あの子を殺させるわけにはいかない。絶対に。 あたしは必死の思いで典くんの立つビル上まで駆け、先にユニバースを彼の前に立ちはだからせた。身代わりにさせようと、思ったのだ。案の定典くんの腹を貫くはずだったワールドの手がユニバースの腹部を抉る──瞬間、あたしの腹に熱い刺激が走りドパッと血が溢れた。頭の思考が状況に追いつかないままその場に崩れ落ちる。手を当てると、ユニバースと全く同じように風穴が空いていた。 「!? ユ、に、バース…ッ」 なんで。 そうか。スタンドのダメージは本体に直接影響するのか。時が動き出す。典くんはユニバースと共に吹っ飛ばされ、数十メートル向こうの貯水タンクに背中からぶち当たった。ユニバースはいつの間にか消えていた。きっとスタンドを出現できる限界範囲というものががあるんだろう。ふうふうと息をしていると歪な肉音が腹から聴こえ出す。回復しているのだ、こんな傷でもあたしは死なない。二十秒ほどしたら、風穴はすっかり綺麗に閉じていた。ああやっぱりあたしは既に人間ではないのだと実感しつつ起き上がり、服だけ血塗れな腹部を見る。このシャツお気に入りだったのになあ。すると頭上から声がした。 「…リリィ」 「………」 DIOに視線を向ける。驚いていた目は直ぐに鋭いものへと切り替わった。冷たい目だ。あたしが初めて出会った頃よりもずっと、ずっと恐ろしい、熱く弾けるような憎しみを孕んだ赤い目。憎い、許さない、邪魔だ、消してやる。其々の感情達が散り散りに自己主張し叫んでいた。 …これだってDIOだ。DIOの感情のうちの一つだ。わかっている。ちゃんと、頭ではわかっているけれど。 こんな彼をあたしは知らない。いや…そもそもの問題知るわけがなかった、だってあいつは見せてこなかったのだから。全く、今更何を言ってるんだか。分かってたじゃあないか、納得してたじゃあないか、もし今までの全てがあのクズ帝王の茶番で、滑稽な演劇であったとしても“それでいい”と。寧ろあんな生活、茶番じゃなきゃおかしいくらいなんだから。 そうじゃなきゃあり得ないから。 でも、だからこそ、このギャップについていけないのだろうか。 こんなのあたしが知ってるDIOじゃない。 そんな焦りを悟られまいとして、なるべく真っ直ぐその赤を見つめ返した。 「さっきのスタンドは」 「あたしの、ものよ」 「…何故、お前がいる」 纏わり付くような蠱惑のテノール。 DIOが、典くんを、ポルナレフを、おじいちゃんを、承太郎をみんな殺す。この目が。あんなどうしようもない本質を持ったこのかなしい男が殺すのだ。不幸しか知らないこの男が殺すのだ。彼らの死体をぶら下げ高笑いをするDIO。…嫌だ。想像しただけで、否、想像すらしたくなかった。血を飲んだ男女の死体をぶら下げたところなら見飽きるほど見てきたのに、なんで承太郎達はダメなんだろう。 兎に角、DIOが奪うのを止めなければ。 日常を取り戻さなきゃ。 咄嗟にそう思っていた。もはや余念は無く、その思考だけが今の脳内を支配していた。 茶番でもなんでもいいから、今からでも奪うのを辞めさせなければ。そうじゃないとあいつは本当の意味で承太郎達の仇になってしまう。 そんなことやっても無駄なくらい悪いやつだって、分かっているのに。つくづく馬鹿なもんだ。 「リリィ。おとなしく待っていろと言っただろう」 「…だ、って、」 いつもよりもゆっくりとした口調に思わずたじろぐ。 だって、あのままずっと待ってたらもう一生帰ってきてくれない気がしたから、なんて言えば、怒るかしら。あの日常がもう戻ってこない気がしたから、もう笑って時間を共にする事が出来なくなる気がしたから。負けても勝っても明日にはあの家に帰ってこなくなってしまうような気がしていた。だから、連れ返さなきゃいけない。止めなきゃ、いけないんだ。あたしは。 あんな憎しみに支配されてるギラついた目をして、吐き気がするくらい邪悪なのに何処か物悲しくて。 それ以上かなしい生き物になってどうするつもりなの、あんたは。 「なんであたしに薬なんか盛ったのよ」 「像でも3日は起きない代物だったのだがな。この戦いにおいて、お前は必要ないからに決まっている」 「でも起きちゃったからもう無意味ね」 「……」 「…DIOのそんな顔、あたし見たくないんだけど」 「顔だと?」 「ええ、顔よ。ほんとバカみたいな顔してる」 少し声が震えた。怖いのか、要らないと言われたのが悔しくて苛立っているのか、解らない。けれどユニバースがしっかりとあたしのそばで肩を抱いてくれていたから、一人でいるよりは心強く感じた。