]]V‐呼ぶ、海 お昼ご飯を食べる為に、ポケモンセンターに配属されているビュッフェに訪れる。アサギは元々穏やかな街な為か、人も少なかった。 アズサは対面に座るセキの皿の上にのる食べ物を見ながら、へえと声を漏らした。 「セキって意外と甘い物好きなんだね。お皿に甘い物ばっかだけどご飯食べないの?」 「もう食ったから甘いもん食ってんだろ。…意外ってなんだよ、そう言うお前こそスパゲッティに七味とタバスコってなんだ麺真っ赤だぞやばい色してんぞガチで」 どうやら二人は、正反対の味覚を持っているようだった。 「や、だからって甘い物苦手な訳じゃないんだよ?甘い物も好きだけど、たまーに辛い物が恋しくなるっていうか…」 「うん分かった、分かったから隣に控えさせてるパフェにタバスコかけようとするな頼むからほんとやめろ」 タバスコの瓶を持つ手を遮られ、ちょっと邪魔しないでくれないかな。とアズサはむくれる。 「だって甘い物も食べたいし辛い物も食べたいし、こうするとその願望が叶」 「だっからやめろっていってんだろ!何七味まで装備してんだよそんな装備じゃ大問題だろ」 「大丈夫だ、問題ない」 「大問題だっつってんだろが!!」 ぐぐぐ…とタバスコを持つアズサの手と、その手首を掴むセキの手との、激しい攻防戦が卓上で繰り広げられる。前から少々彼女の味覚はどこか壊れているのではないかと危惧していたが確信に変わった。アズサの味覚は何かがおかしい。 『セキ、諦めるです。アズサの味覚はもう戻らないです』 「ちょっとそれあたしの味覚が狂ってるって言いたいの?」 「実際その通りだろうが」 『ですっ』 セキにタバスコと七味を取り上げられ、渋々アズサが席に着く。仕方ないから今日はスパゲッティだけにして、今度からはこっそりかけようと心に誓ったアズサだった。 「………」 一段落して、彼女の目の前で黙々とモモンとチーゴのパフェを頬張る彼。その顔は、他人から見れば相変わらずの無表情かもしれないが、あたしからすると…何となく、幸せそうに見えた。 「……(可愛いなあー)」 ダメだダメだ頬がにやける。と慌てて自分の頬肉を摘まんで引っ張る。痛さに思わず顔を顰めた。 セキに怪訝な顔をされる前に、スパゲッティを平らげて「ご馳走さま」と手を合わせて誤魔化すアズサ。すると彼は、苦そうな顔をしてこちらを見た。 「?、どうしたの」 「辛くねーのか?」 「美味しかったけど?」 「………」 信じられねえ。と言いたげにこちらを見られる。あたしは、隣に控えていたセキと同じ(さっきタバスコかけようとしていた)パフェを頬張りながら、ふとセキに質問した。 「ていうかセキ、思ったんだけど…君もしかしてこれから戦闘スタイル、あれでいくの?」 「は?」 「だから、あのスピード攻め」 「…ああ…まあ、できたら、それでいきたいけど…」 クリームを口に運びながら、何かを考えるような仕草。それをぼんやりと見て、彼女は何気無くこんなことを言った。 「…良かったら手伝おうか?修行」 「………!?」 ガバッと効果音が付く勢いでこっちを向かれ、驚いて肩をビクつかせるアズサ。しどろもどろになりながらそうじゃなくてね、などと何がそうじゃないのか分からない弁解をはじめた。 「え、あー、君が嫌だったら全然構わないの。ちょっと、ほら、あたしもなんとなーく言っ」 「本当か」 「…、…………」 セキの目が、何処となく生き生きしていた。 ……え?むしろ逆にまじですか。とアズサの目が訴えていた。 「修行、してくれんのか」 「……あたしでよければ…」 …なんか、いつもより眼が煌めいてるね、君。なんだかおねーさん眩しいよ。ていうかおねーさん、君がそんな反応してくれるとは実は思ってもみませんでした。 目の前のお姉さんがそんなことを思ってるなどとつゆしらないセキであった。 「……」 「…アズサ?」 「やっぱり君、変わったねー」 「…!