錆びた歯車の軋む話 何かがチクリと胸のあたりを突いた。 軽蔑の目か、いや、失望の目だ。築き上げていたものが綺麗に崩れ落ちる音が確かに聴こえる。痛みの肥大化が収まらない。痛い。…まさか、スタンドの攻撃ではあるまい。 彼女は、手負いの花京院をなるべく丁重に担ぎ上げた。 なんで、どうして、ずるい。話が違う。 誰かがわたしの耳の中で喧しく叫んでいた。 これだけは言わせて。と、リリィの、軽蔑でも侮蔑でも怒りでも失望でもなんでもない…ただ悲哀だけに満ちた紅い目が、こちらを視た。 「なんでそんなふうに、自分から、ひとりぼっちなんかになりにいくのよ…ッ」 ひとというものは実に愚かで、何度も同じような失敗を繰り返す。 どこへ行く気だ。 私がワールドを発動する前に、「ユニバース」を呼び出される。気がついたらそこにはリリィと彼女が担いだ花京院は居らず、後ろに瞬間移動をしていた。あの厄介な瞬間移動を繰り返され瞬く間に距離が出来る。もう見えない。どこにも見えなかった。 見棄てられた。その言い方は甚だしい。俺が“奪った”のだ。彼女が持つ自分への信頼を。自分で。自分で首を締めた。自分からひとりになりにいった。俺はいつでも、どんなときも、自らそうした。故意な時もあれば、無意識にも。 話が違う。 まだ誰かが叫んでいる。 無意識に。ジョースターだけは根絶やしにしなければならないから、何としてでも生きなければいけないから。その仲間だって子孫だって同じようにするだけで、でもリリィは誰も殺すべきではないと言う。殺さなくても道はあるはずだと、だが、ジョースターだけは、この世界だけは許せない。許さない。こんな世界なんかに愛され恵まれたジョースター共が。 俺は。 リリィが、戻ろうと言った。かえろうと言ったのだ。 「戻ろうよ」 どこへ。何処に戻るというんだ。ひどく弱い声だった。リリィらしくない悲しい声だった。 ……あの生活以外に、何があるという? 誰かがそう言う。 あの生活。生ぬるくて仕方ない、それでも、嗚呼、生温かったが、あれは心地いいとも言えるべき感触だったのかもしれない。グルグルとそんな考えが呆然とした脳味噌を駆け回る。 心地いい場所に、逃げようと。 ───リリィが、殺せという事以外の事を自分に嘆願したのは初めてだなあ。 はじめて。 はじめて、言われた。“願い”。を? はじめてだったのに? ───そこまで考えて、身体に冷や汗のような冷たいものが一気に蔓延った。 「……」 呼吸が苦しい気もする。近くの建物の屋上にふらりと降り立ち思わず膝までついてしまう始末。自分の顔は今きっと青いのだろうか。それくらいに戦いで高揚していた体温は急激に冷えていた。 無下にした。 そんな単語が頭をガンガンと殴っている。 リリィが、帰ろうなんて願ってくるなど思ってなかった。元々大事にするつもりで置いてきたはずのものだった。まさか、起きるとは思ってなかったのだ。私は、あのときなんて言ってたのだろう。なんだか思い出せない、彼女を、要らないと、言っていたような、どうせ自分はわたしの事を理解してやれないと自嘲した彼女に「そうだ」と言ってしまったような、もしかしたら、一番するべきでなかった事を、たくさん、したのでは。言ったのでは。 漸く死ぬ事以外に願いを見つけた彼女に、自分はなんと言っただろうか。 ドグ、ドグと内臓が煩かった。 ぐらぐらと、何もしていないのに頭の中が揺れる。 もう、だめだ 何処からか掠れた声がそんな言葉を吐き出したのを耳にした。 おおきなこえで、だいきらいだと、言われた。鳴らない心臓が収縮したのを覚えている。それは思いだせる。 きらわれた。嫌われたのだ。今度こそ。もう戻ってこない。 嫌われても、仕方がない。 「帰ろう」と、言っていたのに。 せっかくの願いを、せっかく、やっと、あの子供が、ようやく、わたしに、 ぐらぐらと揺れる。 きもちがわるかった。 またか。 また。 元々随分と暗かった世界が一層暗く影を落としたような気がする。 「……クッ……ク、は、は」 人というものは、実に愚かだ。何度も何度も、学習しない。 DIOという生き物は、孤高の存在。孤独の象徴。やはりどうしたって「奪う者」以外のものになる事は、できないのだ。理解されようとも思わない。もう戻れないかとも思っていたが、なにやら俺は戻ることができたらしい。あの娘と会う前の“私”に! 私という存在は、牙はまだ折れていなかった、毒されきってはいなかったのだ。私は私を取り戻せた。実に、実に喜ばしいことだ。 よろこばしいのだろうか。本当にそうなのだろうか。わたしがほしかったのは。言いたかったのは。ほんとうは。なあちがうんだきいてくれいかないでそうじゃないおれは 問うてはならないことを問うている気がして、すぐに考えることを辞めにした。 話が違うじゃあないか。 つよくなったのに、もう弱くなんかないのに、どうして消えていってしまうんだ。 誰かが、私が、どこかで泣きながら叫んでいた。 人知れず笑いが込み上げる。笑いながら、自分が本当に「笑う」ということをしているのかもわからないまま、心臓のあたりに爪を立てた。痛い。さっきからずっと、この奥が不可解に痛くていたくてたまらない。爪を立ててるせいだきっと、考えたくない、かんがえたくない、何もだ。 話が違う。 もう弱くなんかないのに、弱い時は散々見捨てて、強くなって牙をもててもなお見捨てられるのか。 高らかな哄笑のような、滑稽で力のない嘲笑のようなものが宙に響き空気を震わせる。帝王の復活だ。取るに足らない人間…ジョースター共、お前達はここで根絶やしにしてやる。根絶やしにしなければならない、そうしないといけない、どいつもこいつも全部破壊してぶっ壊してめちゃくちゃにして粉々にしてやらなければ、もう出来うる限りに暴れるしか心のやりどころもなく、道も残っていない。 …この道を選ばなければ、今も変わらず彼女が傍にいたのだろうか。何も代わり映えもなく平穏に笑い合う日が続いていたのだろうか。いつか何処かでふとした進展があって、何事も無く彼女の笑顔が見れていたのだろうか。きっとそうだったんだろう。あちら側の道はそんな道だったんだろう。そして今頃何処かに隠れて逃げてまた緩やかな日常を繰り返していたのだ。なぜ俺は、どうして其方を選べなかったのか。あんなに欲しいと思った、死ぬ事以外の、彼女の一生に一度にも等しい願いすら聞いてやれなかったのか。話が違う。弱くても強くても、選択を間違えれば意味がないなんて聞いていない!! また、間違ってしまった。学習もせず、飽きることなく同じ失敗を何度も何度も繰り返しては首を締めるのだ。 「もういやだ」 ぐるぐると。 歯車みたいに同じところばっかりを ───────── もうやけくそだよねわかる〜 |