帝王観察日記 | ナノ



 暫くして、財団の関係者とジョセフ、ポルナレフもこちらへやってきた。灰を見詰めては其々の反応で、やはり、驚愕を見せている。財団達との交渉の挙句、館の中に残る仲間の遺体は正しい形で埋葬し、灰はリリィの心を尊重しイギリスへ本人が持っていくことになった。彼女の身柄は財団及びジョセフが、正式に成人までの勉学を修了する短い間ではあるが引き取り人になるらしい。
 リリィが館の自室の身支度を済ませている間、ポルナレフを筆頭として承太郎達はあの穴だらけのフロアにいた。様子が気になった彼女がスタンドを使いそっとその場を覗く。緊張の糸が切れたのかポルナレフは地に伏せて大泣きしていた。花京院は大きい仕草こそしていないがふるふると肩を震わせている。ジョセフは老練であるだけあり涙を流さず、しかし重く深い悲しみを目に宿して、帽子を取り祈りを唱えている。
 承太郎に、視線を持っていく。仲間達の後ろで帽子を取り、残った遺体を見下ろす緑色の瞳。涙はなかった、ただジョセフとは違い、酷くやつれた顔をしている。それだけが彼女の気掛かりになった。

 特大のトランクを団員に押し付けて取り敢えずは彼らの帰路に同行する。DIOの遺品の処理は承太郎とリリィ、ジョセフが信頼する財団員の極少数を引き連れ後日行うことに決めている。そのための休息だ。
 空港の待合でポルナレフがリリィに話しかける。

「で、結局灰はどうすんだ?」
「ロンドンの元貧民街あたりに、多分あいつのお母さんのお墓があるはずだから、そこの土に還そうかなって……ジョナサンの灰でもあるんだし、あとジョナサンの頭もあるのよねえー。これはおじいちゃんに渡すけど、取り敢えず二人の灰は還してあげなきゃだめでしょ」
「…そうかァ、まずは墓探しだな?オレでよけりゃあついてってやるぜ」
「ま。半吸血鬼なんて世にも珍しいあたしは勿論SPW財団の保護下に入るから、それくらいはどうにかしてくれるだろうし。一人よりポルナレフと一緒のが楽しいかしらね」

 足を組みながらジョセフに向かってニヤリと笑う彼女にちゃっかりしてんな、と突っ込んだ承太郎は帽子のツバを指で目深に下げた。

「あーあッ 一世一代のワガママ、きいてもらえなかったな」
「……」
「ちょっと、時化たツラしないでよ。承太郎は間違ってなんか無いのよ、むしろあたしにはできなかったあいつの鎖を解いてくれたんだし」

 感謝してるのよ。その言葉にも、帽子の奥は浮かない顔をしていた。その隣にいる花京院にも目を向ける、彼も難しい顔をしていた。
 これは長い「ケア」がいるだろうなあ、とリリィは独りごちて唸る。考えてもみればそうだ、平和の象徴日本で育った、血縁や能力を除けばなんでもないただの高校生。激動の時代や土地で死線をくぐり抜けてきた後の二人とは違う。情状酌量の余地もない悪人だと思っていたやつの人間臭いところを嫌という程見てしまって、彼は死に、彼が愛し残した人は自分達の隣にいる。重く受け止めないわけがなかった。この若い二人のどちらかが欠けていたらどうなっていたのだろう、きっと後戻りが出来ないほど…傷ついていたに違いない。DIOの手を汚させない為なんて理由が理由ではあったが、やはり花京院少年を助けて正解だった。リリィは二人の間に割り込んで座りながら思った。
 この子達は優しく、清すぎた。特に空条承太郎は。
 激昂するつもりでドンと二人の背中を叩く。…しかし吸血鬼の力は半分といえども並大抵ではないらしく、二人は地面に転がって悶絶してしまった。

「うっわ、ごめん、やば…そんなに力入れてた?」
「……く、くっそ…いてえ」

 声を出すのが精一杯、というような承太郎の震えた声にリリィは本格的に申し訳ない顔をした。

「めちゃくちゃ、痛いです…も、もう恨むなら中途半端にせずいっそ一思いに…」
「違うわよッあたしは元気付けようとねえ」

 突っ伏した体を引っ張りあげて二人を見おろす。それから、その場に屈んで、二人の頭を腕で寄せ抱き締めた。「お疲れ様。あんた達もたくさん辛い思いをして、頑張ったんでしょう。」そんな言葉を掛ける。