後ろにいる貯水タンクに激突した典くんは、辛うじて意識は保っているのか、溢れ出る水に濡れながらうんうん唸っているのが聴こえる。 「…驚かないんだ、あたしがスタンド出してること」 「お前があの鏃を触っていたのは知っていたからな」 「ならどうして」 どうしてあたしにスタンドを出すことを促さなかったのか。それなら都合良く戦力にもなったのに。 DIOは少しだけ笑って「さあな」とだけ、言った。 ──止めなきゃ。きっと承太郎達だって、わかってくれる。彼のお母さんだってどうにかなるはずだ、多分、どうにかなるわ、きっと、多分。 ………。いや。 今のは嘘だ。そんなのあたしになんかわからない。むしろ、“無理”なのだろう。これはご都合主義な創作物なんかではない、手段がない以上、どうにもできるはずがない。しかも酷いことに…あたしはどうにかならなくったっていいとさえ思っていた。 非道い?自分勝手?そんなの何とでも言えばいい。だってそんなの、ずるいじゃあない、彼はいっぱい持ってるのに、あたしにはほんのこれだけしかないのに。ほんの少しくらい譲ってくれてもいいじゃあないか。そうでしょう? ねえ。 「DIO、かえろう」 「何処へ」 「館に帰ろう」 「何故」 「なんで、って」 …もどろうよ えらく弱気で貧弱な声が、自分の喉から抜けていった。 止めさせてよ。自分勝手でもなんでもいいから、罪は一緒に背負うから、どうか日常に戻らせて。 「だってなにも、殺すことはないじゃない」 「何を言っている? 退けッなぜ庇うのだリリィ…それは元々このDIOに仇なしたやつだ。殺さねば私の気が収まらん」 「わかってるの、この子を殺したらもう後戻りできなくなるんだよ。あんたの部下じゃなくて、あんた自身が本当に敵として位置がつくんだよ」 「ハッ! お前も私も吸血鬼だぞ?人なんて家畜と変わらんではないか!それにその発言は今更すぎるというものだなァ、元々ジョースターとはそういう関係だと何度言った?…前にお前にはとやかく言われたが、考えが甘かったな……やはりジョースターとその仲間は根絶やしにしなければならぬッ」 「DIO!!」 DIOをこれまでにないほど睨みつける。負けてはならない、日常がかかっているのだ。あたしの世界が。あたしはまだ引き下がりたくない。あんな目をしたDIOが承太郎たちを殺すのなんて、見たくない。 「あんたは、なんかおかしなものに振り回されてるだけだわ。ちゃんと前を見なさいよ!怒りっぽいのが自分の癖だっていつも言ってるじゃない!」 「お前はまるで俺が負けるような事を言うのだな?」 「悪は善に食い潰されるのが世界の運命なのよ。もう、ねえ、やめようよ、本当にやめよう、この戦いで勝ってもあんたの欲しいものなんか手に入らないんだから!」 DIOの眼光が、一層鋭くなった。それをなんとか真っ直ぐに見つめ返す。 「…わかってるよ、あたし達からしたらどうせ人は食糧。それは仕方ないわ。食物連鎖だもん。だけど人為的に殺すのとは違うでしょ!?正当な理由なしに殺したら豚だろうが猫だろうが人だろうが罪なのよ!!」 「お前に何が解るッ!!」 一喝から、一呼吸置いて。 リリィ。と。 静かな声が響いた。 ───私は100年前に既にその罪を幾重にも犯してる。だから今更とどめようが遅い事。 悪の意思が篭った眼光。 この三年間でも見たこともないほど、禍々しく、ドス黒いものが渦巻く、邪な光。 テノールの声がそう言うのに対し、首を横に激しく振る。諦められない。まだ、まだ間に合うはずだから。 「戻れ、お前は待っていればそれでいい」 「戻らない。待ってるのなんかいや、DIOが止まってくれたら大人しく帰る、勿論あんたと一緒にね」 「……貴様、」 「遅くなんかない、その借りてきたものを今から返していけばいいでしょ!あんたにはそれを可能に出来る時間があるんだから!何か間違ったこと言ってる!?」 「くだらんッ!ジョースターらにでも毒されたか?実にくだらん浅い考えだ…!悪は目覚めた瞬間から最早戻ることなど出来ない、そんな覚悟では──」 なんで。 「…っ、なんでよ…ッ…、…なんでそうなるのよこの分からず屋!!!意地っ張り!!!!」 なんで分かってくれないのよ。 そんな100年前のいざこざくらいで、死体を増やす必要ないじゃない。殺さなくたって天国は見れるんじゃないの。100年前のことがそんなに大事なのか。あたしとの日常よりも。どうして。そんなにも価値の見出せないものだったのだろうか、あの平穏な日々は。 