四年前の出来事だ。 あたしは父親の赴任先だったイギリスから日本へ帰国しようとしたその日に、事故に巻き込まれた。なんとも運が悪いことにそこは中々治安がよろしくない場所で、父と母が死んだどさくさに紛れて金品荷物は全て奪われた。警察に身元確認を取って帰国させてくれと頼んでもすべて受け流され、たった17の子供だった自分は路頭に迷うしかなく、挙句の果てには通り魔に遭って腹部を切り裂かれ殺される目にまであった。不幸に不幸が重なって更に不幸。うんざりだ。こんな得体のしれない場所でわけのわからない死に方をする運命だったのか。そのためにあたしはドブみたいなあんな世界を必死に生きていたのか。なんだか馬鹿みたいじゃあないか。 薄れゆく意識の中であたしはあたしの人生全てを呪った。 この時、あたしの運命は、確かに死んだのだ。 そのはずだった。 しかし、声が聞こえた。一瞬だけ意識が浮上する。 「小娘。まだ生きたいか」 仄暗い闇から微かにだが聴こえるテノールが良い具合にきいた、男声。 その声は偉く上から目線な口調でこう続けた。 「人間ではなく化物になってでも生きたいのなら、私の手を取るといい」 うっすらと目を開ける。確かに手が差し出されていた。 生きたいか、なんて聞かれたら答えはYesでもNoでもどっちでもいい。どっちか、と聞かれたらNoの方に近いけれど。どうせこの先もこんな風に散々な人生なのだろうし、なにより諦めはついている。 ───だが。得体の知れない場所で訳がわからないまま、野良犬と同じように野垂れ死にするのだけはイヤだった。 せめてちゃんとした場所で、自分でもよく分かる死に方で死にたい。そのためには一度生き返らなければ意味がないのである。だからあたしは、その手を取ろうと手を伸ばした。伸ばして、掴みかけたところで意識が飛んでしまった。その時に、手を伸ばす男の顔が月光に照らされてちらりと見えた。綺麗な顔だった。ああ、この男に殺される死に方も悪くないかなと思った。 次に目を開けると、あたしはちゃんと生きていた。大きめのパジャマを着て、天蓋付きベッドの上に横たわっている。部屋は夜だったので暗かったが、貴族調の装飾の部屋だった。どこかの屋敷だろうか? 「……」 「小娘、目覚めたか」 あの男が、隣にいた。 半裸で。 「どうだね、人を辞めて初の目覚めの心境は」 「…」 ちょっとこの人何を言ってるのかよくわからない。あとなんで半裸なんだ。 「まあ辞めたと言っても半分だけ、だがな」 どういうことなのか説明しろよ。服着ろよ。 「…疑問だらけな面持ちをしているな。よかろう、このDIO直々に説明してやる」 蝋燭の火に照らされる眩い金糸の髪に、血潮のように紅い相貌をした美しい男(半裸)は、物語に出てくる吸血鬼のような真っ白の犬歯を煌めかせて妖艶に笑った。 「貴様はこの吸血鬼、DIOの血を取り込み、同じく吸血鬼となったのだ。とはいっても微量の血だったから“半吸血鬼(ダムピール)”と言った部類なのだがな」 つまり物語上の存在にあたしはなってしまった、と。 …そんな奇妙なことが本当にあるのか?試しに歯を指で触ってみたら、異様に鋭く尖った犬歯が上に二本、下に二本、間違いなく本物のそれが生え揃っている感触がした。まあ確かに「化物になってでも生きたければ」とは言っていたから、ここで怒るのは場違いも甚だしいし怒る気はあんまりないのだが。 感想はというと、「マジですか」って感じだ。あまりの突飛さにただびっくりしている。馬鹿げた夢とかじゃあなく、マジで吸血鬼なんてものになってしまったのか。あたしが。ちょっと死に際に非凡な運命に遭ってしまった以外、普通の人間的環境で育ってきたあたしが。 奇妙というかなんというか。 でも一番奇妙だったのは、普通なら騒ぎ立ててもおかしくない状況下で、妙にあたしの精神が落ち着きはらっていたことだった。しかしまあ、初対面である、初対面で半裸である。出だしに何をしゃべっていいのかわからず美しいこの半裸吸血鬼を凝視して押し黙っていると、男がつまらなそうに鼻を鳴らした。 「貴様、まだ喋れないのか。フン…まあ仕方なかろう…退屈しのぎだ、貴様が話せるまでくらいなら待ってやる。……食事の時間だ、私はこれで失礼する」 ディオ、とかいった彼がドアの向こうに消え、バタン。とドアが閉まる。 吸血鬼の食事、かあ。やっぱ人間の血なのかな。 