帝王観察日記 | ナノ


「……、!!」

 次の日の真昼間。異様な空気がしてふと顔を上げた。テレンスが紅茶を注ぐこぽこぽという水音だけが聴こえる、異様なまでの静寂。なんだかやな予感がしたのでテレンス、と声をかけようとそちらに目を向けると。

「……テレンス」

 彼は外を見て静かに、その目を三日月のように細く弧を描かせ、冷たく笑っていた。それはまるで悪党が正義の味方を前にして嗤った時のような表情。…いや、まるで、ではなかった。滅多に見ないこの表情に驚かなかったか、と言えば嘘になるけれど、あくまでも分かってはいたつもりだ。ここに居る…或いは居た人達の殆どは“こういう”人達で、テレンスも例外ではないのである。まあ博打で奪った人の魂を人形に移して遊んでるって時点でアブノーマルなのは目に見えてるんだけど。

「テレンス、顔に“出てる”わよ」
「…! ああ…リリィ様、すいませんでした。つい」

 そう言ってこの戦闘員兼執事は、はっとしたようにあたしを見て、何時ものように穏やかに笑った。

「……」
「…来たんでしょう」
「ええ」
「今日のお茶は何?」
「アールグレイ・ベルガモットです。お茶菓子は林檎のカラメルタルトを」
「そう。もう行くの?」
「そういうご指示ですから」

 気を付けてね。とだけ、何の気なしにといったかんじに言う。
 運が悪ければ、お茶を入れた時にこうやって種類を聞くことも出来なくなるのだろうか。紅茶を飲む。あたしも自分でお茶を淹れたりするけど、この人の淹れるお茶にはどうしても敵わないなとやはり思う。紅茶とタルトの飾られたお皿を持って席をたつ。

「どこに行かれるのですか、リリィ様」
「DIOのとこ」
「なら大丈夫ですね」

 今日は行儀が悪いと窘められる事はなかった。“今日”はそういう日だ。たった今し方、そうなった。
 大丈夫ですね、か。 悪党でも一丁前にこんな顔をして人の心配をするのだから、少しだけ困ってしまう。ヴァニラみたいな人ばっかならまだ良かったんだけどなあ。
 階段を登ってDIOの寝室へ向かう。塞がった両手でなんとかドアを開けたら、DIOはなんと起きていた。何時ものように側に仕えてるヴァニラが此方を睥睨する、ほんといつ見てもおっかない見て呉れ。更に言うと、DIOは呑気に日記なんかを書いているときた…随分余裕だこと。彼はとうの昔にこちらに気づいるらしくゆらりとこちらに振り返って「座らないのか」と聞いてきた。ベッド横のサイドテーブル(いつもDIOが飲み物を置いてるところ)に紅茶とタルトをたんと置く。

「帝王さまは随分余裕ね、てっきり震えてるかと思ってたわ」
「この方の寝室に土足で踏み込んで来て何を口にするかと思えば、DIO様を侮辱しているのか。半成りの分際で」
「あー、あんたは喋るとめんどくさいから黙っててほしいんだけど」
「余裕? 当たり前だろう。ああ、すぐ書き終わるから、少し待てよ」

 …ヴァニラよ、その意気は認めるが噛み付くばかりが忠実な僕というわけではないのだぞ。
 賢いお前なら解るだろう、と脳髄に絡みつくようなあの魅了の声色でヴァニラを窘める。途端に大人しくなるヴァニラに信者ってちょろいんだなーと内心肩を竦める。ああいう軽い冗談を真に受けるヤツって嫌。あと絡み方が因縁くさくてねちっこいヤツもどう頑張っても嫌い。つまりヴァニラは嫌い、マライアよりねちっこい。なんでこいつ、いつもみたいに出てかないのよ。
 カーペットには血が数箇所飛び散っている。まあ承太郎が来たわけだし最後の補給をしたんだろうと予測する。部屋は何時ものように薄暗く、冷んやりとした空気はいつもよりも幾分か重い。それから、ねちっこいくそったれヴァニラをちらりと垣間見る。観て──“何か、違う気がする”。本能に直接響いてくるような、変な違和感を感じた。やはり、半分だろうと吸血鬼、そういう“異形”の雰囲気には敏感なのだろうか。とりあえずベッドの上に座り、タルトに銀食器のフォークを刺す。
 カリカリとペン先が紙の上を滑る軽快な音が、真っ黒な遮光カーテンに締め切られた部屋に散らされ、染み込む。しっとりとした甘い生地、カラメルと林檎の味が舌の上で転がり溶けた。