あたしは、自分の底から溢れ出す意味不明の感情を抑えれずにいた。言葉で形容のできない、マーブル状にぐるぐると混ざり合ういろんな色の思考、火山の噴火のように、止められない。衝動に任せてぶち撒ける。最早自分でも止めようがなかった。 「何が解るって、わかんないわよ!!!何にもわかりっこない!!100年以上も昔の古臭い腐りかけの因縁が今の日常を壊してもいいくらい大事なの!?ぜんっぜんわかんないッ!!!」 「…」 「今日だって勝手に眠らせてどっかいって、そんなんで納得できるわけがないじゃない!なんなのよッDIOなんかっ、あたしの、あたしの気持ちも知らないで…っ!! あんたなんかもう嫌い!!だいきらい!!!DIOなんてもう知らない!!!」 溢れそうになる何かを抑えたくて、ぎゅっと目を閉じる。 DIOの分からずや。あんたがもし殺されたらあたしはその後どうしたらいいの? あんたがいなくなったらどこにいけばいいの? 一体誰のそばにいればいいの? どうやって生きればいいの? どうやって死ねばいいっていうの? もう知らない。知らないよ。あんたなんかどこにでもいっちゃえ。あたしのいないところで、もっと泥に塗れてもがき苦しめばいいんだ。──こんな事を思うのだからとどのつまり、あたしは驕っていたのだ。あたし程度の小娘がなんて謙遜している一方で、これだけ近くにいるのだから自分こそDIOの泥をはらえると勝手に思っていた。思い違いも甚だしい、これが現実よ。妄想なんて大概にして。 自分から吐き出された言葉がチクリと胸のあたりを突いたことを見ないふりして、深呼吸する。これまでにないほどの怒りと悲しみを込め、ピジョンブラッドの眼で、DIOを睨め付けた。 「ッ…そう、よね、自称だったけどあんたは悪の帝王なんだし。今のやり取りなんて無駄だったわよね。それに、あんたに生かされてるだけのあたしには……何も、なんにも、告げ口する権利なんて、なかったのだったわ」 「……その通りだな」 「…」 その通り、か。その通り。 無駄なんだ。と、理解した。 半ば無理矢理、理解した。 DIOは止まらない。元々あたし程度の存在で、DIOの考えが改まるはずもなかったのだ。勘違いをしていただけだったのだ。 本当に。 あたしはなんて馬鹿で無駄な事をしてたんだろう。 一呼吸置いてから、DIOが動いた。後ろにいる花京院を狙っているのだろう。息を飲んで、あたしはやめろと叫んだ。叫び、ユニバースを繰り出した。 DIOが止められないのなら、せめて彼だけでも。 「彼のことは殺させないッ!!」 「邪魔をするなァァ!!!」 「来てユニバース!!」 「ザ・ワールドッ!!」 ユニバースが先手を取り、ザ・ワールドに拳を振りかぶる。それは、難なく避けられた。DIOは「貧弱な拳だな」と一思いに嘲笑う。──しかし。 「殴ろうとしたのはッあんたじゃあない!」 ユニバースの拳が空を切った場所。そこが突如グニャリと歪み、ザ・ワールドとDIOが後方に弾き飛ばされた。 「ッ!? な、に」 「“対等”になるように教えてあげる…ユニバースはね、“保有した空間”を自在に“使うことができる”のよ」 さっきユニバースでチンピラ共を殴った時に見つけた能力。 宇宙での引力と斥力のようなそれであり、宇宙の法則をまるで無視した空間自体を使う力。 「あたしは空間を殴った……“殴って、保有して”、そこに“新しい空間を再度足した”の」 「…個体能力まで開花させているとはな」 「スタンドを扱えて当然だと思えばいい……まさか今になってエンヤ婆の言葉が役立つなんてね」 「叛乱、か」 「違う。DIOが今から闘うのを辞めればいいだけの話よ」 「それは出来ん」 あんたと過ごす日常に戻りたいだけ。もう少し傍にいたいだけだと言ったら、DIOはあたしのこと嫌がるかな。嫌がるだろう、彼はそういう人だし。それに日常も幻想だったのだから。 あたしは心にその言葉を閉じ込めて目を瞑った。 ───空間を所持する力。あたしだけの空間を、あたしは自在に作ることができる。 再び開いた目を鋭くさせて、眼前のDIOを射抜くように見つめた。 「この子をあんたに殺させるわけにはいかない!」 「お前が楯突いた所で俺のスタンドに敵うと思うかッ!? ザ・ワールド!!!」 「あんたの力を知ってなければ、無理だったでしょうね」 「り、リリィ さ…、ッ」 駄目だ。と呻く花京院の声も虚しく、時は止まった。…が、どこからかユニバースが持ってきた道路標識(武器のつもりなのだろう)を担ぎ直して「どうしたの?」と首を傾げる。DIOは少なからずだが息を飲んだ。 ──これは私だけの時間だ。なのに何故。 なあんて、そんなことでも考えているのだろう。 「DIO、言ったでしょ。あたしは“自在に空間を使える”。簡単なことよ…あたしの周りには今、───あたし“だけ”の作られた空間が存在しているの。あんたの時止めは効かないわ」 そもそも典くんをタンクに叩き込もうとした時も、時止めの最中だった。にも関わらずあたしは飛び込んだのだ……止められた世界の中に。あたしは無意識に“そう”していたのだろう。 ユニバース。 名前にしてはとても小さいけれど、それでもこれはあたしだけの世界よ。 そのとき、いきなりエメラルドスプラッシュが時計塔に叩き込まれた。…あの子は何をしてるんだろう。あれが渾身の力だったらしく、息を切らして貼り付けられた貯水タンクから地面へと倒れ込んだ。死んではいない、疲弊しているだけだ。なんでDIOを狙わなかったんだろう。無駄なことはしないタチだと思うんだけれど。…時計塔を壊す?時? ───そう、か。あの子は、分かったんだ。DIOの能力の正体、『時を止める力』が。遠くにいる仲間にいち早く知らせるためにあんな事を… 「無駄だッ!!!」 「るっさいわね…っ、邪魔ァ!!!」 時止めはいつの間にか時間切れとなっていた。動く、道路標識とDIOの腕輪がかち合い鈍い金属音が奏でられた。何度か連続で金属音が鳴り響く。負けるものか、とDIOはスタンドを出し拳のラッシュを繰り出す。それに伴いあたしもラッシュをかけた。やはり半分でも吸血鬼、まだ不完全ではあるが力はほとんど互角であった。ユニバースも同じく近距離パワー型なのだ。 「お前までも!このDIOに仇なすかッ!!」 「違うっていってんでしょ!!あたしはあっちの味方になったわけじゃあない、あたしはいつでもあたしだけの味方ッ!この子は殺させない!それだけよ!止まってよDIO!!」 「違うことがあるか!!」 「あたしが!あんたと闘いたいわけがッ!あるわけないじゃないッ!!!」 ワールドとユニバースの、互いの拳が幾重にも交差する。 「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァァアアッッ!!!!!!」 「ウラァァァァァァァァァアッ!!!!!!」 幾つもの中の最後の拳が両者の頬に当たり、ダメージが反映された本体らは其々後方に吹き飛ばされる。辛うじて宙返りをし体制を変えたあたしは、典くんがめり込んでいた場所からちょうど斜め上のタンクの表面へ着地した。べこん、と足元が大きく凹む。足に響いただけありそれほどの衝撃だったのだろう。そこから足を放しコンクリートのちゃんとした地面に降り立つ。殴られた頬は腫れていた、恐らくDIOも同じようになっているのだろう。口許から垂れる鉄錆の体液を拭う暇は今はない。 これ幸いと手負いの典くんを肩に担ぎ上げ、口元の血液を拭うDIOを見る。 力ではやはり止めれない。今は彼を助けられればそれでいい。 「…あたしは無駄に痛いのはいや、DIOと戦うのだっていや。だから逃げるわ。言っとくけどおじいちゃん達だって殺させないわよ、他の人間は知らないけど、彼らだけはあたしが何をしてでも生かしてやるから」 でも、最後に言わせて。とあいている手で口許を拭う。 「………なんで、止まってくれないの…」 ユニバースを呼び出し、目先の空間を消し飛ばし移動する。所謂瞬間移動というやつだ。あたしはもうDIOの姿を見なかった、見れなかった。 *** 「大丈夫?典くん」 「やっぱりその呼び方なんですか」 「いやじゃあないでしょ?」 「…もうどうにでもなれって感じですけどね」 今のところ安全そうな場所…館の最上階、DIOの部屋に落ち着いて容態を見る。DIOは追ってこなかった。典くんはどうにかこうにか無事な様子だった。応急処置を施してからひと息つく。あとは病院にいけば大丈夫だろう。典くんが青い顔であたしの腹部を見る。ブラウスは赤黒くなってる上に醜い穴が空いていた。もう一度自分でも見直したが酷いもんだ。あーあ、ストライプのステッチが入っててまじでお気に入りだったんだけどなあ、このフリルブラウス。 「あたしのお腹になんかついてる?」 「いや、服が大惨事の割りになにもついてなさすぎて怖いというか」 「…」 「あの時、どういう状況だったんですか」 「そうそれ、落ち着いて聞いてね?典くんの前にあたしのスタンド出して身代わりになったんだけど、はらわたぶち抜かれたら離れてたあたしの腹もぶち抜かれてたの…何を言ってるかわからないと思うけど」 「わかりますよ!