きみとともに生まれた星
※旦那設定からさらに数年後で夢主は三十路間近。≠夜久月子
部屋で映画を見ていたら、着信音が突然鳴り響いた。発信者を確認すると『青空颯斗』と表示されていた。映画はそろそろクライマックスだったけど、一気に見る気が失せてテレビの電源を切った。まだ鳴っているスマホをソファーに放り投げた。電話に出る気分じゃなかった。タバコとライターを持って、ベランダに出て火を点けた。一口吸って、吐き出す。
電話をかけてきた青空颯斗くんと言うのは、私の友達の不知火一樹の高校時代の後輩だ。一樹くんとは違って、優しくて紳士的。だけどときどき薄氷のような脆さが垣間見えて、それにひそかにときめいていたらあっという間に食べられてしまった。彼は羊の皮を狼くんだった。正直あの時はお互いにお酒の勢いもあっただろうし、そのままずるずる関係が続いているのはいかがなものかと考えている。
でももう、いい歳だ。そろそろケッコンとか考え始める時期だ。いつまでも年下の彼(しかも有名人だ)と、曖昧な関係を続けているわけにはいかない。女友達の何人かはもう結婚していて、幸せ全開なメールが来るものだからときどきげんなりしてしまう。別に家庭に進んで入りたいわけじゃないけど、両親を安心させてやりたい。私はそれなりには、親孝行者でいたいのだ。大学を卒業して仕事を始めたら、次に両親が心配したのはケッコンについてだった。最近は実家に顔を出すたびそんな話題ばかりだ。三十路は独身じゃいけないのか。まだ三十路ではないけど。
それに颯斗くんだって颯斗くんだ。私に好きだともなんとも言ってくれないから、私だって一歩を踏み出せない。お互いに好きあってはいると思う。少なくとも私は颯斗くんに対して好意を抱いているし、颯斗くんもきっと同じだと思う。言わないだけで、きっと。
ため息と一緒に、タバコの煙も吐き出す。
一樹くんに相談してみたら、ばかにされてしまった。「自分に素直になればいいだろ」それができたら苦労しない。
どうしたものかなぁ。
若い頃に思い浮べていた将来像は像を結ばないままうやむやになって消えてしまった。
毎日朝決まった時間に起きて会社に言って仕事して帰ってきて、休みの日にはときどき颯斗くんとデートをしてセックスをした。
今はもう、将来を思い浮べる余裕なんてない。ただ繰り返す毎日を生きるので精一杯だ。将来なんてわかんない。両親の期待に応えればそれは手に入るのか。
タバコをベランダに置きっぱなしの灰皿に押し付けて部屋に戻る。電話はまだ鳴っていた。電源ボタンを押して強制終了させた。
炊飯器の予約ボタンを押して、ソファーベッドを倒して布団をかけた。明日も仕事だ、もう寝よう。
寒くて起きた。暖房を予約し忘れたらしい。どうりで寒いわけだ。時計を見ると五時ちょっとすぎだった。早すぎる。起き上がって伸びをする。
とりあえずソファーベッドを片付けてカーテンを開けて、朝食とお弁当の準備をすることにした。
諸々の準備を終えて、六時半くらいに家を出た。せっかく早く起きたのだから、散歩を少ししようと思った。歩いていると、途中で何人かの学生に会った。丸い頭に、スポーツバック。野球部かなぁ。ぼんやりと考えながら、駅までの道を遠回りして歩く。
駅の近くまで来て、急に部屋にスマホを置いてきたことを思い出した。取りに行かなくちゃ。最近はスケジュールもなにもかもスマホに入れているので、あれがないとすごく困る。
駆け足で来た道を戻る。
途中ですれ違った学生が、走る私を胡乱げに見て通り過ぎていった。
アパートに戻ると、玄関に見知った人影があった。颯斗くんだった。今日は合う予定なんてないはずだ。彼の傍らには大きなスーツケースがあって、ああ、また遠くの方に行くのだなとぼんやりと思った。
「おはようございます。今日は土曜日なのにお仕事なんですか?」
颯斗くんはなんでもないふうにそう言った。私が昨晩電話を意図的に無視したのなんてなかったみたいに。
「え、土曜日……?」
「ええ。そうですよ。今日は土曜日です。もしかして、曜日を間違えたんですか?可愛い人ですね」
一気に脱力した。くそ、無駄な体力使った。鞄から鍵を取り出して鍵を開けた。
