかの犯罪を犯しているということしか知らない。
「いや、そうでもないよ。君がいたところでは皆そうなの?」
「ひとそれぞれよ」
言うと槙島はこちらに身を乗り出してますます興味深そうに耳を傾ける。私はそれにチョットだけ気を良くして、もう少しだけ喋ることにした。狡噛サンや宜野座サンにあまり喋らないようにと言われたが、オンナとは元来おしゃべりな生き物なのだ。最近はちっとも喋ることがなかったし、もう少しくらいは構わないだろう。まぁもっとも、ここには狡噛サンも宜野座サンもだぁれもいないので、気にすることもないかもしれない。
「この世界ではある程度の道筋をシビュラシステムが決定してくるが、私のいた世界ではそうではない。私のいた世界は、何をするにも自由だ。怠惰に生きるのも精力的に生きるのもね。いくつもの道のうちで、どの道を選ぶかはその人の自由だ。君のように犯罪を犯すのかもね」
「僕は犯罪者かな」
「私を誘拐しておいて何を言ってるの」
槙島が可笑しそうにくつくつと喉を鳴らして笑った。
「何がおかしいのよ」
「僕を犯罪者なんて言ったのは君が初めてだよ。僕のサイコパスはいつもクリアだから」
この世界では精神状態がを科学的に分析し・計測し、サイコパスを割り出す。そのうちの犯罪係数が一定値に達すると潜在犯──犯罪者という扱いらしい。サイコパスが濁っている=犯罪係数の上昇を指すらしい。だから今は、犯罪件数自体は少ないのだそうだ。日常的にシビュラシステムがいつも監視してるから、社会は平和なのである──なんて馬鹿馬鹿しい。初めて聞いたときにはとても驚いた。
槙島が、朱ちゃんと同じメンタル美人。彼女は確かにそういう人だったけど、槙島は犯罪者なのにサイコパスがクリアだなんて、不思議だ。
犯罪者、ね。槙島が嘲るように言う。
この部屋には時々、槙島の仲間らしい男が訪れる。チェ・グソンという男だ。話したことはないが、多分彼はエンジニアだろう。何度か二人の話を聞いたが、どうもそうらしい。その会話から窺い知るに槙島の最終的な目的はシビュラの破壊だそうだ。
「知っていることがね、幸福であるとは限らないんだ。知らないまま流されることだって幸福なんだよ」
「……突然哲学的なことをいうから驚いた。君の体験談?」
「さてね。でも、流されるのは楽」
「そう」
槙島は足を組み替えて、また本に視線を戻した。もう話は終わりらしい。
「外に行きたいな。朱ちゃんに会いたい」
「……あぁ、公安局の」
「いつになれば解放してくれるの」
「さぁ、いつだろう。僕が満足したら返してあげるよ」
視線をあげないまま槙島が答えた。満足したらっていつよ。ねぇ。文句を言いたいのに、ちっとも出てこない。私はすっかり冷めてまずくなった珈琲を飲み干すと、ソファーに寝転がった。
140708.