、な、っ」 「前はもっとツンケンしてた、うん。そんなに可愛い反応なんてしてくれなかったし」 「かっ、…アズサてめ、おちょくってんのか」 「んーそうじゃなくて、嬉しいだけ」 嬉しそうにえへへと笑いながら彼女がそう言うと、セキはすっかり黙り込んでしまった。 「セキ?」 「……ほんっ、と、お前は、何が言いてえんだよッ…!!」 赤い顔で睨まれる。 「……で、まじでしてくれんのか、修行」 「まじでやるの?」 「お前が言ったんだろ…」 そうだけどさ、と笑い、その次にまた別の類いの“笑み”を浮かべた。いつもとは全く違う、威厳と余裕に満ち溢れた目だ。 「……!…」 「三リーグ制覇者の修行、といっても“もどき”だけど、……君は付いて来れるかな?」 彼は、憎たらしく笑い、言った。 「もちろんだ」 「よろしい!」 「…ってお前何さりげなくパフェにタバスコかけてんだぁぁあああ!!!!」 「スキを作る君が悪い。ていうかあたしが食べるんだから別にいいでしょ!」 「そんな問題じゃなくてそういうのは将来ぜってー体壊す原因になるからやめろ!あと俺が見てて気持ち悪い!」 『やっぱりセキはオカン気質ありです』 「おいシェイミもいっぺん言ってみろ…ポケモンフーズ取り上げるぞ」 『何でもありませんですー』 ****** お昼ご飯も食べ終わり、場所は変わってアサギシティ海岸。 「…あれ、ミナキさん居ないや」 「あの変態がどうかしたのか」 「いやー…、わざわざラプラスに手間取らせちゃうのは申し訳ないから、せっかくだしスリープのテレポート使わせて貰おうかなって思ってたんだけど…」 「俺は変態じゃあない。正式なスイクンハンターだ!」 「「…やっぱり居た…」」 あたし達の背後で、腰に手を当て胸を張りながら堂々とストーキング宣言をする彼の方には振り向かず、二人同時に舌打ちしそうな勢いで吐き捨てた。 「で、君達は俺に何の用だい?」 「テレポートでタンバシティまで」 「はやくしろ」 「なんでそんな偉そうなの君達」 と言いつつスリープを出してくれるミナキさん。良い人だ、変態だけど。 「今アズサちゃん失礼なこと考えなかった?」 「良い人だなって思ってただけですよ。ね、セキ」 「…………」 「セキくんはなんで真顔で黙るの?!」 このままでは埒が明かないので、スリープに直接頼んでタンバシティまで送って貰うことにした。 「なんだかごめんね、スリープ」 『お気に為さらなくとも大丈夫ですよ、アズサ殿』 紳士なスリープだと思った。全く、ミナキさんも彼を見習えばいいのに。 ***** 「っというわけで、あたしはこういう“教える側”になるのは初めてだから、トウガンさ…あ。あたしの師匠から教えて貰った事おうむ返しするプラスアルファで、自分の実戦経験談したりするだけだけど……それでも良い?」 「ああ、構わない」 タンバシティ砂浜海岸。テレポートで着地した人通りの少なく広い砂浜で、スリープにお礼を言って別れた後、改めて彼と対峙しモンスターボールを構える。 「取りあえず今回は、エンペルトを相手に話を進めてくね」 ボールから出てきたエンペルトが、一声いななく。あたしはそのまま、トウガンさんの教えを淡々と述べた。 「先ず、“予め立てておいた作戦ほど脆いものは無い。”って教えから。……人って言うのは自分が立てた予定が狂うと、知らず知らず脳が混乱状態に陥ってしまうの。その状態から追い討ち…相手からの攻撃がかかると、冷静な判断が段々とつかなくなってかなり堪える。精神的に、ね」 思い当たる節があるのか、セキは若干苦そうな顔をして頷いた。 「…それに“予め”のバトルなんて、面白くないでしょ?」 これの対策といっても、ひたすら経験を積んで慣れるくらいしかない。…これは誰しも通る道だ。 「君の場合、頭はキレる方だから、あたしのポケモンと一通りバトルしてその“臨時的判断をする”状況を覚えちゃえば、どうにでもなると思うんだよね」 「…覚える…?」 