「…これが書き終わったらヴァニラを使って呼びに行こうと思っていたところだ」

 リリィの部屋の位置は少々危険だからな。と。
 そうだったの。とだけ返す。ぶっちゃけDIOの服装よりもタチが悪いこの下半身パンイチ野郎に呼ばれたくなかったし丁度タイミングが良かった。タルト生地の歯触りを確かめながら下を向く。
 下の階がざわついている感じがするので、“始まった”んだろう。なんだかいたたまれない気持ちになってきたので、テレンスが生きてるかどうかで賭けでもしないかと聞くと、DIOはなんでもないように手を止めぬまま「あいつは生きてるだろうさ」と言ってきた。

「どうして?」
「あいつはヴァニラ程に俺に忠誠できていない。俺の為に死ぬことはできんだろうな」
「………ね、そのヴァニラなんだけどさあ」

 ヴァニラがこちらを見る。…蝋燭の光に照らされたそれは…部屋の影で酷く分かりづらかったが。
 赤い目だった。
 あたしと、DIOとおんなじ。人ならざる者の色。

「あんたなんかしたでしょ」
「…ふ、半分でもやはり吸血鬼だなお前は」
「もしかしてだけど、あんたの血でもあげた?」
「ああそうだが」

 なんでも血を貯めている壺を満たす最後を、自ら首を刎ね自分の血で埋めたのだという。死ぬには惜しい男だったからな。と、なんの悪びれもなく言うのがDIOらしいというか。ヴァニラがなんか密かに得意気に此方を見てくるのやめてほしいんだけど、あたしがなにしたってのよ。

「お前とは違い、俺はこの方と完全に同じ時間を歩く者になったのだ」
「くどい言い回しはよしてもらえる?」
「俺はちゃんとした吸血鬼だ」

 お前みたいな半端者と一緒にするんじゃあない、と全体で訴えかけてきているこのパンイチ男にあたしは心からの溜息をプレゼントした。
 そんなの知ったことかっつのッ
 そう思ったのは言うまでもない。 そしてこの従者、いつになくぺちゃくちゃ喋ること喋ること。いつもはしぬほど黙りこくってるくせに。わけもなくヴァニラの顔にグーパンをお見舞いしたくなった、っていうかもう脳内では五十回くらいタコ殴りにしてるしそれだけでは全然足りない。信者ってほんと脳内が幸せそうでなによりだ。
 そんなことを露も知らぬDIO(DIOのことだから本当は分かっててやってるのかもしれないが)は、ピリついた空気の中のんびり一息ついてペンを置いた。

「さて、書き終わったか……ヴァニラは戦いに備えるといい…下がれ」
「………はい、DIO様」

 だッからなんで睨むんだっての。悔しいので、DIOが見てないのを良い事に睨み返してあっかんべーしてやる。あんたなんか全然怖くないんだからね、さっさと承太郎達にやられちゃえばいいのよ。

「らしくもなく不安そうな顔をしているな」

 ヴァニラの気配(因みにヴァニラは部屋から出て扉を閉める最後の最後までこっちを睨んでた、あんたクリームで移動できるだろ絶対にあたしを一秒でも長く睨みたいからそっちの手段使ったろ、と叫んで蹴っ飛ばしてやりたかった。)が完全に遠ざかってから、そんなことをいわれた。DIOからそう見えるのなら、そうなんだろうか。

「震えてるのはお前のほうじゃないか、って?」
「そこまではいっとらんだろう」

 砂糖のたっぷり入った紅茶を啜る。

「…あたしがそんな顔してて愉快かしら」
「…」

 何も言わずにあたしの真隣に腰を下ろす。ベットのスプリングが二人分の重みで苦しそうに軋み音をあげた。
 DIOはこれまでにない位落ち着いていた。やはり小物臭の拭えないゲロ以下であろうとも100年前に(生首になってまで)命を取り合う死闘を繰り返した吸血鬼。その上今は時を止める力まで持っているのだ。あたしなんかが居なくても、この男は別に大丈夫なんじゃあないか、なんて考えが、急に押し寄せる。

「…今日はなんにもできなさそうね」
「そのようだな」
「…」
「リリィ、明日は何をする?」
「…めずらし、そんな事聞くの」
「昨日のお前も聞いていたことだぞ」
「ええ、うそ」
「本当だ。お前やはり酔っていたな……このDIOは嘘を付かん」
「その言葉こそが嘘じゃない」
「WRY…」

