帝王観察日記 | ナノ


 館を出る前にもしやと思い、地下に行ってみる。ケニーGが作り上げた幻覚の部屋はすでになく、テレンスがボコボコになって伸びていた。死んではいないようだから、取り敢えず抱え上げて地下を出、館の裏通りに横たわらせる。『人目の届かない裏通りで起こった交通事故──を、目撃した子供』を装い救急車を呼んでおいて、走り出す。テレンスには悪いが最早一刻の猶予もないのだ。DIOのところに行って自分の答えとやらを確かめなくてはいけない。とりあえずは時計台に向かって走り出す。…ここで一番見晴らしのいい場所は時計台、吸血鬼の視力もあることだしそこに行けばある程度の位置が掴めるかもしれないからだ。
 近道をするためにいつも使っている裏道に足を踏み入れる。走って、走って、どんどん奥へ。
 ──が、すぐにそれを後悔する羽目になった。
 否、いつもなら大丈夫だっただろう。そう、“いつも”ならDIOが居たのだ。でも今は居ない。ここは暗黙の了解によって守られた“黒”の場所、つまり、一見この状況は、小娘が丸腰でアンダーグラウンドの住人が蔓延る街道に来てしまった…ということになる。嫌な空気を感じて立ち止まり、漸く気付く。獲物を見つめるいやらしい目線があたしに集中していることを。妙に小綺麗な格好をしているから尚更、汚い男共は大層気持ち悪く口の端を上げた。

 その姿に、いつかの「東方百合」が死んだ日を思い出す。

 あの緩い日常の中で薄れていた“彼女の恨み”。
 汚い、下品で、下衆、犬以下の生き物。切り開かれた腹部の痛み。屈辱。絶望。あの日、あの野郎さえいなければ、あたしには“人としてのこれからの自分”があったし、その自分を、「彼女」を、「百合」を呪うことなんてなかった。
 …こんな。
 こんな奴ら。
 こんな奴らになんか、───もう二度と負けない。

 頭の奥が熱くなる。妙な昂揚感から口角が上がりそうになりながら、平静を装って目の前にぞろぞろとならびだす男共を一瞥した。

「お嬢ちゃあん、どうしたんだいこンなトコに来たりして」
「通してよ」
「いかんなぁ、いかんよぉ、可愛いオンナのコが怖いところにきちゃあさぁ」

 一人、二人と集まってくる汚らしい男共。時間が早いから、DIOの顔の利く奴らがまだ少ないのだ。やれやれだ。あたしはこんなところで時間を食ってる暇なんてない、だからすぐに片を付けてやる。

「汚いわね、どいて、急いでるの」
「ああん?」
「そこ。どかないと、きっとあなた達怪我をするわ」
「ァんだとォ餓鬼が!おい、押さえちまえッ」
「───…あはッ 忠告はしたんだから、文句はいいっこなしだからね?」

 確かに小娘一人では捕まえられ金にされるのがオチだったのだろう。あたしが「東方百合」であったならそうだったろう。だが「あたし」は、「リリィ」という小娘は、丸腰に見えてちっとも丸腰なんかではないのだ。 …できる、きっと、間違いなくできるよ。あたしの分身だもの、この子はあたしなんだもの、あたしが「あたし」を使えないわけがないッ
 とうとう抑えきれずに牙を剥き出しにして、口角がにんまりと上にあがる。それはもう、嬉しくて楽しくて仕方がなかった。ああ、ああやっと!東方百合の復讐がやっと今果たせるのだわ。ごめんね忘れかけてて、ごめんね待たせてしまって、燻っていた貴女の恨みは漸く終わるよ。生まれ変わったあたしはもうこんな奴らに殺されるようなやつじゃない、ちょっとやそっとじゃ死ぬことのできない可哀想な半吸血鬼!だから百合、安心して天国に行って、まだ死ねないあたしの代わりにどうか安らかに眠ってね!