「色んな戦いをして、大事な人を亡くして、悲しくて、疲れたでしょう。頑張ったわね、二人とも。あたしよりもずっと年下なのに、よおく…頑張ったよ」
「…あなたもじゃないか」
「ん?」
「大事な人を、なくしたのは」
「お互い様の話ね」

 彼らは暫く黙っていたが、花京院が腕から離れて静かに口火を切った。

「…………いいんですか。僕らに、労わるような…そんな事を言って」
「どうしてそう思うの?」

 頭を離し微笑んだまま首を傾げ問う彼女に、目が泳ぐ。

「僕らは…」
「あんた達じゃなくてDIOが願ったことだからカンケーないわ、自惚れないでくれる」

 突き放すように言われた単語は、思いの外柔らかかった。…館の庭にいた時のことを承太郎は思い出す。───「借りたものが多すぎたのだ」とDIOを指して言った祖父の言葉に、リリィは彼の目の前に立って目を見据え、堂々と言い放った。

「少しだけ、違うわおじいちゃん」

 赤い目に邪気は無かった。

「借りてたんじゃない、返して貰おうとしてただけよ」
「ただ返して貰おうとしたモノが自分がとられたモノと合わなかった。それを理解できてなかった……ただそれだけ」

 たったそれっぽっちの齟齬で生まれたイトの縺れが、色んなイトを巻き込んで大きくなっちゃっただけの馬鹿げた話よ。リリィは少しだけ嘲笑を孕んだように口の端を釣り上げて、館へと歩み始めた。

「孤独の卵から、悪人は生まれて、苦しみの温床で彼らは育つの」
「…」
「こっちよ、仲間の遺体、回収したいでしょう」

 ───悟ったような、腹癒せとでもいうようにほんの一撫でこちらを責めるような口振りをして、それがお門違いな事に気付いてあなた達は間違っていないとフォローする。いっそ、死ぬほど責めてくれればいいのに。お前のせいだ、お前が幸せを奪ったんだ人殺しと怒り狂って殴ってくれれば、きっと少しは救われる。他の奴らはよくやった、よくぞ悪の吸血鬼を倒したと賞賛の言葉を並べるが、聞くたびに頭を抱えて蹲り耳を塞いで泣きたい気分だった。承太郎はだが、しかし、泣けなかった。一番悲しんで泣くべきなのは彼女であるのを分かってしまっていたからだ。
 二人が笑っていた情景を思い浮かべるたびに心臓が軋み、自分の拳が酷く汚く見えた。

「承太郎」

 意識の遠く先から花京院の声が聞こえる。ふと顔をあげれば、隣に戦友がいる。

「顔色が良くないぞ」
「…お前もな」

 花京院も、顔色が優れなかった。同じことを考えているのか、どうなのか。聞かずとも、彼は遠くでジョセフを引っ張りお土産なんかを見ているリリィの姿を見ながら、口を開いてくれた。

「…承太郎、僕もだけれど、もう考え過ぎない方がいい」
「どういうことだ」
「僕は、マンガのように悪人から善人の道に引き戻してくれた人と一緒に、ゲームみたいな正義のヒーローとして戦ってるような気分でいた。そうだったんだ、あの人の人間みたいな脆さを見るまでは」
「……」
「化け物でも元が人なら、それは紛れもないヒトなんだ。僕らはわかってなかっただけなんだよ。正義のヒーローなんてどっち側にもいないってことをさ」

 やられたからやり返して、その繰り返し。世間からみれば自分達は紛れもない正義なのだろうけれど、僕らからすればこんなもの正義でもなんでもない。当たり前のことだ。

「だってここはファンタジーでもメルヘンでもなけりゃ、カッコイイ戦闘アニメやゲームの世界なんかじゃない…現実の、ただの人である限り、完璧な悪にも正義にも誰もなれないんだから」
「…」
「それだけの話さ」