 これはあたしだけなんだろうか。あたしくらいしか、こんなに不安に揺れているやつなんてこの館にいないんじゃあないかという気さえする。いや、実際そうなんだろう。
 あたしだけが、この空気から置いてけぼり。笑えてくる。

「…そうね、明日ね、なにしよっか」
「何もないのなら、ゲームをしよう」
「なんの?」
「負けた方が勝ったやつへ思う本音を述べていくゲームだ」

 シンプルだろう。と笑みを浮かべる。…パーティーゲームの中で執り行われる罰ゲームだとか、そういうのでよくあるやつだ。なんでいきなりそんなことを提案してきたんだろう。それがなんとなく、気になる。

「いいよ、面白そうだし」

 まあなんやかんや殆どあたしが負けちゃうのは目に見えてるからいいんだけどね。ほんとこうやってゲームじゃなくてあたしで遊んでくるのやめてほしい。じゃあ明日はDIOにどんなことを言って返り討ちしてやろうかな、と企ててみるけれど。
 ………明日。

 紅茶を全部飲み下す。甘いはずが少しだけ苦い気がした。
 …明日、あたし達はどうなっているんだろうか。
 足を上げ、ベッドの淵で膝を抱えて座る。


「…冴えないな、リリィ」
「…」
「緊張しているのか」
「まあね、こんなに多くの殺気を感じるのもそうそうないし」
「…俺は」

 隣の男が身動ぎ一つする。スプリングがぎしりと音を上げた。

「正直いうと、お前がこの時まで俺の隣に居るとは思わなかったが、な」
「何よ突然」
「…気分だ」
「……まー、あんたがあたしを殺さないからでしょうね」
「そうだが」
「そうよ」

 飲み終わったカップをサイドテーブルに置き、顔を上げる。

「まだ承太郎達はここにこなさそうね」

 DIOの顔を見てから、ドアの向こうを見据える。
 怖いのかな、明日が本当にくるのか。明日にDIOが居たとして、それは承太郎達が殺されるということだ。──承太郎達が、殺されるのだ、DIOに。
 …なんだか、考えたくなかった。現実になるかもしれないことなのに想像もできなかった。実のところあたしはまだ受け入れられてすらいなかったのだ。この状況を。あたしがきっと今のこの戦いの中で一番カスみたいに甘ったれた考えの持ち主なのだろうと思う。

 スプリングがまたぎしりと鳴る。見るとDIOは横に寝転がっていた。

「DIO?」
「なんだ」
「まさかこの状況で寝るの」
「当たり前だろう、本来ならまだ寝てる時間だぞ」
「あ、あんたね。そんなに余裕ぶっこいてて本当に大丈夫なの?寝てるとこにあの子達きたらどうするのよ」
「来ないさ、俺の部下ははそこまでヤワではない」

 それなりには信用してるんだろう、部下を。
 それにリリィも居るから、奴らが来そうになったら起こしてくれるだろう? とベッドに身を沈めながら笑うDIOに、少し変な気持ちになりつつもやれやれと肩を落とした。目覚まし時計じゃあないんだから。
 ごろりとベッドに横たわる筋肉ゴリラ帝王に声を投げかける。

「怖くないんだ」
「…さあな」
「怖いんだ」
「わからん」
「…」

 ただ楽しみなのだ、と彼は言う。

「あの忌々しいジョースターを、今日ッようやく根絶やしにできると考えると、恐怖も忘れるものだ」
 なんというか、執念に塗れた狂気が垣間見える。普通じゃない。熱に浮かされてるような、冷静にみえて冷静じゃないように聞こえるのだ。「このままにしてたら危ないのではないか」「止めるべきなんじゃないか」なんて思考が、一瞬だけ脳裏をかすめた。何が“危ない”のか、その時のあたしにはよくわからなかったし、言い出せるタイミングもなかった。───何せ、わけがわからないくらい急に“眠たく”なったものだから。

「……っ、…う……、?」

 ゴシゴシと目をこする。瞼の上と下が勝手にくっつこうとしてくるのだ。思考が急激に、機能をシャットアウトしたかのようにとても重たくなる。

「…どうしたリリィ、眠いか」
「…ね、むくなんか」

 なんでこんなに眠いんだろう。あんたが寝ちゃダメでしょリリィ、寝たら誰がDIOを起こすのよ。なんて頬っぺたを抓りまくって必死に自分を叩き起こそうとする。だがしかし、睡魔というものは本当に厄介なもので「寝ないぞ絶対に」なんて思ってても瞼は悉く重力に従って落ちてきて、思考は泥沼に足を踏み入れたみたいに沈みはじめていた。本当に、どうして急に眠くなったんだろう。そんなことすら考えるのも覚束ないほどに眠気は酷かった。