そりゃあ当たり前だろうッスタンドが傷つけば本体が傷つくんだ!」 詰め寄られて怒鳴られた。まあまあと開いた手で落ち着いてのジェスチャーをする。 「仕方ないじゃない、あたしスタンドで闘ったの今日が初めてよ?」 「…すいません、僕も取り乱しました」 痛かったでしょう。と呟く。そんな彼に笑い掛けて、頭を撫でた。 「あたしは治るけど典くんは治らないから」 「…」 「本音さ。言ってもいいよ。言われず終いは嫌だわ」 花京院典明少年は、縦線の傷が入った目をすぅっと閉じ、ふう、と息を吐いた。 「あなたは本当に、吸血鬼なんですね」 「そうよ」 「人では…無いんですか」 「ええ。飲もうって気になればあなたの血だって吸い尽くせるわよ」 「吸血鬼…ですもんね」 確かめるようにその少年は言った後、静かに目と口を閉じた。その通り、あたしは半分でも吸血鬼だ。「気持ち悪い?」と問えば首を振られた。「怖い?」…数秒の間を置いて、さっきよりもゆっくりと、しっかりとした動作で首を振られる。 「そっか」 地面を、自分の膝をじっとみつめる。 DIOは、結局あたしの声で止まってはくれなかった。唯一の希望だったユニバースでも止めれなかった。頭を振る。もう、いい、いいんだ。DIOの選んだことなのだから、あたしが何かを言う権利なんてない。 「典くんは、DIOのスタンドの力…わかったんだね」 「…時を止める力…ですよね」 「そうよ。あと前も言ったけど別に敬語じゃなくていい」 「そ、れは…でも」 「友達に敬語は変よ」 ばれたのなら黙る必要もない。怪我をしているあなたの代わりにあたしが承太郎達に正解を伝えにいくわ、と立ち上がろうとしたその時。 野獣が吼えるような声が耳に届いた。 遠いけれど、悲痛な声だった。 「………」 DIO。 遮光カーテンの向こう側を見つめかけて、慌ててもう一度首を振る。 いいんだったら。しれたことだ。あいつの選んだこと、あたしには関係ない。あたしとの日常、平穏よりもジョースターへの憎しみの感情のほうが勝った。ただそれだけのことだ。あいつが生きるも死ぬもどっちにしろ、あの日常にはどうせもう戻れないのだろうから、もうなんてことはない。悲しく聞こえたのも勝手な固定観念による気の所為だ。 「ねえ、リリィさん。さっきからずっと思っていたことを言ってもいいかい」 典くんはカーテンの隙間から見える空を見上げながら、悲しそうにこう言った。 「僕があの時、恐れていなくて、肉の芽ではなく…ちゃんとした“友達”になれていたのなら」 「…え?」 「何かが変われていたのだろうか」 きっと何かがどこかで変わっていたのだろうか。 さん付けではあったが、敬語は意識しているのか使ってなかった。窓の向こうを見る目は冷静だった。 「かなしいように聞こえたんだ、さっきの声。笑ってしまうだろう?それはDIOの声のはずなのに」 「な」 「去り際に見たDIOが、迷子みたいな顔をしていたから、情でも湧いてしまったのかな」 そうやって小さく笑う。 DIOによく似ていた彼は本質の優しさを取り戻し、強く成長した。それはひとりではなくなったからだ。ひとりぼっちで悲しくて捻くれていた花京院典明は生まれ変わった。でも、だけど、あいつはそのまま。結局ひとりぼっちのままだ。 ……いや、違う。 あいつには──少なくとも、一人だけだけど友人だっていたし、なによりあたしが居た。リリィという半吸血鬼のクソ生意気な小娘が傍にいた。段々周りの奴らが死んだり消えたりしていく中、あたしだけはちゃんと、物理的にそこに居て、ずっと離さずその手を握っていた。それだけは揺るぎない事実だ。でも、今は。 あたしは。 どんなことがあってもその手だけは離さないと、そばを離れないと決めた。決めていた。でも、けど、今は? いま、は。 自分の手を見る。隣を見る。どこにも彼の手はないし、もちろん姿もない。自分が言ったことを思い出す。そして、じわりと嫌な汗が滲む。その手は勿論からっぽだ。にぎっていたものを、離してしまったから。自分が知らない顔をしていたからって、それだけの理由で、いらないと言われたから拗ねて、突き放して去ってしまった。 いいじゃないか、DIOから手をはらってきたんだから。そんなずるい反論を、とあるあたしが繰り出す。 ───殺すのを止めさせたかったのは、日常に戻りたかったから。ばかみたいな平穏を一緒にもっと過ごしたかったからだ。DIOと一緒じゃなければそれは意味を成さない。 自分はその事を、なんで素直に言えなかったんだろうか。 