「…ン゛ンッ…!ゴホゴホ、あー、あーー、あいうえおー」 とりあえず、やっと意図的に声を出してみることにした。人じゃなくなっても声色とかはなにも変わっていないらしい。とりあえず体か精神が慣れないことだらけで疲れているのか眠い。あの男がいない間に少しだけ仮眠を取ることにした。 **** 目が覚めると、カーテンから漏れる光。朝。次の日の朝だった。仮眠どころかぐっすり眠っちゃったよ。 ボーッと太陽で明るくなった天井を見つめる。低血圧というものは朝に弱い。あの吸血鬼男はどこにいるのだろうか…とぼんやり考えはじめたところで、ハッと突然自分が吸血鬼になってしまっていたことを思い出し、頭から布団を被る。やばい、吸血鬼って日の光苦手なんじゃなかったっけ…!? 「……?」 そろり、と布団から外を覗いてみる。日の光が普通にさんさんと入ってきているが、なんとも思わない。痛いとも痒いとも思わない。むしろ人間だった頃と何ら変わりない「朝が来たなあ」という気分だ。 「…半吸血鬼だから、日の光は大丈夫…だったり?」 そんな独り言を呟く。 まあ浴び過ぎは流石に良くないかも知れないけど。 隣を見たら、なにやら朝食らしき食事の用意がおいてあった。あの男が用意したのだろうか。…豪傑な見た目の割に豆なやつだ。 部屋にあった鏡を見て確認したら、ご立派な牙が生え揃っていた。ハーフなために緑色だった目も、カラーコンタクトを入れたみたいに赤になっている。ああ、やっぱりちゃんと吸血鬼なんだ…なんだか微妙にショック。でも赤い目が中々綺麗だったからすぐに立ち直った。我ながら単純だ。 暇を持て余したその日の夕暮れあたり。そっと部屋を出て、廊下を歩く。吸血鬼だからと言ってコウモリの羽が生えているわけでもなく、変身できるわけでも十字架が見れないわけでもなく、人間だった頃の体と全くかわりはなかった。その時ふと声が聞こえる部屋を見つけたので、前で聞き耳を立ててみる。 中からは「DIO様」とか「あんな娘」とか「帝王ともあろうお方が」などと聞こえる。おいあんな娘ってあたしのことか。 「あの娘にあなた様の血を与えてどうするおつもりですじゃ」 「ちょっとした遊戯だ。私の暇つぶしにはなるだろうよ」 そんな風な会話が聴こえる。まあ暇つぶすためだろうがなんだろうがあの男の好きにしてくれればいつかは殺してくれるだろうけど。 しかし、帝王とな。 あの男が。 あんな「本質」をもった奴が? …どうでもいい話を少ししよう。あたしには何故か物心ついた時から、何となく面と向かった人間の「本質」というものがちょっと見える妙な技能を持っていた(そのおかげで友人は極端に少なかったが)。なんというか言い方次第では誠に中二病臭いのだが、人より第六感が鋭い、といえばいいのだろうか。とにかく雰囲気でこの人はホントはこんな感じなんだなってな風に感じ取れてしまうのだ。で、実際昨日この男の本質が見えていっそ笑いそうになったって話。多分そのせいであんな異様な雰囲気の中で落ち着けていたのかもしれない。外面はあんな風に余裕綽々を取り繕っているが、あいつの中身ははっきり言ってただの小悪党止まりのゲロ以下だ。 しかしただゲロ以下なわけでもない。人間を辞めて吸血鬼…もとい化け物として生きているくせに、なんというか、とても人間臭いのだ。ゲロ以下な一方自分に空いた穴を埋めようと必死でもがいている。何を求めているのか、そこまではさすがに見えなかったし見る気もないけれど。 …そこらの人間と大して変わらないじゃあないか。それが帝王サマだって。片腹痛いときたら。まあそんな事を言って、この17の小娘程度に彼の何がわかるのかと聞かれたらそれは謝るしかないのだが。 夜。 部屋に戻ると、あいつがまたやってきた。また半裸で。なんで服を着ないんだろう、どうでもいいけど。 あたしは早速、喋れるようになったと報告がてらに面白半分、ひとつ“つきつけて”やることにした。 「こんばんわ。ゲロ以下の臭いをした帝王さん」 「……」 ゲロ以下、の単語にぴくりと反応を示す。眉間に皺が一斉に寄り集まる。おお、怒ってる怒ってる。このままさっさと食い殺してくれればあたしも願ったり叶ったりなんだけれど。 「WRY……小娘、この私を挑発しているのか?」 「でも間違ったこと言ってないでしょ。普段はそんな風にポーカーフェイス気取ってるけど追い詰められたら出てきちゃうのが本質、本性なのよ。