「昨日のアルコールでも残ってるんじゃあないか、お前も休めばどうだ」
「…ッ、そん、なことは…」
「リリィ」

 なんて、他にもなにか言われたような気がしたが、それよりも先に重い瞼が閉じてしまったので良く分からず終いだった。辛うじて外界を感じる意識の端くれで誰かに身体を抱えられる。DIOだろう。

「 」

 やさしく頭を撫でられているような気がする。なんだかそれに安心してしまって、体の力が抜けて、とろとろと微睡みに引き摺り込まれてしまう。
 ──なにか、聞こえたようにも思えたけど、結局聞こえなかった。頭の中にその言葉は残留してくれなかった。投げ出していた両足膝の裏に手が掛かり、実に軽々と身体が浮く。
 ぼんやりと。何とか目を開けるもまた勝手に閉じる。せめてでもとその胸板に額を擦り付けた。

 「いくな」と言えば、この男は止まるだろうか。果たして、振り向いてこちらに戻って来てくれるだろうか。万が一にもそんな事、あるわけないけど。なんだか最近どうにもこの男の行動が妙でよからぬ白昼夢を見そうになる、いけないことだ。
 それはきっと、いけないことなのだ。







 十分経ったのか一時間なのかそれ以上なのか、いつの間にかDIOのベッドのシーツに包まってぐっすりと眠っていた。ゆっくり意識が覚醒する。DIOがなにやらゴソゴソしてたからだ。ぼんやり見えたのは何時もの山吹色のパンツに同色のジャケット、すっごい悪趣味の黄緑のヘアバンドも着けている。その姿はDIOの持つスタンド…ワールドを彷彿とさせた。お揃いか、ていうかなんつー格好だッとは思うけど、馴れというか、諦めというか。寝起きでぼやぼやする頭の中、やっとの事で話しかける言語らしきものを抽出し、口にする。

「でぃお」
「起きたか」

 くわりと欠伸をひとつ。瞬く重たい目を擦ってなんとかDIOを視野に捉える。

「……」
「どうした、まだ眠いだろう」
「…どっか、いくの?」
「ああ、まあ、諸用だ。すぐ戻るからお前はまだ寝ていろ」

 いい子だからな。 優しく頭を撫でられるとまた妙な安心をしてしまって諸用なら仕方ないかなあ、と眠気にやられた脳味噌はそんな思考に辿り着き、目は重力へ素直になり枕に顔を埋める。あーあ、いつぐらいに帰ってくるかなあ、テレンスが起こしてくるまでまだここで寝ててもいいだろうか。DIOの匂いがする。ほんの少しの血の匂いと、シャンプーの香りと、芳しい薔薇の香水の匂いだ。いつの間にやら感覚に染み付いて落ち着く匂いになってしまったそれ。
 …そういやきょうって、承太郎達がくるはずなのにどこに行くんだろう。承太郎のことはどーするんだろうか。と、寝ボケた頭でごく普通にぼんやり考える。

 ───承太郎?
 そこで、嫌な引っ掛かりを覚えた。

 …諸用って? 諸用ってなんだ。承太郎達が来るのに逃げるというわけでもあるまい。じゃあどこに行くっていうんだ。あたしが寝ている間に、──テレンスが相手をしに行った時から何時間経った?

 今は 何時だ。

 危険信号が身体中に駆け巡り、脳はあっという間に覚醒した。

「ッ──DIOッ!!!」

 飛び起きる。DIOはいなかった。蝋燭も消えている。ベッドから離れた棚の上に置かれている埃をかぶった時計に駆け寄り、手にとって見る。…17時。この時計が狂っていなければ、カイロではもう日没の時間だ。

 大きく息を吐いて、くそっ、と呟く。

 しまった。と。
 「してやられた」と、すぐに頭を抱えた。

 DIOはあたしを眠らせたのだ。承太郎達とは本当に戦うべきか問うていたあたしの思考を危惧して、自分から引き離す為に。甘かったはずの紅茶に変なえぐみを感じたのは、心理の問題ではなく睡眠薬か何かを入れたからだ。(間抜けなことに)今の今まで意識していなかったけれど、なんせあいつは時を止めれるのだ。じゃなきゃあんなに“都合良く”眠くなるものか。

