]T‐弱い虫


『アズサ』
「……なあに」
『何故最後に、彼が否定した時…訊いてやらなかったんだ?』

 ルカリオがボール越しに質問を投げ掛けてきた。

「…何で、だろうね」

 結局、拒絶されちゃった。あーあ。
 言葉を濁しながらベッドに横たわり、布団にくるまり小さく縮こまった。その顔に、僅かに自嘲染みた笑みが浮かぶ。

「訊くのが怖かったんじゃないかなあ」

 解らない。だって、あんな拒まれるようなこと言われるの、今に始まったことじゃない。小さい頃から慣れっこだ。…何時ものように、化け物だと言われる前に自分からあたしは化け物だとも言ってやったし──なんでって、そりゃその方が他人からそう呼ばれるよりも比較的心が楽だからだ。言ったもん勝ちってやつ。
 だけど、今回は心の処理がそう上手くいってくれてないらしく。

「おかし、な……あんなこと、馴れてる筈なのに、何で、こんなダメージきちゃったんだろ。…なんで」

 なんで、こんなに痛いんだろう。
 どうしてあたしは普通じゃないんだろう。
 普通ならもっと彼に寄り添えただろうか。怒らせずに済んだだろうか。知ったかぶって事情もしらずずけずけとモノを言わずに済んだろうか? どう考えても自分の要らないおせっかいの所為だ。
 なのに、なんで、彼は。

「……なんで、あんな顔…するのさ…」

 あんなに後悔したような顔をしたんだろう。
 彼の考えてることは正常だ。普通ならそう思う。何も悪いことではない。バカなのは自分の方だ。変な期待をして自分から秘密をバラした上での自分の責任なのに。
 言われた言葉は今まで以上に痛かったのに、今まで以上に…いや、初めてあんな…心から悔やむような表情を浮かべられた。自分で化け物と言ったときにはまるで全部自分の罪のような顔をしていた。
 それが解らない。

『…馴れるようなものじゃないだろう…アズサ』
「…………」

 エンペルトは静かにそう言った後、それ以上何も言わなくなった。

「…ルカリオ。セキの、こと…嫌いにならないであげてね」
『嫌いになる要素は先ず何だ』

 ルカリオの言葉に、あたしは少なからず驚いた。

「、………る…」
『言っておくが…泣きそうな顔をしていたぞ、彼は』
「………………」

 唇を噛む。ああ、自分はまだ臆病なのだ、と、ゆっくり目を伏せた。

 …そんな顔しないでよ。逆恨むに、逆恨めないじゃない。恨んだらこんな気分にならなくて済むのに。なんでこんなに苦しいの。解らない。
 なんで言われたことよりも、あの表情に胸が痛むのか。わからなくて。布団の中で、ズキズキと痛む場所に爪を立てた。

「…普通に、なりたかったなあ…」
『でも、お前が普通でなければオレたちはここに居なかった』
「…」
『そうだろう』

 ありがと。
 そう返した声はカッコ悪く掠れていた。



******


 ポケモンセンターを出たセキは小さな溜め息を吐いた。吐いて、がしがしと乱暴に頭を掻く。
 …悪いのは自分なのに。

「なんで、あいつは」
『それはアズサが優しいからでしゅおバカセキ』
「…、…!」

 この声。
 後ろを振り向く。そこにはグレイシアの頭に乗った、シェイミがいた。

「…………シェイ、ミ」
『抜け出して来てやったでしゅ』

 シェイミはグレイシアの頭に乗ったまま、セキを見上げた。

『全く情っけない面でしゅね。いつもの目付きの悪さはどこ行ったでしゅ?』
「…よけーなお世話だ」
『セキは悪いことを言ったでしゅ、みーはとても怒ってるでしゅ、もうぷんぷんでしゅ』

 言い方は軽いが、確かにシェイミはとてつもなく怒ってるようだった。グレイシアは何を思ってるのか全くわからない涼しげな表情をしている、が、少なからず主人をあんな風に言われて怒っていないわけがないだろう。グレイシアの咎めるでも怒るでもない大人な態度に一番心が抉られ、うつむきながら目を閉じる。

「………ごめん」
『それはみー達にいうべきことでしゅか?』
「…分かってる、そんなの」

 掠れた声でそれだけ言うと、建物の壁にもたれ掛かりうなだれた。

 普通になれない。
 期待してた。
 アズサが言っていた言葉が腹の底でぐるぐると混ざり合い、その意味を考えようとするたびしくしくと心臓が痛む。シェイミはそれを、辛そうな面持ちで見詰めた。