理屈ばっかごちゃごちゃ長々と吐いて、あたしは、肝心な自分の気持ちをなんで言わなかったんだろう。ああそんなの簡単だ、怖かったからだ。DIOが言うように何も恐れないなんて、あたしはそんなに最強なやつじゃないのだから。素直な気持ちを言って天邪鬼なあいつに拒絶される可能性が、あたしが知っている人を目の前で彼によって殺されるシーンを見てしまうのが、どちらもどうしようもなく怖かったのだ。たったそれだけのことだ。 「あたし」 「…リリィさん?」 「あいつの手を、結局離してしまったんだわ」 「手?」 「あいつのとこには、もうだれもいない…そうさせないように決めたのはあたしなのに」 あんたの欲しいものは手に入らないからやめろ、家畜だろうと無意味に命を奪えば罪になるからやめろ。 ……違う、そうじゃない、あたしはDIOがこれ以上にそういう事するのがイヤだからやめて欲しかっただけよ。日常に戻ってダラダラして、たまに勉強して、外で遊んで、笑ってて、都合の良いおかしな夢みたいに穏やかな日々を後もう少しだけ過ごしたかった。 DIOの事が 、 ───…いや、いいや違う。それは日常を壊す呪いの言葉。あたしは“日常”が欲しい。死ぬまでの間の穏やかな日々が。それだけなんだ。それだけだったんだ。そんな欲望をなにもかも彼のせいにして。傲慢で我儘勝手なのはあたしの方だ! 「…………、」 DIOに止まって欲しかったあたしのエゴが通らかった。それでも一緒にいたかっただけなのなら、あたしは背を向けずに共に行けば良かったんだ。でも、それでは皆が殺される姿を見なきゃいけなくなってしまうということで、あたしは、…あたしは。 結局、怖い顔をしたDIOを恐れて手を離してしまった。最低だ。 「リリィさん」 拒絶され、自らも拒絶して離れてしまった。そんな彼女の顔は曇りきっていると、花京院は思った。リリィの彼に対する思慕は、一昔前の自分とも他の部下とも違う。家族のような兄妹のような、…恋人の、ような。そしてそれはきっとあのような表情をしてリリィと戦っていたDIO自身も、恐らく。 「…リリィさんどこをみてるんだい、しっかりして、ほら深呼吸をしよう」 その華奢な肩を抱いて、思考の渦から掬い上げる。数回呼吸を繰り返したリリィは普段の彼女では想像つかないであろう弱々しい声でぽつんと呟いた。 「彼は…間違いなく奪う者よ。それがなぜだか、典くんには分かる?」 「…なぜって…」 「“失った者”だから。あたしとおんなじ、捨てられた人」 失った者という言葉を口にした瞬間から、それは弱々しいというよりも森の中の湖畔のように静かで、しかし心にずしりと重みを帯びる根の強さがある声に変わった。 息を飲む。それはDIOの歴史を全て知っている彼女だからこそ言えた事で、同時に自分達討伐隊の存在をほんの少しばかりだが揺るがすに等しい言葉だった。 「奪われて失った部分を補う為にはどうする? なんにも盗られなきゃ…サイコパスじゃない限りなにかを盗ろうなんて思わないわ。あいつはすごく変なとこで不器用だから、奪うしか取り返す術を持ってなかった。ううん、あいつには、奪い返す勇気があったの。普通は奪われて失ってお終いだもの」 でも奪えたところで、自分の欲しいものを自分でちゃんと解っていなかった。 「だからこそ、あんな悲しい生き物なんかになっちゃったのよ。その渇望の本質と、空いた穴を埋めたい欲望を、自他共に悪だと形容した。…あたしは自分の勝手なやり方と感情なんかでまたあいつに、失わせてしまった、こんなにひどいことはないわ」 「リリィさん」 「何があっても、ひとりぼっちにはしないように、きめたのに。あんな言い方じゃ拒絶されて当然、あたしこそ悪よ」 段々声が震えてくる彼女に「ごめん、僕のせいで。」と申し訳なさそうに懺悔する花京院に食い付くように、「違う」と声荒げに叫んだ。 「あなたの為じゃあない…!あたしは自分の我儘のためだけに行動して、挙句、こんなことにッ」 花京院の胸ぐらを掴み顔をぐしゃぐしゃにする彼女の背中を、彼は優しく撫でた。 「あたしは自分のエゴにかこつけてッ、自分の決意を曲げてしまった!!!その結果は最悪だし、最低だわ!!!……誰でもいいから、もうあたしを、殺して、」 あたしの気も知らないで、なんて、こっちの気持ちなんてあいつが知ってるわけないじゃない。怖いからって彼をひとりぼっちにしてしまってはなんにも意味がない。あたしの帰る場所は無くなってしまった。当然の結果だ。 嗚咽混じりにこんなことを言う。 花京院典明は、こんな時にどのような言葉をかけたら正解なのかがよく分からない。