04





「だいすきだよ、善鶴」



場面は唐突に切り替わる。


暗闇の中、決して平坦ではない道を善鶴は必死に走っていた。後ろからは複数の足音が聞こえる。ともすれば止まってしまいそうな足を叱咤してひた走る。生きて帰りたい。彼に会いたい。その思いだけが今善鶴を走らせていた。背後の追っ手に向かって煙玉を投げつけた。今晩は風があまり強くない。煙は早々には晴れないハズだった。
「──ぁ、」
一瞬の熱さが胸を貫いた。血がせりあがってむせた。視界が霞む。胸が痛い。寒い。ああ──いさく。
最後に見えたのはあの晩とよく似た半月だった。





啜り泣く声が耳元で聞こえた。
切ない声が何度も私を呼んでいる。誰の声だっけ。知っているはずなのに思い出せない。あなたは、だれ?
目を開けて最初に見えたのは白い服を着た肩だった。善鶴は首を傾げた。ここには自分一人できたはずだった。本屋で買った本を読んでいたら、日差しがあんまり心地いいものだからついうとうとしているうちに寝てしまったのだろう。
何度かまばたきするうちに目が覚めた。知らない人に抱きつかれてることに気付いて、善鶴は混乱した。しかもその人は善鶴、と自分の名前を呼びながら泣いているものだから、善鶴はよけいに何が何だか分からなくなった。
善鶴は小さく悲鳴を上げた。腕から抜け出そうと身を捩っていると、泣いている人は顔を上げて善鶴をまじまじと見た。彼の親指が善鶴の目の下をなぞる。

「……善鶴、もしかして」
「っ放してください!」
「覚えてない……?」

覚えてないも何もお兄さんとは初対面ですが──そう言おうとして、善鶴は思わず口をつぐんだ。善鶴を抱き締めていた彼が、とても悲しそうな顔をして呆然としていたからだ。なぜだかは分からないが、彼のそんな顔を見るのは嫌だった。

「あの……?」
「っごめんね、間違えちゃったみたい」

彼は善鶴からパッと離れると苦笑して謝った。善鶴としっかり目を合わせて、ごめんねともう一度謝る。

「本当にごめんね。君がすごく大切な人にそっくりだったから」

目を細めて優しく笑う男を見て、善鶴はこの人は本当にその人が大切なのが感じられて、胸が温かくなった。
そういえばちょっとだけ、最近よく見る夢の中の人に似てるかもしれない。笑い方なんてそっくりだ。

「……その人も、善鶴という名前なんですか?」
「うん、そうだよ。──もう、ずいぶん前に死んでしまったのだけど」

その瞬間、いつか夢で見た光景を思い出した。高い満月。貫いた刃の熱さ、痛み──。それらを思い出して、善鶴は思わず、胸のあたりをぎゅうと握り締めた。胸が痛い。気胸が起こったときとは別な痛みだ。切なくて、なんだか悲しい。胸がはち切れてしまいそうだ。

「ごめんなさい、辛い事聞いちゃって」
「ううん、気にしないで。僕はね、善法寺伊作っていうの。君は?」

にっこりと笑って、善法寺が善鶴に手を差し出した。その手を握り返して、善鶴も微笑んだ。

「私は、津久見善鶴と言います。よろしくお願いします、善法寺さん」







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