 リップを塗った口から零れる含み笑いに男達の顔が変わる。──青ざめたわね。このあたしに恐怖をしているのね。なんて哀れだこと、さっきまでの威勢はどこにいってしまったの?
 不意に脳裏を過るのは、あたしの周りの空間全部を手の中にギュッと押し込めて、ばら撒くように吹っ飛ばしちゃうイメージ。…いいよ、それって最高、やっちゃえ!飛ばせるだけ全部!全ッ部トばしちゃえ!!!

「ユニバースッッ!!!!」

 傍から聞けば意味不明言語のその名をあたしが叫んだ瞬間、円状に襲ってきた男達は勢い良く一気に吹き飛んだ。壁に叩きつけられる者、床に転がりへばりつく者、射程圏外でぽかんとしている者エトセトラ。彼らの目に、あたしはどんな化け物に見えているのだろうか?

「ほら、ねえ、ふふ、どんな気持ち?そろそろどいてよおじさん」

 笑いながら、一歩、前へ進む。
 ひとつ、自分の力だと信じて疑わない事。ふたつ、その力は扱えて当然だと思うこと。今は亡きエンヤ婆の言葉が今役に立つなんて、侮れない、だってその通りなんだから! それでも怖気を払うように襲ってくる愚か者にユニバースを殴りかける。ふと、何か手に掴めるものがあるような感触とイメージが脳内に浮かび上がった。───迷うならやれ、イメージできたのなら、“出来ない訳が無い”ッ

「ウラァァッ!!!」

 あたしの動きに合わせてユニバースの手が、“空間”を掴んで、“引っ張る”。一メートルほど後ろにいた男が三人ほど、ユニバースの手前にグンと引っ張り出される。“何か”を“持っていた”手を離して、三人にぶつける。彼らは後方に向かってとてつもなく吹っ飛んだ。

「……な、んだ…こいつぅ…ッ」
「化けモンだ……!!」

 一人のなるべく若い男の襟元を引っつかんでニヤリと笑う。吸血鬼の特徴である鋭い犬歯が、キラリと煌めいた。普通じゃない力に普通じゃない異様な歯、すっかり怯えた男の喉元がゴクリと鳴る。

「おにーさん、教えたげる……小娘だからってナメ腐ってほいほい近づくと──」

 がぶり。
 首元に噛み付いて血を啜ってやる。悲鳴。収縮する筋肉。あんまり美味しくない血。吸血もそこそこに男を放り投げて、喉に通らず口に残った少量の血をぺっぺと吐き出す。すっかり周りは化け物を見る阿呆の顔だ。愉快。DIOもかつてこんな顔で見られていたのだろうか?彼はこれを見て愉快に思ったのか…それとも。

「うっげ〜〜〜…あんたやっぱ普段からちゃんとしたもの食べてないでしょ、それに男の血も極まって美味しくない!よかったわね、あたしが男の血嫌いな吸血鬼で」

 じゃないと蒸発してたかもよあんた。

 そう言い放った直後、ビスッという何かが突き抜ける音がして、太腿に熱い感覚が走った。足を拳銃で撃たれたのだ。よろけた続け様に脇腹にも一発。硝煙の匂いが鼻を掠める。…痛い、痛いのは嫌い、あたしは注射の針だって大嫌いなのだ。床に崩れ落ちる。途端男達から歓喜の声が湧き上がった。

「あ、ぐ、…ぁ……」
「や…やったぞッ!効いたぞ!」
「お前ら押さえろ!!」

 …本当馬鹿だこと。こんなのあたしに効いてたら死ぬのには苦労してないわよ。

「なーーーんちゃってっ」

 もう一度空間を引き寄せて、全員吹っ飛ばす。ユニバースに頼んで、その“実体のないようである手”で傷が癒える前に脇腹に残る銃弾を取ってもらった(抜く際が痛かったけど弾が体に残るのはごめんだ)。…段々やり方がわかってきたみたい。あたしは、ユニバースというスタンドは、時空間を“モノ”として扱えているのだ。引いたり、押したり、捻じ曲げたり削ったり創ったり…それそこ本当に、そこに物体としてそれがあるかのように。
 ふと、路地裏から見える時計台に気づき、十二時の鐘が鳴ったシンデレラのようにはっとする。…まずい、本来の目的があったんだった。こんなところで道草を食ってる場合ではない。
 ハンカチーフを取り出し、そこらにあった蛇口を捻り水で濡らす。それで汚れた口許を拭いながら胸元を確認した。ブラウスは横腹以外汚れていなかったからよしとしよう。時間は食ったが丁度いい制裁にもなっただろうし、ちょっと外道とはいえ今後の誘拐防止にだって貢献した(殺さなかっただけマシだろう)。目には目を歯には歯を。復讐もとい鬱憤も晴れた上に一体ここまでで一石何鳥になったことだか。すっかりさっぱり腰の抜けてしまった男共の低い垣根をひょいと乗り越えて、振り返り、血に染まったハンカチーフをひらりと投げ口許を三日月に歪める。