「…馬鹿なのはどっちだよ…」
『そりゃあ間違いなくセキでしゅ』
「…、……分かってる事を一々言わないでくれ…」
『セキから訊いてきたんでしゅ』
「訊いたつもりはねえ」
『なんであんなこと言ったでしゅか』
「…………」

 もたれたまま、ずるずるとずり落ち、地面に腰を下ろす。膝を抱えてから、ぽつりと、疲れきった声で言った。

「…俺が聞きてー」
『……』

 シェイミは益々辛そうな表情を浮かべてから、キリリと顔を引き締めた。

『グドンでしゅ、ブザマでしゅ、ほんとうにセキはおバカでしゅ』
「……そーかよ…」
『…一人でいたって寂しいだけでしゅ』
「……、…」

 セキは、何も言わなかった。

『みーもずっと一人だったでしゅ、そこでアズサに出会ったんでしゅ』
「、え」
『なんで一人にこだわるんでしゅ。何もみんながみんな威張り散らしている訳じゃないでしゅ』

 沈黙の後、セキは静かに言った。

「……、…俺はあいつを…倒さなきゃいけないんだ。」
『…み…?』
「お前やアズサの言ってることは…正しい…だろう、し、解ってる。でも、倒すには…一人じゃなきゃ、ダメなんだ」
『それは、そこまでこだわらなきゃいけないことでしゅか』
「……………」
『セキ』
「…どう…なんだろう、な」

 苦しげに笑んでそう言うと、膝を抱えた腕に顔を少しだけ埋めて、悩ましげに瞼を伏せた。睫毛が長い、髪の長さからしても少女と見間違われてもおかしくはないだろう。

「思い出せないんだけど、なんか、怖いんだ」
『こわいってなにがでしゅ』
「ポケモン達に、俺が情なんて寄せて近づいたらいけない気がするってこと」
『でも現に近づいてるでしゅ。腰に付けてるボールは飾りが何かじゃあるまいでしゅ』
「…心の話だ」

 セキはスウ、と息を吸い込み立ち上がり、シェイミを一瞥した。

「悪い。なんでもない。なんだろうと、アズサを傷つけていい理由にはなんないもんな」

 …物分かりがいいでしゅね。とセキをジッと見上げるシェイミ。…この子供はちゃんと心の優しい少年であるのに、なにが彼を孤独の道へ走らせるのだろう。何故ポケモンを「道具」だと、自分の思考を縛り続けているのだろう。心に近づいてはいけない──彼はそう言ってたけれど。そして、ずっと疑問に思っていた。彼のポケモンはもうそんな彼を理解しているというのに、なんで動かないのか? …知ってて、黙っている…?
 シェイミは考える。

「とにかく今日は一旦あいつから、離れる」
『…、行くでしゅか』
「…アズサには、また、改めてちゃんと謝りに行くから」
『…』
「ちょっとの間だけ、許してくれるか」
『…グレイシアが良いって言ってるからいいでしゅ』

 約束だ、と弱々しく笑う彼。シェイミが小さく頷いた後、彼はウバメの森に向かって歩き出した。

『…珍しいわね、シェイミがアズサ以外の人を気遣うなんて』
『気遣ってないでしゅ。』
『そう?』
『そうでしゅ』

 二匹の他愛ない会話は、夜風に紛れて、静かに消えていった。



****



 朝方前。少々冷え込む空気の中ウバメの森に向かって歩く、歩く。ひたすら歩く。その間にも、彼の思考回路は混乱の渦に巻き込まれていた。

 なんで俺は、あんなことを。
 どうしてよりによって、彼女が一番傷付くようなことを言ったのか。それよりも、なんで彼女の事をこんなに気にしているのか。

「俺が、聞きてーんだよ…逆に」

 ひっそり呟く。

 (…鬱陶しいんじゃなかったのか。あいつのことが)