怒りっぽいし、想定外…イレギュラーな出来事に弱くて、そうなったらその前に幾ら猫被っててもすっごく姑息でズルい手でさえ手段を選ばなかったり。身に覚えはない?」 こんな風にちょっと暴いてやれば、大抵のやつは逆上して殴りかかってきたりでもするのだ。そうやって今までムカつく奴をとことんからかってきたあたしも割とゲロ以下なのかもしれない。 親近感、とでもいうのだろうか。この怪物である半裸の大男に対して? うっかり人間を辞めてしまっただけある発想かな、これは。 「小娘に私の何がわかるというのだ」 「何にもわからないわよ。ただ見えることだけを言ってるの」 「…ククク…まるで100年前の出来事を手に取って見られたような気分だな……実に、胸糞が悪い」 「あたし占い師になれるかな? えっあなた100歳なの」 「まあかなり不人気の占い師にはなるだろうな。私は120歳だ」 笑ってはいるが目に見えてイラついていた。これはチャンスかもしれない。 「ところでムカついてるんでしょ?腹癒せが欲しくない?ここに丁度いいのがいるんだけど」 「……、何が言いたい?」 「吸血鬼でしょ?さっさとサンドバッグのように嬲り殺すなり食べてくれるなりしてくれない?怪物なんでしょ?」 すると男は呆れた顔で「それが狙いか…くだらん」と吐き捨てた。 「貴様が生きたいと表明したから、わざわざこのDIOが生き返らせてやったのだろうが」 「それはね、教えてあげる。あんな得体の知れない場所で犬死にしたくなかったからよ。今のところ生きてる理由なんてそんだけだわ」 今のあたしの目標は、いかにちゃんとした場所で納得いく死を遂げられるかなのよ。 DIOは、心底呆れた顔で「貴様のような奇妙な元人間は初めて見たぞ」と呟いた。 納得する死がこの男による殺害。まあどうせならって気持ちもある、だってあの物語にしか登場しない吸血鬼よ?これってもし殺されるのだとしたら願ったり叶ったりな上にとってもレアで、非常にラッキーなことに違いない。 「丁度いいところにいい感じに殺してくれそうな奴が目の前にいるのに、利用しない手はないでしょ?」 「この帝王は小娘に利用される程愚かではないのでな。そういう事なら暫くは苦しみながら生きるがいい…暇なのだ、私を愉しませろ」 「ゲロ以下」 「、む。」 「言い返してみなさいよゲロ以下の小悪党。帝王?笑っちゃうわね!あなた短気は損気って言葉知ってる?」 「貴様…あいつとよく似た顔のくせに中々の下衆だな…悪女め」 あいつ? ぽろっとDIOの口から出てきた言葉が気になって質問したら、微妙にはぐらかされた。 「…貴様は実に珍妙な技を持っているのだな。術師か何かか」 「術師じゃないわ、なんか分かるのよ。その人の根底にあるものはどんなのって」 「…面白い。どんな風に見えるのだ」 「第六感?なのかしら。なんとなく感じるっていうか…なんかこう、あなたなら、怒りっぽい感じがするなぁとか、頭に血が上りやすいんだなぁとか」 「ほう」 「ゲロ臭いとか」 「お前わざとだろう」 目の前で腕組みをする彼は、ふむと唸った。 「……まあ、悔しいが、当たりだ。…それらは私の昔からの悪い癖でもある」 「あと、期待に添えないみたいで残念だけど、別に生きること自体は苦でもなんでもないのよね。人としてのしがらみとか全部なくなっちゃったしどっちかっていったら楽よ」 「……」 「だから帝王サマを愉しませるよりは苛立たせる事くらいしかできないわね、お生憎。本質が本質だからあなたの精神衛生のためにもあたしはさっさと殺しといた方が得策だと思うけど」 「はじめは喋らないと思っていたら、よく喋る小娘だな…不必要なことをペラペラと。煩くてかなわん」 それでもあいつは次の夜もあたしの部屋に来た。ツンデレか。その日は半吸血鬼の仕組みと屋敷のこととDIOの生活サイクルに対する配慮について淡々と教えられた。本人曰くこれを教えたらもう自分の足ではここには来ないらしい。あたしが煩いからだという。別にこいつが来ようが来まいがあたしは割とどうでもいいんだけども。 DIOが言うには。 半吸血鬼は日の光はある程度は平気らしい。最もちゃんとした吸血鬼であるDIOにとっては日の光は唯一の天敵なのだそうだが。だが半吸血鬼といっても長時間浴びるのは禁物。気分が悪くなったり体に異常が出てくるとか。 