「覚えた上で、応用が利くようにバトルを積み重ねていく。…まずは覚えて、慣れるとこから」 彼のポケモン達のスピードは元々高いみたいだし、磨きをかければ、更にこの戦略に有利になる筈だ。後は彼のセンス次第だろう。あたしは「それじゃあ」と締めて、エンペルトに指示した。 「エンペルト、あたしが合図したら、セキもちゃんと避けれる程度のバブル光線お願いね」 彼は、フッと笑い、自分がまだ進化する前の出来事をしみじみと思い出していた。 『解った。懐かしいな…この手法は』 「ちょっと待てアズサ、聞き違いかもしんない今なんて言った」 セキが青い顔でストップをかけてきたので、あたしは至って真面目に指示内容を口にした。 「セキもちゃんと避けれる程度のバブル光線」 「もう一回」 「セキもちゃんと避けれる程度のバブル光線」 「…ちょっと待てえええええええええええええ!!!!」 昔のあたしと似た対応に、思わず笑いそうになった。 「いかに混乱状態の中で、冷静に対処出来るか。君のスピード攻めの場合それが一番重要なの、我慢しなさい!」 「そうだけどな、人間にも限界っつーのがあるんだ多分死ぬぞ俺」 「ていうかあたしもトウガンさんにこれやらされて、体力ついたし反射神経もついたしある程度冷静にもなれるし、今までの旅の中でかなり役立ってくれたから君もやった方が良いかもよ」 「それはお前が超人過ぎるんだよつーかどんだけアグレッシブな旅してきたんだ」 「じゃあエンペルト、バブル光線!」 「待てやあああぁぁあああ!!!!!」 マグマラシが冷静に泡を避ける中、セキがしっちゃかめっちゃかになりながら泡を避けていた。 ここは砂浜だから動きが取りづらい、その代わり万が一勢いよく倒れても怪我は少ない。足腰も鍛えられるし一石二鳥と言うわけだ。 断末魔の叫びを上げながら泡を避ける彼にうふふと慈愛の笑みを与える。 …大丈夫だよセキ、あたしなんか、いきなりステルロックとがんせきふうじだったから。イージーノーマルすっ飛ばしてハードモードだったから。あの時ほど死を覚悟した日はないから。ヒョウタが居なかったらどうなってたんだろうなあ、あたし。…考えただけでゾッとする。 「っマグマラシ…!!ひのこであの泡を破壊しろ!!」 「マグッ!」 マグマラシが火の粉を撒き、セキに当たりそうだったバブル光線が相殺される。…思ったより対処が早かった。 「助かった…」 「中々やるね」 「そりゃ命掛かってっからな」 「やだなー命取りになるような事はしないってトウガンさんじゃあるまいし」 「………お前よく死ななかったな」 「生存本能ってやつ?」 この後、別の技で(大怪我しない程度に)試した結果、彼はポケモンを入れ替えて避けきれなかった攻撃を相殺するところまで出来るようになっていた。 大した成果だ。これは将来が楽しみである。 チリン 「、!」 ───鈴の音…? 「アズサ?どうした」 「え?あ、ううん何でも。…よし、今日はここまでにしよっか」 「、おう」 肩を上下させながら苦しげに返事をされる。結構擦り傷だらけになっている。あたしもこんなんだったのかなあ。 「…ていうかこれ、ポケモンバトルと関係無くないか。俺はリアルファイトになってる気がしてならない」 「体力や反射神経つけないと山道の旅なんて出来ないよ」 「だからお前の言う旅は過激すぎんだよ」 …さっきの鈴の音、何だったんだろう。 疑問に思いつつも「まあ気のせいか」と自己解決して、ポケモンセンターに戻って、擦り傷の手当てをしてから、別の衣類に着替えて躰を休めようと予め取っていた部屋に向かう。 今日はここに泊まって、明日の朝も修行。明日はシェイミとグレイシアにでも頼もうか…などと思考を巡らせながら廊下の窓の外を見ると、赤々とした西日が地平線に隠れ、空は夜を迎えようとしている最中だった。 そして、あたし達の近くでももう一つ、変化が訪れた。 