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今からあそこに行かなければ行けないのか。
ナマエは憂鬱だった。十メートルほど先の、以前より設定していた待ち合わせ場所が憂鬱だった。
約束通りハンはきちんと前の止まるシャツを着ていたし、刺繍の派手なジャケットの代わりに無地のノーカラージャケットを着ていた。それでもあの体躯が変わることはないし銀髪もよく目立つ。仕事帰りの往来の八割は彼を一瞥したし、なんだったら声をかけようか迷っている二人組の美人までいる。
ナマエは憂鬱だった。あと十メートルを歩けないでいた。

事の発端はハンが突然行きたい焼き鳥屋がある、とメッセージを送りつけたところからだった。聞けばミシュランでいくつ星かを取っていて、私の職場の一駅隣にあるから土地勘のある人と行きたい、という話だった。それなら、となるべく目立たない格好をナマエが提示したのが二週間ほど前の話だった。

平日の夜、一応化粧は直したとはいえ自分はくたびれたOLだと痛いほど自覚した。なにせここから少し歩いた先にはナンパ街があって、気合の入った肉食獣が放出される時間でもあった。神室町と違うのは彼らが表社会のヒエラルキーに従順だという事くらい。実際、ナマエの目の前には華やかな美人OL二人組やら可愛らしい女子大生二人組やらがキャッキャと楽しそうにしている。

そんな状況でモデルと間違えられておかしくない男が少し先で待ち惚けているのだ。すでにハンに目をつけている女性の気配をいくつか感じる。何も気付かず改札を出たその足で駆けよればよかった。躊躇った過去の足元を呪った。
待ち合わせまで時間はある、店の予約時間に対しての余裕もある、少しでいいので猶予が欲しかった。竦ませた脚を運ぶ勇気が。近くにあった大きな柱に背を持たせる。一つ息を吐くと突然スマートフォンが鳴った。「韓俊基」。勝手に登録された正式名がそこには表示されている。

「もしもし?」
「え?道に迷った?しょうがない人ですね」
「は?」

思わず顔を上げて振り返れば、ナマエとハンの視線がかち合った。が、ハンは何も知らないようなフリをして、まるで誰か別の人間と通話をしているように明後日の方へ向き直した。そして、キャッチボールにならない会話を続ける。ナマエの憂鬱は吹き飛んだ。代わりに混乱が飛び込んできた。

「迎えに行きますから。周り、何が見えますか?」
「ちょっと、見えてるでしょ」
「分かりました。ヨドバシカメラですね。じゃあ入口のところで待っててください」

通話が切れた。
要は待ち合わせ場所を変える、ということでいいのだろうか。ハンは東口の方、少し遠回りになる出口に向かっていった。ナマエはそのまま反転して西口から駅を出た。





「お待たせしました」

合流したハンは普段通り紳士的に現れた。遠目には分からないが普段よりは薄化粧のようだ。かといって骨格は隠せないのだから、特に意味を成してるとは思えない。ナマエはいつもよりも多い視線に晒されて居心地が良いとは言えなかった。それでもあの駅前の、あの状況よりはマシといえばマシなのだ。

「色々と気を回してもらったみたいでごめんなさい」
「いえいえ。こちらも貴女の意外な一面が見れてよかった」
「え?」
「僕は貴女が改札を出た時から気づいてたんですけどね、いやあ、逡巡する姿がつい楽しくなってしまいまして」

ナマエは目を丸くした。最初から気づいてた?ということはあれもこれも見透かしていた?ハンが美形だという点で気後れしたのは事実。そこは百歩譲って構わない。問題はあの、周りの女性たちに対して拭えぬコンプレックスを抱いたところまで、気付いていたかということだ。いや、気付いているに違いない。

「……ハンさんのそういうとこ、嫌いよ」
「まあそういわず。美味しいものを食べに行くんです
 機嫌を損ねていては台無しですよ」
「誰の……いや、なんでもない」

時計を確認して目当ての方向に歩き始めた。やはり往来は一度、ハンを見てから隣を歩く私を一瞥した。神室町では浴びることのない視線。金で買ったと思われて結構。奇異な目で見られるのは、もう諦めることにした。
東京はもっと自由な土地だと思っていたけれど。

「貴方は神室町から出ない方が良さそうね」




コンプレックスガール 170722