帝王観察日記 | ナノ


 いつも通り散歩したり買い物を終えて、かの忍者のように二階へと飛んで自分の部屋の窓から室内に入る。吸血鬼の身体に慣れるとこんな人並外れたことも出来るからたまに楽しい。アスレチックとかに行ったら最高なんじゃないかな。その前に日光でぶっ倒れそうだけど。
 読みたかった新刊のハード本をベッドの上に置き、個人的に食べたかった林檎を齧りながらお使いの品々をキッチンの冷蔵庫にぶち込んで廊下を歩く。うっすらと声が聴こえた。林檎を齧る。男の唸り声、または呻き声。ああまたか、と息を吐いた。

 またうなされてるんだな。
 やれやれだ。

 奥の奥のそのまた奥にある、一室のドアをそっとあける。声の正体である獣が眠っていた。部屋は遮光カーテンで暗い。仰向けになって眠る姿は一見安らかそうにも見えるが、断続的に苦しそうに唸っては、静かになり、たまに身を捩らせてまた少しだけ呻く。それの繰り返し。そいつが横たわるベッドのふちに腰をかけ、ポケットからいつしかエンヤ婆に貰った白いハンカチを出して、汗やら目尻から垂れ流れている塩水やらを拭ってやった。拭っても拭ってもその塩水は流れ続ける。それでも拭う。金色の髪がちょっと汗で湿っていた。その髪を梳く、相変わらずムカつくほどのキューティクルだ。

 ある一定の周期で、こんな事が起こる。なんていうか、発作や生理がくるのとおんなじように。これもまた膿を取り除く作業なのか。だとしたら溜まり過ぎだろと突っ込みたくもなるが。色々疲れてるんだなって、思うことにしてる。

 エンヤ婆はこの事を「帝王となるべく与えられた試練」だと言っていた。「乗り越えるべき業の苦しみ」だのと心を痛めたような顔をして。あたしがそれについて言いたいことはただ一つだ。

 んなわけがあるか。

 なにが試練だ。トチ狂った妄想妄言も大概にしてほしい。見てみろ、ただ無自覚に黒歴史にうなされてるだけじゃないか。そんな過去のお荷物すら背負えないほどにこの男は絶対悪としてデキていないっていうのに。思わせぶりな事を言ってこれ以上こいつを独りにさせる気か、この占い厨くそばばあめ。……なんて、そんな事を口にすれば今でさえ反感で満ち満ちた視線がさらにきつくなるので言わないけど。やだなあ、人を邪魔者みたいにさ。やれやれだわ、こっちは気まぐれ勝手に拾われただけだっていうのに。

 透き通るような白い肌にじんわりと滲む汗を拭う。
 100年前の邪悪な吸血鬼たる男がよくもまあここまで堕ちたもんだ。いや、元々堕ちてた、のか。

「そんなとこにいないでさっさとこっちに戻ってきなさいよ、帝王さん」

 この男の心はひとりぼっちだ。
 無自覚に孤独の道へと突っ走っていってしまう、どうしようもない茶目っ気を兼ね備える愚者。
 話に聞いた貧民時代も、ジョースターに引き取られた後も、吸血鬼になってからも、今も。だれも寄せ付けない、自分しか信じない、孤高の心であろうとする。そんな大馬鹿ものの行為には覚えがあった。…一昔前のあたしのやり方に、よく似ている。

 こんな読心術まがいの力を持ってるばかりに、全ての流れに反発していた。逆走して、だれもどうせ理解はしてくれないと、ひとりで無駄に頑張って。
 あのまま生き続けていたらあたしはこの男と同じような生き物になってたんだろうか。

 閑話休題。

 この男は、愛を知らない。
 或いは愛に気付いていない。捻くれてる、と言った方がわかりやすいか。

 ひとりでいるのが当然だと思っている。栄養が足りない心がひもじさを訴えて泣いていることを、きっと随分と前から理解できていないのだろう。それが分からずに飢えを別の色んな何かを奪うことで埋め合わせしようとするけど、そんなもので埋め合わせができるはずもなく。
 解らないから、伝えても無駄だ。今まで彼は、受け取ってもわからずに捨ててしまったのだろう。
 食糧の女が囁く寵愛の言葉も、心酔の部下が吐く敬愛の言葉も、この男がいる深海までは届いていない、届くはずがない。彼らは無駄なことしかしてないというわけだ。滑稽な話。笑い飛ばしてやりたくなる。

 そっと、割れ物に触れるように額から輪郭を撫で、もう一度目から流れた水を拭う。

 それなら、あたしのようなやつであれば尚更、してやれる事なんてたかが知れているというもの。
 あたしが愛を語った所で、寧ろ彼らのそれより薄っぺらくて説得力がない。なによりあたしは彼らのように、こんな頑固な分からず屋へ根気良く何かを伝え続けるなんて大層な気力すら持ち合わせていなかった。
 だからせいぜいこうやってハンカチで拭いてやって、隣で愚痴でも世間話でも聴いてやって、膿を取り除く作業のほんの助けをするくらい。