 承太郎の手も、僕の手も、ジョースターさんやポルナレフ、イギー、アヴドゥルさんの手でさえ、汚れていて当たり前だ。汚れていなければおかしいのだ。完璧に美しく育った人などいない。誰かの悪は誰かの正義で、逆もまた然り。だから承太郎も間違ってはいないし、DIOもきっと間違ってはいない。簡単な均衡の問題だった。どちらかが世間の目から見て、悪と正義の形に配置されなければ、世界は回らない。

「だが、」
「…」
「あいつの大事にしていたものを、潰したのは」
「潰すか潰されるか、リリィさんも…言ってたろ」

 花京院は少し泣きそうでいた。
 戦うって多分こういうことなんだ。
 確かめるように、言い聞かせるように、強く、その言葉を発した。

「……はじめは、許せないって、思った。あんなに、漸くってかんじで思い会えた所なんて、幸せそうな所なんか見せておいて、自分はさっさと死んでしまうんだぞ? しかもあの人を置いてだ、僕はDIOを許せなかった! でも、冷静になったら」

 それは全く以って仕方のない事で、あの男は此方に権限を譲ってくれたに過ぎなかったのだと解ったら。どうしようもない脱力感と、無力感と、喪失感ばかりが背中にのしかかって、死ぬべきだったのはこちらなんじゃないかって思ってしまうくらい辛くなった。

「そんなこと言ったらリリィさんに半殺しにされそうだから言わないけど、…やっぱり辛い。なんなんですかこれ、なんでこんなに…理想と現実は、違うんだ 助けてもらったんだぞ。生かしてもらっといて。僕はあの人を一ミリも、あの人の欲しかった幸せに導くどころか」

 震えた声を出しながら、両手で顔を隠し項垂れる彼を見る。どちらかしか取れない重い選択を、自分はあの時確かに行って、自分達の得する方を選んだ。当たり前だ。その選択は誰にも責めることはできない。そしてあの男はそれに抵抗するどころか、自分から乗った。あの時間であれば容易に逃げ出すことだってできただろうに、なんとこちらに大事なものを守る権限を譲ったのだ。だが遺された彼女の存在は…
 押し黙って花京院の独白を聞いていた承太郎は、帽子のつばを指で弄った。

「…託された、ということか」

 良い言い方をすれば。
 悪く言えば押し付けられた、ともいうが。なんだかあの男に「お前達の知らない苦しみをたくさん味わえ」と言われているようにも見えた。悪人は孤独の卵から生まれ苦しみの温床で育つ──リリィの言葉を思い出す。きっとそういうことだ、だから何も知らず幸せを消費して正義を宣った罰を今、与えられている。対峙した邪悪なあの目は、根拠のない邪悪なのではなく、世界全てを怨恨する不幸者の目だったのだ。
 自分たちは架空の世界のような悪をやっつけるヒーローなどではなく、人同士の小さな戦争をしていたにすぎない。承太郎の思考はそこまで辿り着き、大きく息を吐いた。

「そう、託された。いろんな人から……よりによって、敵にまでも。善悪で考えるのは、しんどいからもうやめよう、悪い悪くないじゃなく…“敵”か“味方”しか、僕らの周りにはいなかったんだ」

 そうかんがえれば、少しだけ気持ちは軽くなった。ただ同時に居た堪れなくなった。自分の為などに彼女が苦しくなる結果になってしまったのだから。母を見殺しになど出来るわけがなかったが、その負い目は深く心臓を抉りにきた。空条承太郎は人として優しすぎる。リリィが危惧していた通りの思考に、彼は陥っていた。

「だから決めたんだ」

 花京院は真っ直ぐ、目の前の滑空場を見据えている。その目には覚悟の光が見えた。
 リリィは、DIOは太陽の照らす方に己を行かせるために自分達を…ジョースター側の人間達を指したのだと言っていた。

「指名されたんなら…あの人がこちら側の道を笑って進めるように、僕はついてやれるところまで一緒に行くつもりだ。それが恩返しで、責務だと思っている」

 母の命が助かり、相棒を助けてもらい、彼女の大事なものは全部壊れ無くなり、それでも赤い目はやさしく笑っていた。それならやはり、彼女の行く道を隣で歩んでやることしか自分に出来る事はないのだろう。花京院は特に思っていないようだが、承太郎自身にはそれがとてつもなく重い責務に思えた。果たして自分にそんなことが果たせるのか、不安でしかなかった。

