帝王観察日記 | ナノ


好きだけど嫌いな人の話




 ひとつ、違和感に感じたこと。夜になったというのにあの男の部屋が暗いまんまだったこと。ふたつ、耳をそばだてても物音すらしないこと。みっつ、この時間はいつもなら会話をする時間で、こんな事は今まであり得なかったということ。
 ノックをする。返事はなかった。ドアノブに手をかけて戸を押す。ギィ、古びた金属の音がして次の空間へと歩が進む。部屋は普通なら何も見えやしないほど真っ暗ではあったが、吸血鬼の夜目の良さが功を奏してベッドの上にぽっこりと白くて馬鹿でかい、キルトで出来た饅頭が出来てるのがわかった。もう一歩、進む。

「くるな」

 低く唸るような、警戒するようなくぐもった声が部屋の中に響く。ああ、間違いなくDIOの声だ。ただやはり様子が変だ。
 無視してもう一歩進む。
 くるなといっている
 怒鳴り声に近いその声が饅頭の中から聞こえる。どうしたの、と声をかけても返事はない。一旦歩を止めてから、嗚呼と溜息をついて目を閉じた。───影に追われる獣の正体なのだろうか。はじめて一目見た時から感じていた、隠していたつもりなのだろうどうしようもなく弱い所なのだろうか。
 いつもはなんでもなく振る舞っていても。突然自分の嫌な部分への罵声や切り取って捨てたいくらいの苦い記憶が、世界が暗くなった途端待ってましたと言わんばかりに襲ってくる。この男の「それ」はどんな形をしているのか知らないが、化け物は確実に「それ」らによってこんな成れの果てになってしまったのだろう。何に怖がっているのか…その時のあたしにはまだ、よくわかっていなかったのだけれど。
 逃れるように、道を行く。周りになんて目を向けず、脇目も振らず、ただ果てのない道を酷く曖昧なゴール地点に向かって猛スピードで逃走するように。
 はっきりと、可哀想だと思った。
 きっとそういえば彼は怒るに違いない。けれど“リリィ”の目には、それはあわれな獣で、かわいそうな子供にしか見えなかった。

 一歩、二歩、三歩、迷いなく饅頭の近くへと近寄る。シーツとキルトの隙間から、赤い目がじっとりとこちらを睨んでいるのがわかった。

「来たら殺す」
「そのための行動よ」
「…」

 ヴゥ、と唸り声。目は布の中に埋まってしまった。

「なによ、恥ずかしいの?」

 返事はない。あたしは何となく、その饅頭に手を乗せて、その丸みを人形みたいに抱きしめるようにして体で覆い被さってみた。DIOの固い体に沿って自分の体が布越しに密着する。

「今更。あんたの化けの皮が剥がれることくらいでなにを言うの」

 失望しやしないわよ。あんたになんか何も期待してないんだから。

「大丈夫よ」

 ね。
 キルト越しに硬い体をぽんぽんと叩く。

「大丈夫」

 あたしに対して心配することなんてないわよ。
 理由を聞くわけでもなく、雛をかえすようにその白い塊を撫でて、優しく叩く。理由は聞かないでおく。
 もぞり。塊が動く。
 塊が起き上がる感触がしてあれ、退いた方がいいかしらなんて思案した瞬間、固い塊があたしを白い饅頭の上から押しのけた。キルトから飛び出してきたDIOは相変わらず半裸だった。別にこれといった抵抗は特にないけどもちょっとはデリカシーを持って欲しい、とはめんどくさいのでもう言わない。キルトから出てきてベッドの上で座ったままの状態でいるDIOは、いつもの覇気が全く感じられない猫背を向けたまま黙り込んでいたが、不意に「何が大丈夫なのだ」と低く…本当に低く唸った。

「それなら、DIOは何が大丈夫じゃないの?」
「…………」

 こちらを向いた化け物はらしくなく髪がバサバサだった。そしてとって食わんばかりに鋭くあたしを睨んでいる。その目も、憔悴してるようにみえた。それを静かに眺める。

「大丈夫なものは、大丈夫なのよ」
「……」
「DIOが今大丈夫じゃないって思ってるのは、全部大丈夫な事だから」
「……」
「…何も心配することなんてないわよ。そーでしょ」

 やつれて余裕がなく、殺気ばかりでギラギラしていたハイエナのような目は、顰められた眉とともに視線を下へ落として口を動かした───「はなしをしろ」と。

「話?」
「……」

 髪がバサバサの化け物が覇気もへったくれもない仕草で、キルトの中へもそもそと戻っていく。話って何よ…と頭を捻ったその時、そのキルトの中からぐわっ!と手が伸びてきて、あたしの腰あたりに巻き付いたのだ。悲鳴を上げる間も無くしっかりと腰を抱かれ、布の中へずるんと引きずり込まれる。カメレオンに食われる虫の気分を味わいつつ───布の中。あたしの背中側に、ライオンの鬣みたいにバッサバサ髪をした化け物の気配がする。するどころか、ほぼあたしの背中とこいつの胸がくっ付いている状態だ。食われるのか、喰われるのか、どちらか。ちょっとばかり息を飲んだものの、そんな素振りは全くなく……よもや化け物は、DIOは、ただの抱き枕のようにあたしの体に腕を回していた。
 あーなんだよ。拍子抜け。そんな事を思っていたのも束の間。