 まあ、別にそれでいいと思う。それがベストだ。

 こんな面倒くさいこと知るくらいなら、ゲスいとこ以外見えなかった当初のまんまで良かったのになあ、と後悔はしてる。こんな目なんて要らなかったとも思う。関われば関わるほど、色濃い影がDIOという人物を覆っているのが見えてしまう。見えるものを見えないふりできない、挙句昔の自分を重ねてしまう自分がひどく情けない。同情なんて嫌いなくせに。

 でも、この真実を視る力がなければ、自分に似てなければ、ここまでDIOという人物になにかをしてやれることもなかったのだろうか。

「…ッ、!」
「あれ、起きたの」

 ばちりと目が勢いよく開かれる。

「顔に落書きでもしてやろうかと思ってたのに残念、もうちょっと寝てればよかったのに」
「……」
「おはようDIO」

 ハンカチを仕舞う。DIOは顔を顰めて上半身を起き上がらせた。

「……、また余計な事を」
「あんたにじゃなくて、首の下の人がかわいそうだっただけよ。悪い?」
「奴にそんな情けをかける必要などない」

 本人は、自分が泣いているのではないという。吸血鬼は泣かない、首の下にいるジョナサンが泣いているのだと。
 勿論ジョナサンではないのはわかっている。脳がそうやってシグナルを出しているのは、間違いなく本人だ。そういうやつだから仕方ない。その強がりを受け入れるのが彼にとって一番の特効薬なのだ。

「……夢を」
「うん」

 酷く掠れた声だ。
 夢を見た、と、その唇は呟いた。

 まさに手負いの獣、といった感じ。
 自分だけでは傷を癒すどころか抉って悪化させる事しか出来ない、哀れな獣。本当の自分が何を求めてるのかも理解できない可哀想な化物。

「そう、夢を見たのね」
「…」

 どんな内容なのかは、彼は言わなかった。
 深々と溜息を吐き、疲れたように両手で顔を覆う。それをみつめる。

「でもここはもう夢じゃないわよ、ここは現実」
「……」
「どうせなら日光浴でもして確かめる?」
「やめろ、こらカーテンに手をかけるんじゃあないッ」

 外は夕方だった。DIOからしたら早朝だ。夕焼けと朝焼けってどっちがキツイ?と質問したらどっちもと答えが帰ってきた。

「綺麗なのに、夕日は特にね」
「どうだったか。もう100年は見ていない」
「見る?」
「冗談なしに死ぬからやめろ」

 ごめんごめん、とカーテンから離れる。

「…」
「お疲れの様子ね」
「…悪夢だった。寝れた気がせん」

 悪夢。彼はどんな悪夢を見てしまったのだろう。ゆっくりと静かに、ひどく緩やかに、泣いてしまうほど“怖い夢”を。

「枕でも変えてみたらいいんじゃない?」
「………」
「まだあんたにしては早朝だけど、もっかい寝る?」

 返事はなかった。雀の鳴く声が外から聞こえる。
 
 自覚など、こんなやつにさせなくてもいいのだ。どうせあたしの命は殺されるも殺されまいも彼に比べればとても短い。そんなことに労力を割くくらいなら好きなことをして好きなものを食べるほうがマシだ。

 あたしが勝手にそばにいて、勝手に独りにさせないようにするだけ。勝手に、お節介をするだけ。嫌がられようがなんだろうがあたしがやりたいように好き勝手行動するだけ。それがベストだ。

 DIOは無言のまま、再び横たわった。此方に背を向けている。その背に背を向けるようにして、ベッドに腰掛けなおす。

「……♪少年はらせん階段をのぼる、空とぶカブト虫を追いかけて」
「…!」

 少し身体を起き上がらせて、此方を向く彼。ぎしりとスプリングが鳴り響く。振り向いて、どうしたの?と聞いたら「いや…」と口ごもり、体勢を元に戻し体をシーツに沈めた。

「……、続けろ」
「…♪廃墟の街の小さなお庭。
開かれたお茶会のメインは
甘くて美味しい、イチジクのタルト」

 互いに背を向けて。
 兄弟のような、父のような、子どものような。なんだか奇妙な関係だ。

「どこへゆくのカブト虫…♪」


 ややあって、DIOがぼそりとこう呟いた。

「…なぜ今それを歌った」
「あたしがなんとなく歌いたくなったから、歌っただけよ」
「……」
「それ以上の理由なんてありゃしないでしょ」

 そうか。
 と、普段より少々穏やかな声が空間に消える。

「飽きるまで歌っちゃいたい気分だから、嫌になったら殴るなりして止めてちょうだい」
「……」

 結局殴られることはなく、気がついたらDIOは寝ていた。





なりそこないとなりそこない
(そうしたかったからした。それだけだ)




──────
人間のなまっちょろさを捨てきれずに怪物になりきれなかった男と半端吸血鬼の小娘。


DIO様は人一倍愛情に飢えてるよねって。オバヘブでも「あれだけ食べたかったパンもいざ食べてみたらどれも味気なくて」とかなんとか言ってたのがなんとも。ね!
飢え続けるわからずや

ここのDIOさますげー女々しくてキモいけど原作でも割りとねちっこかった件

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