 何かとウザい。ぶっちゃけどうでもいい。その程度の存在…の、筈だった。そういう設定だった。しかし心や身体は見事にそれと反比例して、重く、苦しかった。

 期待してたのかも。と彼女は言った。
 その言葉に、期待を寄せる自分がいた。あれだけ酷く突っぱねても残っている繋がりに、こちらに向いている少し特別らしき感情に、もしかして向き合っても大丈夫なんじゃないかと思っている自分がいた。
 元々はなんでも持ってるあいつが羨ましかった。それに加え正論をぶつけられ、期待だのなんだのと考え直せば持ってる奴に俺の気持ちが分かるわけないと思った。けど。
 私はバケモノだ、と。彼女は言った。やはり普通になれないと嘆いていた。
 こんな力を持つ自分は、普通の人からしたらただのバケモノなんだと。否定しようと思った。俺が言いたかったのはそういうことなんじゃあないと言おうとした、言いかけた、いや、言ったんだ、でも、「じゃあ他になんだっていうんだ」という問いかけに……俺は、なんにも言い返せなかった。
 違ったんだ、あいつは確かに持っていたけれど。俺は、一体あの物語の何を聞いていたんだろう? 彼女は持っていたけれど、突き放されて、恨んで、色んなものを捨てて、落としてなくしていて。強いのは過酷な人生の証に過ぎなくて、なくしてばかりの俺と──原点は何ら変わりなかったんだ。

 …痛い、心臓のあたりが、特に。ギリギリと痛む。ついでに眼の奥辺りも熱い。…これは何かの病気だろうか、と、自分を誤魔化してみるものの。

 (…あんなカオは…初めて見た。)

 心臓の軋みその他の原因は、とうに本能が理解仕切っていたようで。
 ……だって、いっつも 笑ってたし、というか、考えてみると…ほとんど笑ってるとこしか見たことなかった。ずっと笑っていた。俺が傷つけた直後もなんとか笑おうとしていた。

 そんな言い訳にも満たない言葉なんかを脳内に吐いて。その間にもズキズキとした胸の痛みが激しくなる。吐き気がするほど苦しい。吐き気がするほど自分が憎い。なんであいつは謝ったんだ。謝るなよ。なんで俺の事を責めない?傷つけたのは紛う方なく自分だ。分かりきってる、そんなの。
 俺のこと、警察に言わなかったなんて。こんな人間にそんな慈悲、掛ける必要なんざ皆無なのに。あのお人好し…後悔してねーのかよ。…ああ、きっと今後悔してるんだろうな。寄せられた期待を裏切ったのだ。そう考えたら考えたで、苦しさが増した。


「…、あれ…」

 ふと顔を上げる。…辺りは、黒々と生い茂る樹々で埋め尽くされていた。 …いつの間にかゲートを抜けてウバメの森に入っていたのだ。気付かなかった。

「…………」

 誰も居ないのを良い事に、夜、道の真ん中に蹲る。堂々と道の妨げ。
 …どうでもいい、筈だった。けど。傷付ける事がこんなにも苦しい。即ち、これ、は、

 (もう、“どうでも”よくないんだな。きっと)

 そういうことなんだ。
 意外にも、俺の脳はすんなりとその事実を受け止めた。

「………くそ、」

 膝を抱え込んでた両の手で、次は頭を抱える。
 本能的には、受け止めた形なんだけど。理性的には、何と言うか、…なんであいつなんか…とか思っていたりで、訳が分からない。すっごくもやもやする。もやもやして、ズキズキする。

 この感情を認める方法が、分からない。

 ふと顔を上げてみる。目線が、いつもより低くて、どこか懐かしかった。

「……あー…くそ…」

 ぐちゃぐちゃと前髪を掻き混ぜる。ゲート入口前。辺りは、人さえ居なかった。…この時間帯だから、当たり前か。

 真っ暗だ。

 暗闇。心がざわつく。躍起になってたからちょっとだけ忘れてた…否、ずっと考えないようにしてた、この感覚。小さい頃どうしても怖かったもののひとつ、逃げるように目を瞑り眠っていたあのころ。
 刹那、ガサゴソと嫌な茂みの擦れる音がして、俺の気配に反応したのだろう、草陰から夜行性のポケモンが飛び出した。

「…、あ」

 ぼうっとしていた為、反応に遅れる。ポケモンが襲って来るにも関わらず、なぜか何も抵抗を見せずにいたら、目の前に赤い炎が飛び散り…ポケモンが倒れた。

 目の前に立つ、赤い炎を凝視する。

「、……マ…グマ…ラシ?」
「マグっ」

 腰についたボールから勝手に飛び出したマグマラシの、背中の炎が、足元を明る照らす。彼の目が、「何油断してんだ」と俺を叱咤していた。脚の力が抜けて、膝を着いた後地面にへたりこんだ俺を、マグマラシは心配そうに覗き込んだ。

