子羊たちの休日
今日も彼女はソファーに丸まって寝ている。一番日当たりのいいそこは、彼女のお気に入りの席だ。夜型の彼女は、1日の半分はそのソファーで寝て過ごす。朝方、日が昇る頃に寝て、お昼過ぎに起きる。そしてそれから寝るまでの間をほとんどパソコンと向かい合って過ごす。グソンには少々劣るが、彼女も中々の腕前だ。一度二人の会話を聞いたことがあるが、専門用語ばかりが飛び交ってあまりよく分からなかった。しかし昼夜逆転した生活は人としてどうかと思うが、まぁそれは置いておこう。今はどうでもいいことだ。そんなことよりも今は本の続きが読みたい。
小腹が空いていた槙島は本の続きを読む前に、キッチンに行ってお湯を沸かした。部屋には壁一面を埋め尽くすような本棚と白い二人掛けのソファーが二つとその間に柔らかい印象の木の机があるだけ。一見しただけではあまり生活感を感じられないが、キッチンはどこか雑然としている。槙島はポットに残っているお湯をティーカップとティーポットに注いだ。お茶菓子を閉まっている戸棚を開けると、スコーンとマカロンがあった。槙島はスコーンを選ぶと、ティーカップに合わせて買ったお皿に二つよそった。ついでに冷蔵庫からブルーベリーのジャムを出して脇に乗せた。スコーンといえば合わせるのは大体の人が蜂蜜かクロテッドクリームを思い出すかもしれないが、槙島はジャムを合わせるのが好きだ。紅茶はアールグレイを選んだ。ティーカップとティーポットのお湯を捨てて、ティーポットに茶葉を入れる。そこにお湯を注ぐととたんにいい薫りがあたりを漂う。槙島は満足そうに微笑んで、近くに置いてあった砂時計をひっくり返す。小さな音を立てながら砂が落ちていく。槙島はティーポットたちをお盆に乗せてソファーに向かった。机の上にティーポットたちを並べて準備する。砂時計はまだ砂を落としていた。向かいのソファーではまだ彼女が寝ている。
相変わらず薄着の彼女に呆れつつ、ブランケットをかけた。すやすやと眠る穏やかな顔を見ていると、時々とても乱してしまいたくなる。いつもニコニコと笑っているその仮面を引き剥がしてその深奥にある彼女自身に触れてみたい。彼女が僕のせいでひどく取り乱して、動揺しているところを見たい。僕は彼女の真実の姿を見てみたかった。
僕は彼女の恋人だというのに、近頃はずいぶんとパソコンのヘンリーに構いきりでつまらない。無機物に嫉妬する日が来るなんて思ってもなかったよ。彼女の相棒のヘンリーを思い出してため息を吐く。一度触ろうとしたら烈火の如く叱られてしまった。彼女はとてもヘンリーを大事にしている。
いっそのこと、僕しか見れないようにしてしまいたいと思う。いつもへらへらと笑っているその顔を、乱して、僕だけのものにしてみたい。
頬にかかってる髪の毛を掬って耳にかけると、彼女が少しみじろいた。もごもごと寝言を言う。「ハンバーグが……ああぁ…」どうやら食べ物の夢を見てる見たいだった。平和だ。彼女を見ているとつくづくそう思う。彼女はいつもニコニコと笑っているから。
槙島は彼女の向かいのソファーに腰掛けると、紅茶をティーカップに注いでひとしきり薫りを味わってから一口飲んだ。ほう、と息を吐く。今度はスコーンにジャムをつけて食べた。美味しい。槙島は机に置いたままだった本を手に取ると、しおりを挟んだところから読み始めた。
肌寒くて目が覚めた。窓を見ると、もう日が沈みかけていた。夕方だ。ビルの隙間から夜と昼の境目が見える。随分寝過ごしてしまったみたいだった。起き上がってぐっとのびをすると、バキバキと背骨が鳴った。ソファーで寝たあとはいつもこうだ。ふと向かいのソファーを見ると、聖護クンが本を開いたままうたた寝していた。珍しくて、思わずまじまじと見てしまった。思っていたよりもいくぶんか子供っぽい印象だ。聖護クンは唇を薄く開いて、寝息をこぼす。手を伸ばして聖護クンから本を取り上げて、しおりを挟んで机に置いた。
聖護クンの寝顔を見ながら、ふふと笑う。
「聖護クン、私は君に感謝してるんだよ」
槙島がシビュラを厭うほどには、彼女はシビュラを厭ってはなかった。それどころかなんでもかんでもシビュラの言う通りにしてればいいだなんて、なんて楽なんだろう!とシビュラに肯定的でさえあった。そんな彼女がなぜ槙島に手を貸しているのかといえば、槙島の言うシビュラの無い人の手だけで成り立つ世界を見てみたかったからだ。その上自分の得意分野を活かせるとなれば、やらないという選択肢は彼女にはなかった。彼女にとって一番なのはヘンリーでありもの言わぬ便利な機械たちだ。そのスキルを活かせられると聞いて、彼女が頷かないわけがない。なんせ彼女はその頃の生活には鬱憤がたまっていた。楽だけど息が詰まるし、何より好きなことを思い切り楽しみたかった。シビュラの顔色を伺いながら過ごす日々になんの意味があっただろう。
だが槙島に手を貸すようになって変わった。1日ヘンリーを構ってられるし、好きなように過ごせる。それに、恋人といつも一緒だなんて、なんて贅沢で幸せなんだろうと彼女は思っている。
彼女はおもむろに立ち上がると、槙島が彼女にかけたブランケットを彼にかけた。
「よい夢を、聖護クン」
子羊たちの休日
140217