あと、二週間…長くて一ヶ月に一度は血を飲まなくてはいけないそうだ。死にたければ飲まなくてもいいらしいけれど。 「それか、しにたがりの貴様には血など要らなかったか?」 「飢え死にはあんまり好みじゃないから血は飲むわよ、普通のご飯だって食べるし」 「…我儘なやつめが…」 DIOは普通の人間と昼夜逆転の生活をしている。あいつの昼間は人間の感覚で言う夜中なのだ。つまり太陽が出ている間は起こすな、と言いたいらしい。 一通り説明を受けて、衣類を渡された。すこしフリルのついたクラシックデザインの可愛らしいブラウスと、紺のプリーツスカート。無難なデザインだ。わざわざあたしのために用意したのだろうか?やっぱ豆だな…まあ、ありがたいのでもらっておく。 その後は他愛ない話からひっそりとこいつの情報を聞き出す程度だった。DIOはつい一年前、100年間居た海底から引き上げられたのだとか、今日の昼間に聞こえた部下らしき人の声…エンヤ婆とかいう人のことについてとか。あと、あたしを助けた魂胆とか。 「なんでぜんぶ吸血鬼にしなかったの?」 「あれだけの血の量があればあの程度回復するだろうからだ。フン、そこまで化け物になりたければ今すぐにでもしてやるぞ小娘」 「……」 「冗談だ。永遠の時を統べるのはこのDIOだけで充分だから…それだけだ」 「じゃあなぜ助けようと思ったの」 黙り込むDIO。構わずにあたしは続けた。 「あなたは吸血鬼だから、色んな人を食べ物にしてるはずでしょ。それについては何にも言わない。でもなんであたしを食べ物として見ずに生かしたの?」 「煩い餓鬼だな。そこまで死にたければ今すぐにでも」 「いつまでたってもしてくれないから聞いているんだけど馬鹿なの」 大きな手が爪を立ててあたしの頭を乱暴に鷲掴み、間近へと引き寄せた。真っ赤な目がギラギラと光る。獣が威嚇するようにその牙を剥く。 怖くなかった。何故か。 普通なら誰しもが震え上がるような殺気なのに、何故かあたしには、その姿が憐れに見えた。憐れな獣だ。 「オイ小娘……調子に乗るのもいい加減にするんだな…」 「じゃ、さっさと食べてくれる?」 はい、と寝巻きの襟を引っ張り首元を見せる。やっぱりDIOは喰いつかない。…怖いのだろうか?でも見たところ恐怖心は微塵も出ていない。寧ろ面白くない見世物をみた時のように顔を顰めている。 「…小娘」 「はあい」 「年頃の女がそんなみっともない事をするんじゃあない」 頭の手を離され、首元を直された。 「…なんなのよあんた」 「フン…何もかもこのDIOの気まぐれにきまっているだろう」 「…」 「貴様など私の気まぐれ次第でいつでも死ねるのだ」 「…あ、それ、頑張ってその気にさせろって振りだったりする?」 「………」 すっごい不機嫌そうな顔をされた。気に食わないんだろうなあ、こういう反応するあたしが。なんだかそういうつもりではなかったのだが面白くなってきた。 暫くの沈黙。居心地が良くなくて、腰を浮かせて座り直す。ちょっとしたベッドのスプリングでも静かな部屋にはよく響く。隣を垣間見てみる。…この男、黙ってれば世界中のどんな彫像よりも美しい見た目をしているというのに非常に残念だと思う。 「………お前の顔が奴によく似ている、からか。いや、関係はないだろうな」 「! 奴ってだれ?」 「……」 なんと言い表せばいいものか思いつかないなと半笑いを浮かべていた。すると彼は思いついたように「そういえば貴様の名前を知らなかったな」とつぶやいた。 「名はなんという」 「…東方百合。ユリ、ヒガシカタ」 「ユリ…東洋人か」 「そうだよ」 「少々言いづらいな」 「言いづらそうだね」 「リリィというのはどうだ」 「リリィ?」 「東洋で言うユリの英名だ」 「いいねそれ、綺麗。じゃあ今日は東方百合の命日ね」 「…ほう?」 「人間の東方百合は今日ちゃんと死んで、リリィっていう半吸血鬼が生まれた日」 「ユーモラスなことをいう小娘だな」 「あなたの言う退屈しのぎにはなるんじゃあないかしら。DIO…んー、いや、部下の人が呼ぶみたいにDIO様っていうべき?」 「二度と後者で呼ばないでもらおうか。何故かお前に言われると馬鹿にされているようにしか聞こえん、腹が立つ」 「じゃあDIOね」 吸血鬼は白百合の花を手折る (彼が死んで一年) (今から四年前になる寂しがり屋の吸血鬼と馬鹿な女のお話) |