「…」

 ───アズサが優しいから。

 たった数時間の出来事だったのに、やけに濃い印象のせいでやたら長くも、短くも思えてしまうあの時間。ぐるぐると映像が目まぐるしく脳内を侵蝕していく。

 ぐるぐる。景色が回る。

 なんで、否定してやれなかったんだろう。

「マグ…?」
「……、だい、じょ、ぶ…怪我は…ねえ、から」

 空を仰ぎ見る。星一つなかった。
 掠れた声が、空虚にひとつ笑う。眼が、異常に熱くなって、視界がぼやけた。

 (…一人でいても…寂しいだけ)

 …そんなの、もう知ってたんだ。とうの昔に。

「もう、知ってる……そんなの…」

 ふと、アルフの遺跡前の森でのことと、今日彼女から聴いた“一人の少女の話”が、頭の中で照らし合わさる。

 “特別な力を持ったやつ”だからじゃ、ない。あいつは、独りだったから、苦しいことを知ってたから、あんなことを言ったんだ。苦しいのを知っていたから、心配したのだ。

 なんで自ら一人になろうとするのか、どうしてそんな歪な形で強さを求めようとするのか。苦しさを知っていたから警告していた。
 表情、と、青い眼と。

「…どう、して」

 独りは、寂しい。なら、俺は、なんでなりたくもない孤独に、自分からなろうとしてるんだ?
 俺は、群れて大勢いてもガキ一人に勝てなかったあの野郎に、俺はお前のようにはならないと、お前のようにならないために一人で強くなってやると叫んでやった。けど、一人で強くなることは、本当に、強くなることか? あいつと同じようにならないでいられる手段か……??
 俺は、自分自身のいままでを振り返ると、今のやり方をすることによって…自分があの野郎とおんなじようになってきてしまっているように見えてしまっていた。更にはあいつと違い仲間もいない、最悪だった。

 俺にはアズサよりよっぽど自分の方が、バケモノに見えた。

「……バケモノなんて…自分から言うんじゃねえよ…」

 なんで、その場でキッパリと否定してやれなかったんだろう。あんな悲しい言葉、他にないだろうに。

 俺が言ってしまった心無い言葉が、頭の中で、嫌がらせのように反響する。 息、が、苦しい。苦しい。…だめだ。もう考えるな。と脳が危険信号を出していた。顔を覆ってなんとか息を吸う。

 お前はバケモノなんかじゃない、そんな事を俺は言いたかったんじゃないって、どうして強く言ってやれなかったんだ! そうして最後まで否定してやれなかった。彼女がバケモノであることを肯定してしまってるに等しい。そんな力くらいで自分を化け物呼ばわりすんなって、せめてそれだけは叫んでやればよかったのに。どうして、どうしてこんなに酷いんだ俺。あいつがどれだけ傷付いているか、最後の彼女を見て分からなかったわけがないのに、なんで逃げてきてしまったんだ!

 うまく息が出来なくて、自分の肩を抱く。頭の奥がガンガンする。周りが、視界が暗い。自分でも何処を見てるのか解らない。 ただ、マグマラシの炎がちらちらと映っているのだけは、よく解った。

「……、…」

 その炎を見ていたら、何故だか涙が溢れてきた。

「マグ…」
「俺が、訊きてえ、よ。なんで、俺は……こん…なこと、しか、言えないんだよ」

 両頬が水に濡れる。それは重力に従って、地面にぼたぼたと落ちた。

 炎が、揺れる。

 分からない。と言う。言ってみる。この感情の名前が、解らないから。いつからだ、解らない、いつから、こうなった。いつから俺は、あの表情を見たくない、笑って欲しいと、思うようになってしまったのか。あの瞬間から? ああ、きっとそうなのかもしれない。彼女にあんなのは似合わないから。

 遠くで、マグマラシが心配そうに鳴く声が聞こえた。

「…っ…最低…だ」

 自分に対して、吐き捨てる。傷つけるだけの無力な自分を、無性に呪いたくなった。
 ──結局こうなるんなら、俺は何のために一人で強くなると決めたのかわからないじゃないか。

「……サイッテーすぎて、もう、やだ」

 こんな化け物しんでしまえ。








私はまだ弱い虫だということ

「きみがしねばいいよいますぐに」と自分に似た誰かが言う





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フレーズは弱虫モンブラン。
本当だって良いと思えないセキくん。




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