「典くんちょっと顔色よくなった? …承太郎は…相変わらずね、ご飯食べてないの?」

 買い物をしていたらしいリリィがコンビニ袋を持って目先の真ん前に現れる。まあ食べれない理由はわからなくないんだけど、なんて言葉を押し留めながら袋から取り出したスポーツドリンクを二人に渡す。花京院は吹っ切れたのか、弱々しくも笑ってみせていた。承太郎は手に取ったスポーツドリンクですら、飲む気にもなれずにいる。指摘されたとおり食事は二人とも食べていなかった。ポルナレフは腹が減っては気分もなんとやらといって無理にでも口に詰めていたが。

「それはお前もだろ」
「あたしのメインは血だもの、他のご飯はそれの足しってだけ。食べなくたって生きれるわ」
「……」
「…承太郎、ちょっとこっちに付き合ってくれる?」

 学ランの首根っこを掴まれ椅子から立たされる。

「…」
「あたしの存在はあんたには重いわね。そうでしょう」
「、……」
「あそこに座ってくれる?」

 少し離れた、空席の座席を指す。
 そこに座ると、リリィは自分は立ったままで承太郎の帽子を取り上げ髪を手のひらでかき混ぜた。

「清くて優しくて不器用な、愚かな子」

 その手のひらは頬に添えられて、リリィの目を見れないようにされる。いや、元々見る勇気などなかったのだが、胸元に飾られた赤いリボンだけを見つめる羽目になる。何も言えないでいると、彼女は勝手に色々なことを喋り始めた。

「気にするなだなんて言えないし、言ったとしてもあなたは気にし続けるんでしょう。でもこれだけは覚えておいて、これはね、この結末は、こっちが望んでそうなったんだってことを」

 優しい声だった。
 ──あたしはあなた達を苦しめる見せしめのために残されたんじゃなくて、DIOに貰った生を全うすることと……彼が与える者になれたこと、ディオ・ブランドーが確かに100年前から生きていたという証のために、ここにいるのだということ。

「スタンドの発現は不可抗力だった、DIOも承太郎の母親が危機になるなんて思っていなかった。でも確実にDIOの所為ではあった。だからあなた達はDIOをやっつけにきて、DIOは抵抗した。どっちも悪いのよ、けど言葉の裏を返せばどっちも悪くないの。誰もわるくない。お互い様の話なのよ」

 仕方のないことだったの。
 悪夢をみて啜り泣く子供を、宵闇の中で宥めるような声だった。
 承太郎は緑玉の目で目の前をじっとりと見つめた後、噛み切らんばかりに唇を噛んだ。彼女の言う事全てにわけのわからない怒りが込み上げる。どうしてわらうのか、置いていかれたのに、どうしてこちらに同情するのか、自分達がいなければ二人は今よりは幸せでいれたろうに。笑いあっていれただろうに。わからなかった。何故彼女がこんなにも献身的でいられるのかが理解できなかった。

「…」
「承太郎」
「死ぬほど恨まれる方がまだマシだ」

 声が震える。目の奥が、脳が、煮えたぎるようだ。熱くて熱くて、どうにもできない。頬を固定する細い両手首を乱暴に掴んで彼女を見上げてやる。ギチギチと手首の骨がなる音がした、頭に血が上っているからといって女に乱暴はいけないとは思ったが彼女とて半分でも吸血鬼だ、痛そうなそぶりすらみせない。そのせいでか手を緩めることはできなかった。二つのピジョンブラッドは暫く唖然としていたが、やがて不思議な光を灯したその瞳で此方をじっと見、何かを悟ったような顔をしてみせる。

「てめーは大事なもののために悪役になれるかと、俺に言ったな」
「ええ」
「俺は悪役だ」
「…」
「てめーからしたら、大事なもののために奴を殺した俺は悪役だ、そうだろうが」

 恨まれなければ、おかしい。お前はおかしい、お前だって人なんじゃないのか、聖母のフリなんかするな。正直に俺をゆるさないと言え。
 きっとそう言いたいのだろう。言葉尻に近づくと共に伏せられていく目の中には、はっきりとした悔恨と罪悪感がこびりついていた。