玄関を開けて入る。脱いだパンプスはちゃんと揃えた。颯斗くんは「お邪魔します」と断ってから上がった。あのスーツケースは玄関に置いていた。
ソファーを見た颯斗くんが私のスマホを手に取った。
「電池切れですか?」
「……そうかも。悪いんだけど充電器に差しといてもらっていい?」
「はい」
小さくため息をこぼした。急ににやってきて、どうしたんだろう。颯斗くんは相変わらずニコニコと微笑んでいてその真意は見えない。
鞄を置いて台所に向かった。走ったせいで喉が渇いた。コップを出すのが面倒で、計量カップに水を入れて一気に煽った。
「急に来るなんて珍しいね」
お客さん用のティーセットを用意して、先にお湯を注いだ。その脇に紅茶の茶葉を置いた。こないだ買ったばかりのウェッジウッドのピュアダージリンだ。缶のデザインに惹かれて衝動買いをしたのだが、普通のダージリンよりあっさりしていて飲みやすくて気に入っている。
「実は不知火先輩に怒られてしまって」
そう言って、颯斗くんはため息を吐いた。一樹くんが怒るなんて珍しいなぁ。普段はとても快活で怒るなんてのは滅多にしない人だ。
お茶菓子には何を出そうか。確かおとついクッキーを買ったはずだ。棚を探してみるとすぐに見つかった。袋から出してお皿に並べた。
「怒られたんだ?」
「えぇ、それはもうガツンと。もっとあなたを大事にしろと言われてしまいました」
どきりとして思わずカップを倒してしまった。慌ててカップを戻した。他のカップとポットのお湯を捨てて、ポットに茶葉を適当に入れた。そこにお湯を注ぐ。すぐに砂時計をひっくり返した。
「本当は昨日お話したかったのですが」
「……ごめんね。寝てたの」
カップとポットとお茶菓子をお盆に乗せて、颯斗くんのところに持っていく。颯斗くんはソファーに座っていた。机に置いて並べて、お盆は机の下に置いた。砂時計の砂はまだ半分も落ちてなかった。
「伝えたいことがあるんです」
「うん」
「謝らなくてはならないことも」
「……うん、」
「聞いてくれますか?」
別れ話かもしれないな。付き合ってもいないのにそう言うのはおかしいけど、私はそうかもしれないと漠然と思った。覚悟を決めて、こくんと頷くと、颯斗くんがホッとしたように少し微笑んだ。
「まずは何から話しましょうか。伝えたいことがたくさんあって、迷ってしまいます。ああ……でもまずは、謝りたいことから話します」
颯斗くんは眉を下げて、ちょっと悲しそうな顔をした。
「長いことすみませんでした。とても、不安にさせてしまいましたね。会長にものすごい剣幕で怒鳴られました。お前は名前さんに甘えすぎだって。彼女の気持ちを考えたことがあるのかって胸ぐら捕まれて、初めて思い至りました。すっかり伝えたつもりでいましたが、全然言ってなかったんですね……」
颯斗くんがポットを持ち上げてカップに紅茶を注ぐ。いつのまにか砂は総て落ちていた。ふわりとダージリンの香りが部屋に広がった。
「名前さん。僕はあなたが好きです」
「え?」
「すみません、ずっと言ってなくて。でも僕は、あなたがとても好きなんです」
突然過ぎて頭がついていかない。取り敢えず一樹くんが私の悩みを彼に告げ口したことはちゃんと理解出来た。今度の飲みはあいつに全部奢らせてやる。
「伝えたいことはもう1つあるんです。先輩に、あなたが両親から結婚を迫られていると聞きました。だからというわけではありませんが……僕と結婚してくれませんか?」
そう言って、颯斗くんはポケットから小さな箱を出した。箱を開けると、小さなダイヤモンドがセンターに1つ付いたシンプルな指輪があった。
「急だったので、大したものは用意出来なかったのですが……僕では、頼りないですか?」
とっさに首を振って否定した。
「あ、あの。颯斗くん」
「はい。なんですか?」
取り敢えずこれだけは伝えなくちゃいけない。
「私も、颯斗くんが好きだよ」
きみとともに生まれた星
颯斗は指輪を箱から出すと、名前の左手の薬指にはめた。決して主張し過ぎず、華やかでないが上品なその指輪は、名前によく似合っていた。
140226.