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また20日が来た。2と0が隣り合う。或いは二と十が隣り合う。
そのうえで「はつか」と呼ぶ不思議な日。
1と2が並んだ時間、真上の太陽の中。あの人は相変わらず赤いジャケットを着てやってくる。
ガラス越しに飛び込んで着た色彩を見て、用意していた紙袋を手に取る。窓枠同士が干渉する独特なノック音がしたのは同時だった。
ガラス戸を開けてサッシの向こう、遠慮がちな台の上に袋を置いた。
彼はいつも中身を確認するそぶりもなく受け取る。信頼されているのだと、自惚れたりもした。

「儲かっとるか?」
「いつも通りですよ」
「爺ちゃんは」
「相変わらずです
 甲子園のビデオ見つけて、最近はそればっかり」
「そうか」

やくざ者が多いおかげで、田舎の煙草屋でも代々続けていけた。世界の平和を祈るのか、この小さな家屋を守るのか、と問われたら?
どちらかといえば彼らが死ぬのは嫌だ、としか言えない。
そんな私の我儘も知らず、彼はいつも通り店の前で一本吸い始めた。後ろの棚から使い古した灰皿を取り出して、これまた台の上に置いた。

「昨日白いスーツの見かけない方がいらっしゃいましたよ」
「ああ、男前やったろ」
「自分で買いに来るお偉いさんなんて、貴方くらいかと思ってました」
「褒められとることにしといちゃるわ」

昨日の男前も、今日の強面も、きっとどっちも変わり者で、どっちもキレ者には違いない。こんな場末に集まる情報の価値を軽視しないのだから。
彼は隔たりを超えないよう、長く煙を吐いて、こちらを見て。
視線が交差した。ほら、その顔は新しい話を求めている。

「あの男、なんや言うちょったか」
「ナンパをされました」
「阿呆。冗談は大概にせえ」
「お姉さん、名前は? はナンパじゃないんですかね」
「そげなもん、都会もんの挨拶じゃろ
 真に受け取ると身が持たんき」

確かにそうなのかもしれない。大阪に出た時だってそんな人は稀にいた。その時は婆ちゃんの名前を出して、へえ、可愛い名前やなぁ、なんて。でも、こんな小さな町じゃそんな嘘はすぐバレる。
ナマエです。そう言うと白いスーツも、へえ、いい名前だね。と言った。そのあと彼は私の名を一度だけ呼ぶと、本当に知りたかったことを訊いてきた。

「清美さんのことを聞いていかれました」
「なんぞ教えたんか」
「美人ですよね、って言ったくらいです」
「まあ事実じゃの」
「それくらい、ですかね。それ以上はなにも」
「左様か」

清美さんとあの男になにがあるか知らない。ただ単にあの人が綺麗で、目をつけたのかもしれない。それとも、過去に彼女がこの街から居なくなったことと関係があるのだろうか。
昨日当たり障りのない言葉を紡ぎながら、頭を攪拌したことが思い出された。

「……昨日のことは忘れえ。得意じゃろ」
「そうですね」

ニコニコして、常連と話して。
誰かと誰かが揉めてるらしいとか、誰かと誰かが別れたらしいとか、そういう話は全て自分の知らない場所に片付けてしまえ。爺ちゃんは教えてくれた。私たちが火種になる必要なんてどこにもないのだ。
それでも、知ってしまった火種を見ないふりできるほど悪くもなれなかった。これは私個人の問題。

「ねえ、小清水さん」
「なんじゃ」
「最近皆さん、いっぱい買っていかれるんです……」
「景気のええ話じゃ、良かったのう」

そうじゃなくて。
言おうとしたところで、彼の顔にはこれ以上立ち入ることを許さない気配が貼りついている。
誰かがさらに不健康になる時は、単純にその人がなにかに圧迫されているだけ。では皆が皆、不健康をストックし始めたら?
こんな時は夜の世界になにかが起こる。これも爺ちゃんの話。
そして私がどんな端役を演じればいいかも、全て教えてくれた。だからこそ脈々と、彼らは私たちを守ってくれる。

「今日の分、1カートン増やしておきました」

私に唯一許された言葉だ。

ゴタゴタがあるんでしょう? 落ち着くのはいつ頃ですか?一ヶ月より、もっと先ですか?どれくらい危ない話なんですか?あの白いスーツの人は?清美さんは?遥ちゃんは……関係しているんですか?あなたは、誰かを危険に巻き込むんですか?
蓋を閉じるように下唇を噛んだ。訊いたって教えてくれない。聞いたって辛い思いをするだけだ。でも、今だって十分ーーー

「ナマエ」
「……」
「親父さんの時みたいな、ひどい顔しちょる」

フィルターぎりぎりの吸い殻が入った灰皿を返された。余白になったあちら側に、腕を組むように両肘が置かれる。どうしても顔が見れなくて、光るネックレスに視線を向けた。
彼の手に触れたかった。狡いとわかっていても。手を握りあって、安心させてほしい。それがどれだけ虚構であったとしても。

「ワシは派手な喧嘩が好きじゃ」
「……はい」
「じゃが同じくらいにこの町のことは好きじゃ
 わざわざぶち壊すようなことはせん」

声が絞り出せなくて、頷いた。
ガラス戸は取り払われているのに、サッシの向こうに手を伸ばすことが叶わない。
こちら側とあちら側。昼の世界と夜の世界。私の居場所と彼の居場所。こんなにも近いのに、あまりにも遠い。
爺ちゃんはこんな感情まで、教えてくれなかった。

「ありがとう……ございます……」

精一杯紡ぎ出した言葉の目的地は、自分でもどこか分からなかった。何に感謝したのか。どこに感謝したのか。本当にその言葉で適切なのか。いつものように思考が攪拌するだけならまだよかった。いっそ切り離して別人になりたいほど、心がこんなにも拗れ切ってしまっている。
できるのは、せいぜい素直に戯曲をなぞるくらいなものだ。

「“また、お待ちしていますね”」
「……ええ子じゃ」

彼は悲しそうで、満足気だった。

強いられた役割はこの尾道の女店主。平和な世間話と少し体に悪い嗜好品を売りつけて、笑顔で送り出す。それだけのこと。
火種に見えたものは、きっと、この人が眩しすぎただけだと言い聞かせた。




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