「仮に、沢山誰にぶつけようのない恨み言を承太郎に向けたとして、承太郎の心はどうなるかな」
「少なくとも今よりは、せいせいするぜ」
「不正解。正しい答えはどっちも傷ついて傷が腐食して、お互いが死ぬしかなくなるのよ」

 未来なんてあったもんじゃない。
 あたしを先まで連れてってくれる人だとあいつが言ったからあんたについてきたのに、その意味がなくなるじゃない。と、依然手首を掴まれたまま淡々と述べた。下を向いてしまった星の色は影に隠れて表情を伺えなかった。肩が震えているのは手首越しにわかった。

「てめーは大嘘つきだ」
「どうして?」
「…恨まれなきゃ、おかしいだろ」
「どうせなら恨まれたいとでもおもってるでしょ」
「…」
「……承太郎。こら、あたしの目を見なさい」

 少しうるんだ翡翠の目は、その声にもう一度反抗するように射殺す眼差しでリリィを捉えた。それを冷静に、静寂を流し込むように視線を絡める。
 おおばかもの。リリィは心の内で一蹴した。似たようなスタンド。似通った性質の精神。色んな“何処か”があの馬鹿で不器用な吸血鬼にそっくりなこの子供は、似ているからこそ、どうしようもなく頑であった。

「………あんたが来なきゃよかったとは、思ったわよ」
「…」
「でもあの馬鹿が死んだのは承太郎が殺したからじゃない、DIOが疲れたから。歩き疲れた人生にようやく区切りがついたから。それ以外に無いと何度いえば分かってくれるかしら、あたし気は長くない方なの、そろそろいい加減にしてくれないかしら」

 かち合った赤は、言葉と色に反して湖畔のように静かに、音なく、澄み渡っていた。合わさった目の中へと流れ込むそれに掴まれていた手が緩む。

「前に進まなきゃあたしはあいつに逢えないの。振り返ってる暇なんてないわ」

 次はリリィが彼の手を掴む番だ。小さい指先が降りて行く無骨な手を追いかけて触れて、手首を掴み直す。

「それとも承太郎は、人の死に囚われて、救えた大事な人のことを忘れる気なの?」

 そんなことはない、と唇が動くが、声が出なかった。
 鳩の血の赤は知っていた。恨みと憎みで進む話などはないと。かの永遠を生きるはずだった男も、そうして進んでいたふりをしてずっと同じところをぐるぐると行き来していたのだから。この行為を「自分だけ辛酸を嘗めて吐き出さず飲み込む」といえばそれまでだが、彼女自身納得してそうしたものなのだから自己犠牲なんて身投げのような心持ちなんかではなかった。至極シンプルで、はっきりとしていて、爽やかなものだと彼女はその心を形容して言った。

「託された事が辛いと、罰のようなものに思ってるなら、あたしと馬鹿やって、日常を過ごすことを約束して頂戴。あたしはDIOの存在で承太郎が不幸になるのだけはいやよ」

 わかってくれたかと聞いたら、承太郎の翡翠はじっと…先程とは少し違えた面持ちをしてリリィの赤を見つめる。何分経ったのかわからない、そうしてやっと、自身で自身を確かめるように「わかった」と一言だけ言って、隣に置いてけぼりにされていた帽子をとり被り直した。

「…その顔、本当にわかってくれたっぽいからよかったわ」
「あんたは読心術でもできんのか」
「やあね、ちょっとだけ第六感が人よりも働くだけよ」

 空港の中を歩いて、元来た道を戻る。隣を歩いている、自分より幾回りも小さい少女に見える(見えるだけ、である)彼女を垣間見る。彼女は承太郎がみていることを知っているのか急に笑って首元に手を当てた。

 星の因縁はもうおしまいにしたい。
 あたしを未来まで一緒に連れて行って、こちら側の道で彼が待っているところまで行けるように助けてくれる?承太郎。
 そう言ってシャツの襟元に手を入れたリリィは、指の二関節分の長さはある細い硝子のカプセルを通されたネックレスを取り出した。

「…それは」
「灰」

 一言だけで、誰の何が入っているのかを理解した承太郎は彼女の言葉を待った。

「あんたのおじいちゃんが、くれたのよ、そんなにあたししょげてたかしら。何したって絶対に割れない強化ガラスの中にDIOの灰をちょっとだけ入れてくれた、心許ないだろうってさ。DIOが見てたらなんていうか」
「…ああ、それならきっとこういうぜ」

 ジョースターはなんて甘いヤツらなんだ!