が、一つだけ言わなければいけない確かな事だけは、はっきりと分かっていた。今、そのために息を深く吸う。落ち着くんだ典明、言わなければ彼女は進めない。 一歩を踏み締める。 凛と声が響いた。 「リリィさんは、意地を張ってしまったんだろう」 「…」 「大事だった人にいらないって言われたから、じゃあ自分もいらないって手を離してしまったんだろう?」 「…、」 「きっとDIOも一緒のはずだよ」 「……なにが…」 「じゃなきゃあ、あんな顔はしない」 「…でもあいつはあたしを要らないって言った、それに何の変わりはないじゃない」 「それが意地を張ってるっていうんだ」 しばらく黙って、涙を拭ったリリィは、「意地か」とぽつりとこぼした後に「とりあえず、みっともないブラウスを着替えなきゃ」と力なく笑った。 ***** 自分の部屋に行くためにDIOの部屋を出て、そのついでというようになんとなく廊下の奥の奥へと進む。謎の部屋への扉が、そこにぽつんとあった。扉を開けてそっと中へ入る。普通の人間なら見ることはできないが半分でも吸血鬼、真っ暗で小さなその部屋の中心にある小綺麗に飾られた小さな台の上に、骸骨が乗せられてあるのが見えた。何故か其処の雰囲気は、さながら十字架が掲げられた教会のようにも思えてしまう。吸血鬼が十字架なんて笑えない。……そんな中心に飾られた骸骨。それが誰の成れの果てなのか、あたしにはすぐにわかった。 その骸骨は、うっすらとハーミットパープルが、聖人の荊の冠のように頭上を飾っていたから…特に、だ。 「あなた、ジョナサンでしょう」 窓のカーテンを開ける。月の青い光が部屋に染み渡り、骸骨はより白く輝いた。 聖人であった、彼の宿敵。成る程こんな古臭く暗い部屋が教会のように思えてしまうのも一理ある。こんな部屋を用意するなんて物凄い執着心だこと。歩みを進めて、カツカツ、ヒールが鳴り響く。ぴたりと足を止めて、骸骨の乾いた表面を撫でた。あなたがいなければ、きっと今のDIOもいなかったんでしょうね。 「あなたとDIOなんか、出会わなければよかったのに」 燭台に火の灯っていない暗闇の一室。静寂の中自分の声だけが響く。 あなた達が出会わなければ、あたしがこんなくだらない事で頭を悩ませることもこんな風に無駄に息をしていることもなかったんだろう。でも、あなた達が出会ってくれなければ、リリィという名の幸せを味わえたあたしなんてこの世のどこにもいやしなかった。 皮肉なもんだ。こんな理不尽な世界、ぶっ壊してやりたいくらいムカつくこんな世界。でも、たった自分ぽっちの鬱憤だけで他の色んな人の幸せを捕り上げていい理由にはならない、と、あたしはそう思っていた。が、DIOは……ディオは違った。ディオ・ブランドーは全てを恨んだ、恨んで恨んで、恨み切った。まあ、結果あんな奇天烈ファッションの意味わかんないオネエ未満の生き物になったわけだが。 死ねばなにもかも楽になるのなんて、泣けちゃうくらい目に見えた事実なのに。孤独になってまで、茨の道だなんてわかってるのに、苦しいのなんてわかってるくせに。そんなの苦行すぎやしないか、仏の悟りを開きたいわけじゃあるまいし。ブッダだってもうちょっと楽な苦行をチョイスしたがるレベルだわ。楽な苦行ってなによ。 まったく、何をしてでも生きたがる。 あいつのそれはもはや呪いだ。 どうして、生きる事なんて選んだの。どうして体を捨てる前に死んでくれなかったの。なんでまた戦いなんて選んだのよ。どうして───どうして、あの馬鹿みたいに安らかな日常を、選んでくれなかったの。あたしとの日常はそんなに不満で不足だらけだったのかしら。万が一にあんたが勝ったとしても、あんたは物悲しいまんまなのに。 意地。か。 典くんに言われたことを思い出す。あたしの言い方がいけなかったんだ、あんなのDIOを意図的に突き放してるようなもんだ。 「………ばかね」 DIOが死んだら、あたしは残されて一人になる。承太郎が死んだら、DIOは更にその手を赤くさせて茨の道を歩み続ける。 このどっちかには必ずなってしまうのだから世界はやはり優しくない、ここにハッピーエンドはないのだ。やれやれだ。 考えるのは疲れた。もうそろそろやめにしよう。糖質の無駄使いだ。めんどくさい、どうでもいい。本当どうでもいいわよこんなこと。……本当に、本当に、どうでもいい。だって、あたしだけが馬鹿みたいじゃあないか。 意味もなく保身していた自分に唾を吐く。 知らない顔をしたDIOを恐れて手を離してしまった。