 はなしを

 水分がなくなってカスカスになった声が、ささやかに、しかし訴えるように後ろから投げ掛けられた。
 …思い出したくない大嫌いなことだとか、自分が大嫌いな自分の所が見える日は、必ず暗闇と一緒にやってくる。人間は寝れば勝ちだけど、夜に起きる吸血鬼は、どんな気分でいるのかなあ。やっぱりこんなのにも自己嫌悪ってあるんだろうか。
 こんな男の、この微かで必死な声を拾った人はいるんだろうか。

「…あたしが好きだった本の話でもいい?」

 塊が後ろで縦に動く。三個くらい本の内容を感想と一緒に話しながら、大丈夫と呪文のように唱えて体をホールドする手を赤ん坊をあやすようにたたく。化け物の息遣いだけが、静かに耳を掠める。DIOにもあたしにも体温はさほどないので、布の中は人みたいに暑さでとんでもないことになることはなく繭の中のようで快適だった。

 そうしてる間にいつのまにやら寝てたらしく、朝起きたら変わらずにDIOのベッドにいた。後ろを向くと、あたしから少し飛び退いた格好のまま、至極驚いた顔で目を白黒させてるDIOがいた。

「…何よ、そっちが引き摺り込んできたくせに」
「……、…」

 何を気にするでもないこちらが欠伸をしてる頃合いに昨日の事を思い出したのかこの世の終わりみたいな表情の顔を真っ青にしたり真っ赤にしてたりする帝王様。「なにその童貞みたいな反応」と全く包み隠してない言い方をすると、頭を片手で掴まれてブチ切れられた。まず誰が童貞だとか、そもそもこの前も言ったがそのなりをして下品すぎるだとか、この頭握り潰してやろうかとか、色々。握り潰さないところがまた腹立つんだけれど。
 頭を解放してもらってから、DIOを見ながら口を開く。今更恥ずかしがることもないのだ。

「大丈夫っていったでしょ」
「、…」
「大丈夫よ、DIO」

 別に引いたりなんかしないし、この後だっていつも通り。
 ただ掻き消す用の話ならいつだって持ってくるわよ。

「…忘れろ、今すぐに」
「あたしが忘れたら、次の時はどうするの?」
「…」

 次などないと断言しないだけまだ素直なのかもしれない。

「大丈夫よ。どんだけ好きでもほんのちょっと嫌いな部分は誰にだって、あたしにだってあるんだもの」
「…」
「次はもっと面白い話を持ってくるわね」
「…昨日の話はクソつまらなかった」
「まあそうよね」
「つまらなかった」
「もーわかったわよ」
「…」
「DIO?」

 失態だ。
 震えた声は怒っているようだった。あたしにではなく、多分自分に。顔が赤いように見えた。

「…DIO」
「うるさい暫く私の部屋にくるな、絶対にくるな」
「…」
「絶対に、くるな。」

 ああ、自己嫌悪。
 顔を手で爪を立てながら隠し、歯を食いしばりながら俯く。その痛そうに爪を立てている手を引っぺがして(吸血鬼になったからかそれくらいの腕力はあるようだ)爪が刺さっていた部分から順番に、頬を撫でる。
 触れたのは、はじめてだ。
 すべすべとしていた。
 赤い目が、行動が理解できないらしくじっとこちらを見る。あたしはその目を真剣に射抜きながらもう一度「大丈夫」と声をかけた。

「昨日も言ったけどね」
「…」
「別に失望もしないし、特に弱みを握ったとかいう優越感なんてのもない。あたしにとったらはじめから何となくわかってたことなのよ」

 傷は数秒しないうちになくなった。

「毒抜きに好きに使いなよ、あたしを。」
「……お前は、」
「大丈夫なもんは大丈夫なの。そういうものなのよ」


 DIOは何も言わずあたしを見下ろして、水を飲みに行くと部屋を出ていった。
 この人臭い化け物のあたしを見下ろす目が変わったのは、多分この日からなのかもしれない。





夜は自己嫌悪で忙しい





 いつの日からか、恐怖を乗り越えるのだと彼は宣いはじめた。運命を乗り超え、恐怖を乗り越え、絶対的な安心の元全ての頂点へと達すると。彼が何の鳥籠に捕まってるのか、怯えているものが何なのかなんとなく分かった気がした。

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