「なんで……………」

 なんでこんな、急に。
 なによ、どうせ反対したってあんたは行っちゃうくせに? なんだっていうんだ。本当に、もう、我儘勝手すぎる。いつもいつも。

 一人だけの部屋が心細くなり、時計を持つ手に力を入れる。

 こんなことなら、覚悟する時間くらい、くれたってよかったのに。

 館の中にあれだけあったはずの人の気配がほぼ完全に消え失せていた。DIO自身がここから出て行ったくらいだ、承太郎たちはおそらく生きている、少なくともテレンスとヴァニラは闘えない状態にあるんだろう。
 もうこの館に残っているのは、あたしと、ああ終わりが来てしまったんだな、という途方もない現実と、受け止めるには些か大きすぎる衝撃だけ。

 時計を放り投げて、腕を抱きながら、部屋の中をよたよたと不安定に歩き回る。
 あたしは、次に自分がどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
 心の中の散らかりっぱなしな部屋はまだちっとも片付いていない。待つべきか? 戻ってこなかったら? なら止めにいくべきか? 何をすれば“正解”になるの? “正解”って何? 自ずと手が震える。部屋の中心にへたり込んで、震えを無理矢理止めるように右手を左手で握る。その格好はきっと何かに祈っているように見えるだろう。

 とうとうおわりが やってきたのだ。

「に…ば、…す……ユニバース、」

 ユニバース。
 これまたわななく声で確かめるように言う。その像はいつの間にやら、音もなくあたしの目の前に居た。恐る恐る、触る。触れた。触れて、縋り付く。温かくもなければ、冷たくもない。

「どうしたらいいの、あたしはッ……どこに、いればいいの」

 縋るように、搾り出す声。
 ユニバースは話さない。これはスタンドではなく、リリィ(あたし)が考えることなのだ。




何度引き金をひけましたか
(あの過ごしていた時間の中で)




 結局じっとしてられなくて、とりあえずと言い聞かせて階段を降りる。そこであたしは早くも衝撃を受けることになった。
 何時間か前までは正常だったホールが劇的ビフォーアフターというか、なんということでしょう、穴ぼこと砂だらけだった。急いで一番下まで降りる。砂の中に、DIOの念写で見たことのある犬…イギーが倒れているのを見つけた。

「ど、どうしたの…?! あなたイギーでしょ?典くん達は…ッ」

 近づいて、触れかけてから、言葉を止めた。

 ……………ああ。
 この子は。

 空っぽだった。生きた血の香りも、息遣いも、魂の鼓動も、なにも感じられない。

 そうか。
 この子はもうどこにもいない。

 あたしも同じように“なるはずだったもの”に、イギーはなっていた。そっと、血がこびりついてバサバサになった毛なみを撫でる。動物特有の温かみはそこにはなくそれは酷く冷たかった。辺りを見回す。…端辺りに、誰かの腕が落ちていた。どこかでちらっと見たことのある装飾品のついた、浅黒く逞しい腕だ。ヴァニラはいなかった。月明かりが差しこむカーテンの開いた窓の平行線上に、不自然な色の灰が砂と一緒に其処彼処に散らばっている。

 言葉は出てこなかった。
 慣れてる分そんな変死体くらいで弱音なんてでやしないし、涙も当然出てこなかった。元は赤の他人だ、非情かもしれないがそこまで泣くほどではない。ただ、空虚な悲哀と哀悼と、これはDIOの存在がそうさせたという事実の居心地の悪さだけは、嫌という程溢れていた。
 あたしの座り込んだ世界はいつまでもしんとしていた。

 こういう世界なんだな、と思った。
 DIOが居るのはこんな世界なのだ。一瞬の喧騒と恒久の静寂。消えぬ不安。振り返った先にも今いる場所にもこれから進むであろう道にも、死体ばっかりが横たわる、なんて嫌な世界だ。きっとそれは悪夢だ。悪夢としか、言いようがない。

 つい先ほどその世界に、三体ほど死体が増えて、また幾つかの死体が今にも放り込まれようかとしている。或いは、その世界の住人が消えるか。
 あたしは、見ないふりしてここで帰りを待つべきだろうか。見ないふりをするべきなんだろう。止めに行くとしても(スタンドがあるとはいえ)非力なあたしでは結果は見えていた。

「……」

 だが。
 否。

 答えは瞬間に出た。
 じっと座っていることなんて、出来るはずもなかった。

「…待ってなんかやらない」

 会いに行こう。とにかくDIOに会いに行けば…あたしが本当に何をしたいか分かるかもしれない。

「行こう」
『…。』
「行こう、ユニバース」

 館を飛び出すことを決めた。






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いよいよ節目です。
最後までどうかお付き合いください。

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