因縁なんかのせいで怖い顔をして、手を取ってくれなかったDIOに意地を張って自分からも手を離してしまった。いつものあたしならそのままおとなしく待っていたはずなのに、怖いし、気に食わなかったのだ。あたしを眠らせてろくに会話も交わさずに、日常よりも百年前の過去を選んだ哀れな化け物のことが。あんっなに決心とやらを掲げてたくせにいざとなれば情けなく、口先だけで、貧弱で、自分勝手な、ずるい子供。リリィという女は今そんな状況なのだ。 勝っても負けても、どっちみちあの日々が終わってしまうかもしれない可能性がいやなんじゃあない。そもそもあたしはDIOが勝ってくれなんて思ってないし、承太郎が勝ってくれとも思わない。二人とも出会わなきゃ良かったのに、互いに気付かなければよかったのに。血の因果なんてなければよかったのに。…ていうかそもそもDIOが死ぬなんて決まったわけじゃないし、悲しくなんかないし、そんなことこれっぽっちも思ってなどいない。 かなしいとかさみしいとか。 思ってなんか ない。絶対に。 「あなたがちゃんと殺してくれなかったから、あたしがめんどくさい目にあってるんじゃないのよ……いい加減にしてよ」 そうやって骸骨に軽くデコピンしてやった。かつんと乾いた音が鳴る。そもそもの話、さっさと死ねていれば元々こんな目に巻き込まれずに済んだんだ。 死ねていれば。…日常なんか送ってる暇があったら、もっと、殺してもらう努力をしていれば。 あたしは、甘えてた。 なにもかも自分がこんな事に苦しめられているのは、自分のせいだった。いつの間にか勘違いをしていて、気付くのが遅過ぎたのだ。 馬鹿ね。ともう一度呟き、踵を返して部屋から颯爽と出た。 ───そうと決まれば、実力行使でいこう。とどのつまり、あたしが、リリィが独りになる前に、何が何でもDIOがリリィを殺さなければならないようにしてしまえばいいのだ。DIOの行き先も、承太郎達の行く末も、見るのが嫌なら見なければいい。臭いものには蓋をしろでは意味無い?何とでも。 因みに、当たり前だがこの作戦遂行はあたしだけの力でじゃない。承太郎という存在が、必ず必要になる。さっきは互角だったとはいえ延長戦で彼に力で勝つのは無理だし、そもそも勝とうという発想が可笑しい。本来の“目的”はそれではなかったのだから。 自分の部屋、クローゼットの前、リボンを解きシャツとショートパンツを脱ぎ捨てる。手に取ったのは一番のお気に入り達。襟ぐりと胸回り、袖口に細やかなレースをあしらった白いロリータシャツ、ウエストの引き締まって裾が花のように広がる紺色の短いフレアスカート。そこにいつもの赤いリボンをつければ一気に引き締まる。完璧だ。 「典くん」 「はい。あ、なんか雰囲気変わりましたね」 「敬語」 「あ〜〜…ああ、その、ええ、変わったよ、変わった。すごく似合ってる」 「でしょう」 階段を下りて、大広間に出る。供養を終えたんだろう、イギーの砂の前で手を合わせていた典くんが立ち上がったところに歩み寄る。 「どうしたんだい、リリィさん」 「お願いがあるの」 「お願い?」 「もしあたしがね、DIOと承太郎のところに飛び出しても絶対に止めないで。そして、あたしがちゃんと死ねたときに───」 要は、糧になってしまえばいいのだ。 「あいつを必ず殺してあげて」 死にかけの場面であたしが来れば、生きたがりのあいつは不味かろうとあたしを食わずにはいられなくなるだろうから。 そして、もしも承太郎が負けそうだった時は。 ユニバースと一緒にあいつに立ち向かう。もちろん本気で。あいつには敵わないからこそだ、本気であいつの命を脅かさなければあいつは本気であたしを殺してはくれない。 ───さっきまでのあたしは、とってもとっても大事な事を忘れていた。 それはリリィという半吸血鬼の女は、死ぬために彼のそばに居たということだ。決して日常を満喫するため、なんかじゃあない。それは大きな勘違いだ。 今日に日常が終わりを告げたのなら、明日でも明後日でもいつでもなく、“今”がきっとその運命の時なのだ。明日の朝になればあたしはもうどこにもいないことが決定する、運命の日。 今日が、世界にサヨナラする日。 「これは一番のお気に入りの服。お気に入りの服が死装束って、とてもロマンチックでしょ」 I 罠 be with U (私もあなたもわからずや) あたしは確かにこんなにも死にたがりだけど、あんたが一緒なら別にまだこの世界を生きていてもいいかな、なんて。一瞬でも思ったあたしが馬鹿だっただけ。 ────── このパートね、こころおれそうっすわ |