「…!」 空中を浮遊していたシェイミが、突如グラシデアのはなの花粉を掛けた時と同じように、黄金に光り出す。 「!?シェイミ…っ?」 どうしたんだ、とセキが声をあげようとした刹那。 ───ボトッ …いや、むしろボテッと言う音の方が正しいか。取りあえず、光が消えた途端そんな音を立てて、何かがベージュ色の床ににおっこちた。 「…、……シェイミ?」 『痛いでしゅ…』 廊下におっこちたた何か…元のフォルムに戻ったシェイミを、唖然とした様子でまじまじと見つめるセキ。…あ…そう言えば彼に言うのを忘れていた。 「えっと…シェイミのスカイフォルムは日が沈むとランドフォルムに戻っちゃうんだよね」 「なるほど、元のちんちくりんな躰に戻ったわけか」 『どういう意味でしゅッッ』 「いだだだだだだ!」 ああ、日常風景が戻ってきた。とぼんやり考えながら、微笑ましさすら感じてきたその二人(否、一人と一匹)を見つめる。 なんやかんや言って、この子らは仲が良い。喧嘩する程仲が良いとはよく言ったものだ。あたしは彼らを見つめて、こくんと頷き、引き続き廊下を進み始めた。 「うん、問題ない」 「ちょっ、まてアズサこいつどうにかしてくれハゲるハゲるハゲる!!!」 ***** セキからシェイミを引き剥がし、部屋に戻って交替でお風呂に入る。先に入らせてもらっていたあたしは、濡れた髪を括ったまま、ベッドの上でゴロゴロしていた。 すると浴室のドアが開いて、黒い半袖とスウェットを着て、頭にタオルを被ったセキが出てきた。 「…、…」 「…あ、セキ上がったの?」 「ああ。てか、お前…さっきまで羽織ってたパーカーはどうした」 「いや、暑いから…」 「………パーカーの中がタンクトップだったとは盲点だった」 片手で「やれやれ」と言う感じに頭を押さえ、視線を逸らされた。 「?何が」 「何でもない。いいから上着ろ」 「ぶっ」 放り投げてあった灰色の薄いパーカー(いつもの黄色いやつは洗濯サービスに出した)を顔面に投げ付けられた。 「……」 「着ろ」 「…はいはーい…」 渋々パーカーを着て、もう一度ベッドに寝転がる。ああ幸せ、ダラダラするのも捨てたもんじゃない。 「アズサ、だらしない」 「うるさーい」 「お前髪乾かしてないな…風邪引くからはやく乾かしてこい」 「セキはあたしのお母さんか」 「うっせ、はやく行け」 「お母さんがやってー」 「誰がお母さんだコラ」 自分だって髪濡れてる癖に、と後ろで軽く束ねられている(今は見慣れたものとなったヘアースタイルの)赤い髪を垣間見ながら、うっすら青筋を立てる彼に向かい、手を合わせる。 「ね、お願い」 「…………」 くるり 踵を返すセキ。そして浴室へと姿を消したかと思うと、ドライヤーを持って再びこちらに戻ってきた。 「…ほら、乾かすんならこっち来い」 「やったーっ」 『やっぱりセキはオカンでしゅ』 「お前は黙ってろッ」 ブオオオ、と温かい風が髪に当たる。この長い髪を手で梳き、乾かしてくれる後ろの人物に感謝しながら、あたしはシェイミにブラッシングをかけていた。 「お礼に、後でセキの髪乾かしてあげよっか」 「俺のはほっといても乾くから要らん」 即答しながら、指でサラサラとあたしの髪を梳く。…そう言えばセキの指、男の人にしては綺麗なんだよなあ。と要らないことを考えつつシェイミのブラッシングが終わったので、既にに乾いた表面側の髪が微風で視界を舞うのを、ただぼんやりと見つめた。 「(……………お母さん、かあ)」 あたしの“お母さん”は、どんな人だったんだろう。こんな風に、面倒見の良い人だったのかな。ヒカリやコウキやジュンのお母さんみたく、明るいお母さんだったのかな。…考えても仕方ないか。 「アズサ」 「、え?」 「終わったぞ」 「…あ。ありがと、セキもやってあげようか?」 「だから要らないって何度言えば…」 「乾かさないから、髪ハネるんじゃないの?」 