 声を揃えて言い、リリィはころころと笑う。承太郎は少しだけ口を緩め目を細めるだけでリリィほど笑うことはない。

「ま…これくらいは、許される。…わよね」

 指先の硝子が差し込んだ太陽で光る。
 承太郎は何も言うことができなかった。きらきらと反射するそれを手のひらで握りしめ前を見つめる。二個のピジョンブラッドは今の目の前というよりも、ずっとずっと、遥かにずっと先のどこかの世界を見詰めていた。

「さっきの答え、教えて。助けてくれる?承太郎」
「…」
「承太郎は、あたしをこちら側の道に置いててくれる?これをもってても、DIOの面影のあるものをたくさん持っていても、こっち側の最終地点でDIOに逢えるまで、承太郎が生きれるところまででいいから道を案内してくれる?」
「…」
「あたしはこっちの方の道をまともに歩いてなかったから、右も左もわからないのよ。めんどくさくてごめんなさいね」

 小さな少女のはずのその顔には、大人の女性の微笑みが浮かべられていた。

「DIO自身の呪いは解けたけれど、きっと因縁のかけらはDIOの意思と関係なく、今回みたいに、何処かでまた承太郎達…ジョースターの血族に襲ってくるかもしれない。その時はあたしは戦う。一人歩きする呪いは降りかかる前にあたしが止めるから、それなら承太郎と歩いてもいいかな」
「───……いや」

 リリィを笑顔のまま行ける所まで見届け、見送る。花京院はそれが恩義で、託された役目だといった。貰った生を全うし、DIOの意思から離れ一人歩きするジョースターへの呪いを、全部祓う。リリィはそれが愛で、残された役目だといった。それなら自分の役目とは。
 俺の役目は。

「その時は、俺も戦う」
「…」

 こぼれて落ちてしまいそうなくらいに赤い目をまん丸と大きくさせて、承太郎を見る。
 ───嗚呼。自分の役目は、役目を果たそうと歩く彼らの道を守り、ともに進む事なのだろう。
 感じる罪の意識はどう足掻いてもやはり重いし、自分が人の意識を持つ限りそれを変えることは出来ない。これがこの小さき戦争で守り抜いたものの対価なのだ。だがリリィの気持ちを汲み取れば少しだけ、それも軽くなるように感じた。その意識が許してもらえるものなのかはわからないが、何もしないで押し潰されるよりは自分の役目を果たす方が有意義だとも思った。

「道案内はようわからんが、来たかったら勝手に来な。言っとくがてめー自身の人生の内容については保証しねーぜ」
「…ふふ、言ってくれるわね」

 じゃああたしたちはこれから友達ね。
 嬉々とした声とやれやれと吐き出す溜息。空港の人混みの中に二人の影が消える。



 ***


 まるであの三年間が夢みたいだ。
 夢であったら、どれだけよかったか。いいや、夢でないからこそ、自分は生きているのだ。

「…ね、典くん」

 ポルナレフと別れ、飛行機に搭乗する道の中で、ふと隣にいる彼に問い掛ける。

「初恋は実らないってよく言うわよね」
「…ええ、まあ」

 ひっそりとこっそりと、花京院に言う赤目の少女。

「でも、“実”がならなくても“花が咲いた”初恋って、どうなのかしら」

 そんな疑問に、花京院少年は斜め上に視線を向けてうーんと首を捻り唸った。そして答えが出たのか、にこりと笑い彼女を垣間見る。

「そうだな…実った恋のうちに、入るんじゃあないかな」

 その応えに、リリィは満足そうにけらけらと笑う。

「じゃ、そうしとこっと」








永き後日談のはじまり
(百年越しに咲いた花の花弁の行方)

─────────



ご愛読、本当にありがとうございました。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -