「典くん」 「はい?」 リリィさんは、残された破壊の形跡と人外の勘でDIO達を追いながら、僕に向かってにこりと笑った。僕の背中を強打した時の怪我を気にしてるのか走ろうとはしない。本当は全速力で走り出したいに違いないだろうに。 「さっきいったこと、約束だからね」 「…」 それはどういう意味なのかと尋ねたら、その紅玉の眼はふわりと笑みを見せた。その眼の中に写るものを僕は捉える事ができない。それは僕が想像もつかないような、とにかくとても遠くを見つめていた。 「もし死にかけのあいつが復活したら、承太郎と一緒に全力で殺してあげて。絶対だよ?」 「…はは、無茶を言うなあ」 「そんなことはないわ。二対一で遠距離型と近距離型、さらにネタ明かしをした今、理は間違いなくあなた達のほうにある」 「それでも敵わなかったら?」 「だめだと思うならそもそもエジプトには来てないでしょう」 「まあ、そうだけれどね」 そういうことか。と合点した。 この恩人はDIOに食われることで天寿を全うしようとしているのだ。 彼女にとんでもなく大きい置き土産をされるのかと思うと溜め息をつきたくなったが、この人の…恩人の望む最期のためだ。二度も助けられたのだから、一肌脱がないわけにはいかない。やってやろう、もう失敗はしない、僕らは元々このためにきたのだから。 しかし。 今まで望んで彼の贄となった女性は山ほどいたそうだけど、ふと、果たしてあの男は本当にこの人を彼女たちと同じように殺せるのかな、と疑問に思った。あんなひとりぼっちの子供のような表情を見せていたのなら尚更。──なんだか、やはりヒトだったのだな、なんてことを考えてしまった。“そう”望むのは本人とはいえ、自分達が逆に悪党のように感じる、二人の間を引き裂く悪者。そもそもヒトの形をしたものを壊す時点でヒーローなんてどこにもいないのかもしれない。 承太郎は、どうおもってるんだろうか。 「おじいちゃん!?」 急に、リリィさんが声を張り上げた。眼前にはぐったりと横たわるジョースターさんの姿。嫌な予感が全身を駆け巡り、自分の体温が下がる感覚がした。 倒れていたジョースターさんに二人で駆け寄る。虫ですら勝ててしまいそうなほどの息だ。リリィさんが彼の首元を触ってハッと唇を噛みしめる。…そこには皮膚が破れた形跡があり、コーラルピンクの唇は微かに、DIO、と動いた。 「じゃあ…ジョースターさんは…もう…」 「…まだ吸われたばかりだわ、落胆するのはまだ早い。一つ策がある」 リリィさんは、ジョースターさんの肌にこびりついた血を指で取り舐めた。「B型ね」と呟いた瞬間、ユニバースが背後から出現し、何処かへと行ってしまった。その間にリリィさんが心臓マッサージを施しはじめた。 「待ってリリィさん」 「なによ」 「代わろう、女性の手で胸板を押すのは力がいる」 「あのね、あたし吸血鬼よ?」 「逆に加減を間違えて潰されても困るからね」 「あーーー……ね、それも、そうだわ…」 人工呼吸と心臓マッサージを続けて数十秒もしないうちに、ユニバースが何かを持って帰って来る。…“B型の輸血パック”だった。すぐそこにあった病院からくすねてきたのだろうか? リリィさんは手際良く動脈を探し出し、一緒に持ってきていた脱脂綿で拭いた肌に針を刺した。僕の手を擦り抜けたユニバースの半透明な手が、ジョースターさんの体に埋め込まれる、どうやら“直接”マッサージするつもりらしい。 無理やりにでも血液を循環させるのだ。だが血液が、致死量まで吸われていたら。仮死ではなく…本当に死んでいたら。 「…もし、だめだったら…」 「ダメじゃない、できるの」 これ以上彼に何かを奪わせないように。リリィさんの眼にはそんな強い強い意志が炎のように燃え盛っていた。まるで時が止まったかのように静寂があたりを包む。ユニバースの手はジョースターさんの心臓部に埋まったまま、時々微かに動くだけで出てこない。輸血パックを持ち息を潜めるリリィさんの額に汗が滲み出て、頬を伝った───その時。 「ウッ、!」 「…! おじいちゃん!!」 ジョースターさんの体が一つ跳ねて、呻き声が飛び出した。ユニバースの手が離れる。ジョースターさんが微かに目を開けた。 ということは、つまり。 「リリィさん、」 「……」 深々と息を吐く彼女の肩を支える。奪わせずに済んだのだ。僕が死んだのではと思っていたらしいジョースターさんには短く事情を説明し、リリィさんの思惑を告げる。やはり、予想してはいたがジョースターさんは気軽にそうかと首は振らなかった。無理もない、やっとの思いでそこまで追い詰めた敵を復活させるなんて戦力上かなりキツイものがあるし、表面上は話に聞いてきた贄の女性と変わらないことをしようとしているのだから。 「どうしても、首を縦には振ってくれないのね」 「残念ながらな」 リリィさんはふう、と息を吐いた。 「…おじいちゃん、今からあたしひどい事を言うかもしれないけど、怒らないでね、全部寝言だと思って頂戴」 「? なんじゃ急に、リリィちゃん」 「おじいちゃんは幸せのカタチを知っているから、こっち側の人達の気持ちなんて解りはしないのよ」 棘のある物言いに全く似合わないくらい実に穏やかな表情で、そういった。 ジョースターさんは文字通り言葉を失う。 「死にたがりの気持ちも、世界を憎む人の気持ちも、引っ張り上げてくれる人が居なかったやつが末路に思うこんな気持ちなんて、世界に愛されて生まれた人には解らないよ。わかりっこないよ、羨ましいよ、あんたたちが」 「…リリィちゃん」 「とても悪い事を言ってるのは分かってるの。こんなの八つ当たりだってのも葛みたいな言い訳なのも分かってるのよ。でも、八つ当たりや言い訳だって思われても、この言葉が誰かの頭にこびりつけばそれでいいとおもったの、あたし“達”は悪い子だから」 悟っているような、かなしげな、少女のなりに似つかわしくない大人びた顔で笑う。 ──それだけあたし“達”は必死に、とても必死に、悪い子になってでも幸せなるものを掴もうとしたけど、掴めなかったってこと。足掻きまくった挙句お約束のように世界に爪弾きにされて、無駄だと思い知らされたってこと。世界に裏切られたってこと。どうしてなのかな、過程の中で“悪い子”になっちゃったからかな、悪い子にならなければそうはならなかったのかな。今となってはどうにもできないことだし、どうでもいいけれど。 そう語る彼女に、ジョースターさんは困惑していて、それでも諭そうとする声でリリィさんに語りかけた。 「…世界に愛されるも愛されないも、それは」 「関係なんかない、心の持ち次第だって、あなたは言うんでしょ」 「…」 「それは知らないから言える戯言よ、それがなによりも幸福な証じゃない。そんな紙よりペラペラな言葉で、言葉なんかでッあたしたちの何の苦しみが分かるっていうのッ?」 泣きそうな赤い目が今にも零れそうだ。 リリィさんは感情を荒げてそこまで言い、スウ、と息を吸い込んだ。 「なんてね」 もしこんなことを言われたら、おじいちゃんたちはどうするつもりなの? などと、一変して他人事のようにニコリと笑うが。 はっきりとした憎悪と羨望の目が垣間見えた瞬間だった。 “掴める”者がいれば必ず“掴めない”者がいる。光を浴びる人がいれば、ある人は光を浴びれない。それが均衡、バランスなのだ。僕も彼らと同じ、光を浴びれない不幸な人だった。偶々光の中に引っ張り出してくれる人に出会えただけで、彼らは。以前変わらず、闇の中に燻ったまま。 「勿論自分から勧んでこっち側にきた人だっている。一概にそうは言えないわ。あなた達もあなた達で、色んな苦労があったんだと思う。だけど覚えていて、これが…」 表裏一体の真理なのだ。と。 そうしてあたしは一度世界に棄てられ殺された、と静かな声が言う。人目をいやでも気にしなければならない嫌味な特技を持たされて苦しめられた挙句、世界はマトモに殺してさえくれなかった。密かに噛み締めたのであろう唇に牙が突き刺さり、そこから血が滴る。 手を伸ばしても弾かれて、蹴られて、踏みにじられ、その時救ってくれる人など居るはずもなく。笑われて、嫌になって、希望なんて持てなくて、それでも歩かなきゃいけなくて、誰も彼も信じられなくなって、とてもじゃないけどそんな強い心は持てなくなってしまった。挙句は自分から手を弾くような人間になった。もう絶望するのは御免だとでも叫ぶように。 「…おじいちゃん、あたしは損な人生だった分せめてマトモに死にたかったからDIOのそばにいたの。人であることに疲れたから人間を辞めたの。お願い、何も言わずにあたしを死なせて」 本当にあたしの事を思ってくれるのなら。 「助けないで、おじいちゃん」 どこぞの汚いチンピラに腹を掻っ捌かれて惨めに死ぬよりは、死ぬほど美しい吸血鬼に殺されるほうがまだ報われると思ったのだ。けどこのままではそれすらも叶わなくなる。このまま生き続けるのなんて考えたくもない。だから。 赤い目は、老練な緑を見つめ続ける。 「リリィちゃんよ」 「はい」 「あんた、本当にそれでええんかの」 「いいのよ。これがベストの結末だから」 「…………そうか、それがあんたの幸せか」 「ええ」 「…人の死に方に勝手な口出しは、できんからのう」 緑の目が折れた。その時。 「オイ花京院!?ジョースターさんも…!二人とも無事だったのかッ」 「…ポルナレフ」 「げ、リリィまでいるのかよ…つか、リリィはさすがに攻撃してこねえよなァ…?」 後ろから、ポルナレフが此方によたよたと歩いてくる。彼はなんとかDIOの手から逃れていたのだ。リリィを垣間見た傷だらけのポルナレフがしかめっ面をしながらさっと身構える。リリィさんは、はぁーと溜息をついて、強張らせた顔を崩し少しだけ笑った。 「げ、とはなに。げ、とは」 「大丈夫ですよ、ポルナレフ。彼女は今から死ににいくだけですから」 「は???」 「言葉通りよ。じゃあ先を急ぐからバイバイ、ポルナレフ」 「お、おう……? おい花京院どう意味だ」 「言葉通りです、それじゃあ僕もそろそろ」 クエスチョンマークをこれでもかというほど出しているポルナレフにジョースターさんを預けて、もう一度歩き出す。リリィさんは今なにを考えているんだろうか。 「リリィさん」 ずっと疑問に思っていたことを、ようやく口にする。 「もし、本当にもしもの話だ。承太郎が負けてしまったら…そのときはどうするんだい」 「典くんは仲間を信じてないの?」 「それは、違うよ。あくまでの可能性の話をしている」 「…承太郎は負けないわ」 そういう運命なのよ。百年前から。 カイロの夜空を見上げてリリィさんは大きく息を吸い込んだ。 「なんだか嘘みたいにとっても穏やかな気持ち。こんな最高な日はきっとないね、ねえ典くん」 幸せそうな顔だ。 こんな現状じゃなければ、僕は心から喜べたし、この人ももっと幸せだったのだろうか。 「そうだね」 僕はそれだけしか言うことができなかった。 彼女は今何処を見ているのだろう。 「!」 リリィさんの歩みがピタリと止まる。どうしたのかと聞くと、すぐ近くにDIOと承太郎がいるのだそうだ。彼女はユニバースを出し、自分と向き合わせた。 「何をしてるんだい?」 「DIOの時止めに引っかからないように、自分の周りに“自分だけ”の空間を作るのよ。典くんもしたげるから、ちょっと待っててね」 ユニバースの鈍色の手が、リリィさんの頭上を撫でる。次に花嫁のマリアベールを捲るような仕草をして、一瞬リリィさんの姿が陽炎のように揺らいだ気がした。 「はい、じゃあつぎね」 「…」 ユニバースが近づき、頭上を生暖かい風がふわりと通過したような、むず痒い感覚に陥る。そっとユニバースが離れていったので、完了したのだろう。特に何も変化したようには思えない。息苦しさも、暑さも寒さも、重力も、先ほどと何ら変わりがなかった。リリィさん曰く、僕らは今世界に支配されない“独自の空間”…宇宙のような別空間にいるため、ワールドの時止めは無効になるのだという。 「ま、さっきわかったことなんだけど」 「ある意味最強じゃないか、リリィさん」 「最強と言ってもDIOに対してぐらいでしょ。この空間にいても物理攻撃が効かないわけではないし」 終わりの時間は近い。大きな陸橋に出ると、何やら派手な感じで道路のあちこちに穴ぼこが空いて車は転がっていたりと大惨事なことになっている。その中心には満身創痍で地べたに尻餅をつく承太郎と、先程と違い髪の毛が逆立って幾らか血気盛んになっているDIO。近くの転がった車の影に隠れて様子を伺う。ふと、空気が固まった感じがした。リリィさんが「時が止まっている」と呟く。殺気を察知し空を見上げると─── 「ッ!? なん、だあれ、」 「…ロードローラーだわ」 黄色く図体のでかい車体が、宙を浮いていた。いや、DIOが持っているのだ。 あんなくそ重いモノ担げるのねえ。と彼女は極めて冷静にコメントしているが、いや、いやいやいや。おかしすぎる、ロードローラーを持ち上げおまけに移動してくるって何なんだ! 僕はさっきまであんなのと対峙していたのか…… 背筋がひっそりと薄ら寒くなった。やはり彼も、確かに人外の生物なのだ。そして時は動き出す。ロードローラーは地面に倒れた承太郎に向かって落とされ、潰さんとする力と潰されまいとする力、互いのスタンドによる攻防合戦がたった今繰り広げられている。このままでは承太郎がまずいのでは……そう危惧してリリィさんの方へ視線をやると、彼女はわかっている、というように僕を一瞥し、ユニバースを出した。 「ロードローラーのある空間を吹っ飛ばすッ!典くんはそのうちにハイエロファントで承太郎を!ユニバース……」 ふと、リリィさんとユニバースの動きが止まった。 「…リリィさん…ッ?」 「…」 「どうしたんですか」 「……今、時が…止まった………?」 「───え?」 DIOは今能力を使っていないのに。 僕が返答したと同時に、派手な爆発音が轟き、ロードローラーが爆発を起こした。僕とリリィさんの髪が爆風で激しく靡き、腕で目から砂埃を守る体勢を取る。破片やらがあちこちに突き刺さり飛び散りさらにこの場は大惨事。そんな、じゃああそこにいた承太郎は…でも時が止まったって、ならばそれは一体誰の仕業なんだ───? 僕がぐるぐると考えを巡らせている間にもDIOは高らかに勝利の声を上げる。しかし、その時だ。 確実に、世界が停止する音を聞いた。 DIOの背後の砂埃の中から、見慣れた学生帽と、学ランを来た男が現れる。 「どんな気分だ? DIO」 落ち着いた承太郎の、声がする。 「動けねえのに背後に立たれる気分はよ?」 承太郎が……時を止めたのだ。 リリィさんは、じっと動かずに、食い入るようにそれを見ている。次に「典くん、分かったでしょう」と、その唇は語った。 「そういう…運命なのよ」 「…リリィさん、本当にいいのかッ今ならどちらも止められるんだ、きっと、こんなことをしなくても」 「典くん。あなたはとても優しい子……でもお願いだから、約束はどうか破らないで。 それにDIOが死ななければ承太郎のお母さんが死ぬ。忘れたの?世界のためにどちらが死ねばいいのかなんて…わかるでしょ。絆されないで」 熟れた林檎のように赤い目。約束。そのたった二文字がこんなに酷く重い言葉になると、誰が想像しただろうか。 密かに潤んだ目。いつか向き合った鏡の向こうでよく見た…欲しくてもそれは手に入らないものだから、諦めるしかないから、欲を押し殺して欲しくないふりをする目がそこにあった。 「……君はどっちの味方なんだか、わからないね」 「あたしはあたしだけの味方よ、いつでも」 いつまでもね。 リリィさん、あなたは本当に死にたがっているのかな。本当は、あの人と生きたいんじゃあ、ないのかい。でもそれは誰かを犠牲にしなければいけないから、彼を今以上血染めにしないために、だけどそれだと苦しいだけだから、自分も殺そうとしてるただそれだけなんじゃあないのか。それならあなたのほんとうの味方は…どこにいるんだろう? 僕が味方になれたら、どんなに良かったか。 でもそうするには色んな命が掛かりすぎたのだ。行きたくても、そこには行けない。僕はずるくて役立たずだ。 「…!」 正面を見据えていたリリィさんが、息を止めた。 その直後にDIOの断末魔が聞こえて、ドパ、と、何かが破裂したような肉肉しい音がする。 僕が遅れてその先に視線を戻したころには、リリィさんが真剣な顔でゆっくりと立ち上がっていた。見た視線の先には───悠然と立つ承太郎と、上半身が真っ赤なDIOが横たわっていた。 「DIO」 「…」 終わったんだ。 承太郎がリリィさんと僕に気付く。承太郎はスタープラチナを出して、リリィさんを睨んだ。 「おい…リリィだったな、動くんじゃあねーぜ。DIOのそばには近付くな」 「いやよ。あなたに指図される因縁なんてない」 「承太郎、」 承太郎の元に駆け寄る。承太郎の目が見開かれて、顔が少し緩んだ。「無事だったのか」と、彼は息を漏らした。 「いきなりだが頼む承太郎、リリィさんの好きにさせてくれ」 「…何故だ」 「僕はDIOと戦った時に死ぬはずだった、助けてくれたのは彼女だ。彼女の最期の願いを、頼む」 「なら、一つだけ聞かせな……あいつは、何をするつもりなんだ」 リリィさんは、此方から顔を逸らし、ゆっくりと力なく横たわったDIOに近付いた。コツ、コツとヒールの音がこだまする。 その場が、真の静寂のように思えた。 「死ぬんだよ。死ぬために、DIOに食ってもらうんだ」 「…」 「そして、復活したDIOは僕らが倒す。君は時を止めれるんだろう、僕のハイエロファントがいれば遠近どちらでも攻撃できる。慢心するわけではないが、きっと大丈夫だ。だから止めないでやってほしい」 「…自害を、する気なのか」 「それが彼女の願いなんだ。僕達では…叶えられないんだよ」 静かに、真っ赤な薔薇を見下ろして、百合の花は呟いた。 「ばかなひと」 アンハッピーリフレイン (しあわせになりたいけれどさ) ────── それはハッピー? |