「これは元々だ!」 セキの手からドライヤーを奪い、スイッチをオンにする。無理やり髪の毛に温風を当てていると、観念したのか、髪を解いてちゃんと後ろを向いてくれた。 「…アズサ」 「何?」 「どうした、ぼーっとして」 「んーん、何でもない」 「そうか」 ブオオオ 温風が、水分を吸った赤い髪を乾かしていく。彼は暫く黙っていたが、再び口を開いた。 「アズサ」 「んー?」 「…───」 ブオオオ… ドライヤーの音で、彼の声がかき消される。 カチリ ドライヤーの電源を切る。 「セキ、なんて言ったの?」 「…いや、なんでもない。気にすんな」 「えええ、気になる」 「大したことじゃねーよ」 ドライヤーを当てて水分が抜け、通常運転の癖っ毛に戻った赤い髪をがしがしと掻きながら、自分のベッドに戻って寝る支度を始めるセキ。 「ちょっと、教えてよ」 「やだ」 「むう…」 彼がこうなるとこれ以上は聴いても無駄なので、あたしは大人しく自分のベッドの上に寝転がり、寝る準備に入った。 「明日は素直に起きろよな」 「はは、分かんないなー」 「アズサ…」 「おやすみ!」 「…おう」 パチリと電気を消す。波の音がやけに近い気がした。 ******* …波の音がやけに煩い。目を開け、ポケギアで時刻を確かめると、午前三時を指していた。 ふと、風に乗って潮の匂いが漂ってくる。 …? 寝る時に窓は閉めた筈だが。 躰を起こすと、窓が全開だった。そして─── 「……アズサ、…?」 アズサも、居なかった。寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。 「アズサ?!」 …チリン、 深海のように冷え冷えとした鈴の音。…昼間浜辺にいた時に聞こえた、鈴の音だ。アズサにも聞こえていたようだが。 「(…あの“声”の類いか……?)」 空になった(パーカーが脱ぎ捨てられている)ベッドを触る。少し温かい、此所を離れてまだそんなに時間は経ってないらしい。 もしかしてあいつは、この窓から外に出たのか。…あのすばしこいアズサの事だ、十分有り得る。 「あのバカ…っ」 上着を羽織り、靴をつっ掛けて飛び出す。途中でジョーイさんにびっくりした顔をされながらも、走って、走って、浜辺に飛び出す。 一階にある、窓の開いた自分達の部屋を確認してから、その周辺を探す。暫くしないうちに、海に向かって直立不動の、茶色い長髪の少女を見つけた。 「、アズサ」 「………」 「何してんだアズサ、そんな格好してると風邪引くぞ」 「…………」 チリン、という程度だったはずの鈴の音が、重なりに重なり、シャンシャンと辺りに鳴り響く。さざ波の音と合わさって、頭が痛い。 「…アズサ……?」 「…あたし、は…」 「え…?」 ヒトに囚われた哀れな仔よ 鈴とさざ波に紛れて、あの声が、聞こえた。 「ロンッ!!」 「!、…ロコン、?」 いつの間にか、俺の隣にアズサのロコンが居た。 「どうしたロコン、お前ボールごと預けられてるはずじゃ…」 「ヴゥルルルルッ…!」 いつもは温厚なロコンが、珍しく毛を逆立てて“声”を威嚇していた。…なんか、今、逆立った毛から火花のようなものが飛び散っているような気も、した…? 「…あなたは…誰…?どうして……そんなに…」 「、! アズサ!?」 海に向かって、何かに誘われるようにふらふらと歩き出すアズサ。渚に足を踏み入れたところで俺は慌てて彼女の手を掴み、彼女を引き戻した。 「、!……あ、」 彼女の生気が無かった青い目が、元のそれに戻った。 「あ、れ」 「アズサ」 「……ええっと…?」 「…アズサ」 「セキ、?」 「アホか、寝ぼけて海に入ろうとするやつが何処に居る」 彼女を掻き抱く。アズサは不思議そうに俺の名前を呼んでいたが、「もう大丈夫」と言って、俺の背中をあやすように叩いた。 