後
「組頭、私です。小頭はご一緒ですか」
「一緒だよ、入りなさい」
失礼しますと断って陣幕の内に入る。月明かりと薪に照らされた陣幕は思っていたよりも明るくて、少し目を閉じた。目が慣れてから辺りを素早く見渡す。久しぶりに見た小頭は少しやつれたようだった。
「報告いたします。敵方の数凡そ二万、鉄砲は千丁近くです。明日にはもう着くと思われます」
「……早いですね」
「そうだね。殿に報告してくるからちょっと待ってて」
組頭が立ち上がって陣幕の奥で酒をあおる殿に近寄って耳打ちする。あ、殿の手から盃が落ちた。
目の前で組頭が死んだ。組頭は傷だらけだった。致命傷になったのは、肩から腹にかけての袈裟懸けに斬られた傷だった。今際の時に後は頼んだよと組頭は私に向かって言った。今は戦の真っ只中で、もう城は落ちる寸前だ。何を頼むと言うのか。殿をか。忍び隊の行く末をか。分からない。どっにしろそんな重いものはごめんだ。私は死ぬのには身軽なのがいい。
「くみがしら、」
面倒なものを背負い込まされた。組頭の腰に下げられた忍び刀を自分の腰に下げる。刀は基本的に使わないし自分でも持ってないのでなんだか変な感じだ。ずしと重みがかかる。最後に組頭の目を閉じさせた。さようなら、組頭。殿のことはちょっとまぁ、難しいからさ、忍隊のことだけは任せてよ。あーあ、死ねなくなっちゃった。私の目が黒い内はって嘘じゃないか。まったく。
組頭が最期に呼んだ名前は、私の伯母だった。
誰か忍隊の誰かと会えないかと思って歩いていると、天守閣に着いた。屋根には登ったことはあるが中には入った事がなかった。ちょうどいい、城が落ちる前に入ってみよう。
「……殿、」
入ると黄昏時城城主の黄昏甚平衛さまがちょうど切腹の準備を済ませたところだった。目をまたかせていると、殿の方がお気付きになれて、此方を向いた。そろりと視線が動いて誰かを探しているようだった。
「昆奈門はどうした」
「先程、お亡くなりに」
「そうか……」
殿がそっと目を伏せた。
殿の身体はあちこち傷ついていた。ここは城の一番上に位置する天守閣だ。殿はここから見る景色をたいそうお好きだと聞いたことがある。
「城はもうじき落ちるだろう」
「……」
「小頭以下タソガレドキ忍隊に命ずる。城に火を放て」
「はっ」
天守閣から下へ下へと下っていく最中に小頭に会った。殿からの命と、組頭の件を伝えれば小頭は一つ頷いて─おそらくは他の皆にこのことを伝えるために─姿を消した。
尊奈門を見つけた。幾らか手傷を負っていたが、無事なようだった。あの子供らしいまるまるとした頬に血がべっとりと着いているのを見て、妙な心地になる。私に気付いた尊奈門が目をすがめた。
「組頭が死んだよ」
「っなんで」
「じきに城は落ちる。里に戻るよ」
「待てよ!本当なのか、組頭が死んだって……」
「尊奈門、私は嘘を言わないよ」
「そんな」
尊奈門の大きな丸い目にみるみる涙が張った。尊奈門は組頭によく懐いていたから、その悲しみも一押しなのだろう。
「殿からの命です。城に火を放つようにと」
「っわかった」
まだ納得が行ってない。そんな顔をしながらも頷いて任務を遂行しようとするあたり、彼も立派な忍だなぁと思う。もうあの頃のびーびー泣いていた童ではない。私に背を向けて駆け出した尊奈門は今は立派な忍だった。
遠くから城が燃えているのを眺める。あっという間に広がった火は、城全体を包み込み、ごうごうと燃えている。組頭の遺体はそのまま置いていこうとも思ったけど、結局ここまで持ってきた。組頭は里の皆にも忍者隊の皆にも好かれていた。その死を悼む人は多いだろうし、里へ帰ったら伯母さんの隣に埋めようと思っている。私の後ろでは小頭を始めとした大人たちがそろって今後について語り合っている。タソガレドキ城が負けてしまった今、私達は一つの岐路に立っていた。勝った城に着くか、はたまた別の城に着くか。タソガレドキ忍者隊の里は分かりにくいところにあるが、知っている者は知っているだろう。
「君はどう思う?」
ただ城の方を見ていると、唐突に声をかけられた。とたんに他の人たちが騒ついた。小頭が真っすぐに私を見る。
「私は、このまま姿を隠してしまうのも手かと」
「そんなことできるか!」
「乱世など放っておけばじきに納まるでしょう。半分はすでに彼の人の手の内。我らは我らの里を守れば良い」
「な……!」
「彼の人は忍嫌いと聞きます。すでに領内の忍は排除して廻ってるとのこと。なればその業を捨て、田畑に従事する方がよろしいかと」
そうだね、それも手だと小頭は頷いて、皆を里へと促した。不平不満を溢しながら不承不承里へ向かう。私はまた城へと視線を戻した。これまでの出来事を未だ受け止めきれずにいる。あの人を小馬鹿にした態度ばかり取る組頭がもういないことも、あの変なお顔の殿が亡くなられたのも信じられない。全てずっと続くのだと思っていた。終わりが来るより先に私が死するのだとばかり思っていた。本当はあの炎の中に残ろうと、そう思っていた。でも組頭の言葉が頭から離れなかった。「後は頼んだよ」昔みたいに頭を撫でて、優しく言うものだから、そればかりが頭の中で繰り返されて離れない。
私が腰掛けていた木の幹に、小頭も腰掛けた。しばらく互いに無言で焼け落ちていく城を眺めていると、不意に小頭が口を開いた。
「君の伯母さんはね、それは綺麗な人だったんだ。私の憧れの人でね、組頭の恋人だった」
「伯母が、小頭の憧れ?」
それは初耳だ。伯母が組頭の恋人とは耳にした事があったが、伯母は小頭が憧れるほどの人だったのか。私は伯母についてほとんどを知らない。誰も教えようとはしてくれなかった。
「うん。美人で器量もいいし忍びとしての腕前もとても良かったからね。皆の憧れだったんだ」
小頭がはにかんだ。
「君はね、伯母さんによく似てるよ。だからきっと組頭は君を死なせたくなかった。組頭は君が死にたがることにたいそう頭を悩ませていたよ。君が任務から帰ってくるたびに高坂が手当てして説教していたけど、組頭が一番したそうにしていた」
高坂のあたたかな手を思い出した。怪我をした私を見ては説教しながら手当てをしてくれていた。その奥でよく組頭が意味ありげな目線をよこしていたのはそういうことだったのかと思って、胸が苦しくなる。
「まだ、死にたいかい?」
「死にたいですよ、ずっと。でも頼まれてしまったので」
死ねないですと苦笑すると、小頭が破顔した。
140618