「それじゃあね不用心なおじさま方、女のコと夕闇には気を付けて!」

 そんな台詞を残してもう一度駆け出した。
 ユニバースを使いつつとんとんとビルの合間の壁を蹴る。身体能力的にこんな映画みたいなことも出来たのかってことに吃驚だけど、二階の窓まで飛べちゃう吸血鬼だものね、当たり前か。屋上から屋上へジャンプし、時計塔を目指す。眼下に広がるエジプトの夜景は美しい、かつてあのアホ帝王も感嘆を零したほどだ。
 ……ふと、あの時不味くても男の血を全て吸って殺してしまっていればと考えてみた。それはIFに過ぎない、でも、吸い尽くしてしまっていたならば、あたしはDIOと同じ存在として傍に立てるのだろうか。
 果たして、立っていたのだろうか。

 頭を振って、考えるのをやめる。
 結局。
 あの高揚感の中で、復讐だなんだなんていっても、最後には殺せなかった。そもそもあの人達は“百合”を殺した奴じゃあないし、そいつはとうの昔にDIOに始末された。あれだけで満足してしまったのはそうだからなのか……もしあのテンションのまま殺せていたら、あたしは本当の化け物になれていたんだろう。吸血鬼(ばけもの)になっても人を殺す勇気は、あたしにはなかったのだ。怖くて。とどのつまりまだ心は人であらんことを捨てきれていなかった。“覚悟が無い”、DIOに言わせてみればそういうことだろう。ヴァニラの言う通り本当に何もかも中途半端だ、笑っちゃうくらい。けどもし、もしも万が一、あたしが中途半端を辞めて“その覚悟をしたら”、DIOはどう思うのかな。 いや………いや。万が一にもない事なんてこの世で一番考えるだけ無駄な事柄だ。

「…!」

 ビルの屋上を伝っていると、異様な空気が感覚神経を掠める。この感じは、ああひょっとして中々まずいんじゃあないかしら。
 この殺気はDIOだ、そして異様な空気感はスタンドによるものだろう。時計塔を過ぎてがむしゃらに様々な屋上を駆けると……エメラルドグリーンの光がチカチカと瞬いた。あの緑玉の輝きをあたしは一度見たことがある。きっと、あれはきっと。

「典くん……!!!」

 DIOの周りに張り巡らされたハイエロファントグリーンの結界。およそ直径四十メートルほどにはなるんじゃあないかという膨大なそれ。普通のスタンド使いならまず逃げることは難しい。けど。
 ああ駄目よ、時を止める力を持つDIOにそれは無意味に等しいのに。

「戦っちゃだめ!!逃げて!!どこかにいって!!!」

 戦っちゃだめなんて随分無茶な相談だ。
 咄嗟に叫んだ言葉にははしたないくらい本音が見え隠れしていた。あたしはきっと典くんを心配している反面疎ましさも感じているのだろう。きっと今典くんが戦えばDIOは本当の本当に承太郎の敵になってしまう。もう手遅れになった人達もいるっていうのに?でも今ならまだ間に合う、日常に戻れる。承太郎の事情を聞かなかったの?そんなことしても無意味よ。でもあたしは日常に戻りたい。 二つの意見が二律背反、もうどうしたらいいのかわからない。ただDIOを止めなければならない、という意思たったそれだけで、この体はこんなにも動いていた。

 そして無慈悲にも時は、主の意志により動きを止めるのである。




アリスは箱庭を捨てられない
(王は滑稽だと笑うだろう)

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