「セキ」 「………悪、い、なんか、」 「いなくならないよ、大丈夫」 「…!」 整った無邪気な笑みを浮かべ、彼女は、俺に抱き締められたまま思案顔で暗い海をじっと見つめた。 「………、さっきの声…」 「は?」 「ねえ、セキ。さっきの声、さ」 …なんか、哀しそうじゃなかった? 彼女は、急にそんなことを言い出した。 「……え」 「そりゃあ相変わらず、冷たくて陰気で怖いんだけど、ね。なんかさっき、…哀しそうに聞こえた…気がして」 「………」 一緒にじっと海を見つめる。 …あの声の正体は、何なんだろう。 「…だからって海に入ろうとしてんじゃねえよ」 「ああああごごめんなさいなんか無意識にこう…」 声に、つられたんだろうか。 「つーかアズサ、躰冷えてる。お前なんでまたパーカー脱いでんだ。ただでさえタンクトップのくせに」 羽織っていた上着を華奢な肩に被せながら、彼女の薄着っぷりを咎めに入る。 「女なんだから躰冷やすな、しかも裸足じゃねーか夜の浜辺は冷え込むんだから少しは…」 「あーはい!ごめんなさい!もうしません!」 「………」 ふう、と溜め息を吐く。なんか、自分でも分かるくらいオカン気質が上がっているような… 「ロンッ」 「、ロコン?なんでここに居るの?…………うん、そう。……ごめんね、ありがとう」 “対話”を終了したアズサは、少し元気なさげに笑んで、上着を羽織り直した。 「…帰ろっか」 「そうだな。…ロコン、いくぞ」 「ロンっ」 とてとてと歩いてきて、広げた腕の中にすっぽりと収まる。アズサが嬉しそうに「すっかり懐いたね」と言ったので、無視した。 「…なんかごめんね、あたしのせいで起こしちゃって」 「別に、構わない」 俺の腕の中で眠るロコンを垣間見ながら、彼女はおずおずと質問してきた。 「あのさ、」 「何だ」 「ロコン…何か変なことしなかった?」 「?、…唸ってはいたが」 「そっ、か。じゃいいや、何でもない」 「…?」 変なことって…火花のことか…? 部屋に着き、ベッドの上に座る。ギシリとスプリングの軋む音がした。 「足ちゃんと払ったか?」 「払ったよ、ほんとにオカンだなーもう」 「うるせ」 うとうとと意識が朦朧とし始める。…眠い、勝手に瞼が閉じようとする。そろそろ限界か。 「……」 ぱすん、そんな乾いた音を立ててシーツに躰を沈める。 「あっ、ちょっと、そこあたしのベッド」 「……ねむい。…も、無理」 「…」 直に、くす、という微かに笑う声が聞こえ、髪を撫でられる。おい、何してる。…なんて言い返す気力すらなく、されるがままに瞼を閉じようとすると、アズサがこんなことを言った。 「やっぱり迷惑かけちゃったね」 本当にあたしが居ていいのかな。と呟かれる。よくなかったらあんな恥ずかしいこと暴露しねーっての。 「…やっぱりあたし、あの声はきっと一人で寂しいだけなんじゃないかって思うんだよね。…だからあたしにあんな捻くれたこと言ってんだよ…気のせいかなあ」 さあな、でもお前が言うならきっとそうなんじゃねえの。朧げになっていく頭の片隅でそんなことを思う。 慈しむように頭を撫でる手が、不思議と心地良い。意識が遠のきはじめたその時、彼女はまた何かを話し始めた。 「……実はさ、あたし、聞こえてたんだよ。ドライヤーの音に紛れて君が言ったこと」 つまり聞こえなかったふりをされてたわけだ。 「君がそんなこと言ってくれるとは思わなくてさあ、びっくりしたよほんと。…あたしは大丈夫だから。…だから約束してほしいの、いつまでもじゃなくていいから、君も」 ふつり 意識が途切れた 融け残った声 寂しがる声の主と、寂しがり屋の願い 「お前はいつか、俺の前から消えるのか?」 (あたしは消えないよ) (だから君も) (あたしの前から消えないで) 「父さんみたいに、君を失いたくないんだよ」 そうやって彼女はまた、ひとりさびしく、笑う。 ────── ロコンの鳴き声デフォってこれであってたっけ。 |