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「いい加減、家帰ったらどうや」

先ほどまであれだけ激しく求めあったというのに、一息着けばすぐそういうことを言う。以前所帯を持っていたせいなのか、たまの父親じみた小言は正直なところ煩わしい。家族がいるならいざ知らず、誰もいない家に戻ってなんになるというのか。ざっくりと乾かした髪を束ねながら、一寸湧き上がった苛立ちを抑えこむように口を開けた。

「嫌ですよ。私より若い女の子、泊めるんでしょ」
「阿呆。そんな年甲斐ないことせんわ」
「どうだか」

寿命の近そうな冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルタブを開けた。飛び散る炭酸の音は、気怠い空気や残る行為の気配にもお構いなしだ。それがあまりにも爽やかだったので、一口二口のつもりで仰いだ筈が、喉奥から胃の中を十分に湿らせるほどに飲み込んでしまった。手を伸ばす彼に飲みかけを渡して、布団の端へと座り寄り添った。厳しい腕は凭れかかるには不都合だったが、ボロボロと削れる繊維壁よりは幾分かマシだった。どこもかしこも古びたこの家よりは、確かに自分の家の方が優れているのだろうけど。

「やっぱりもう、いないんじゃないかしら」
「……蝙蝠か」
「昨日来たお客さんも言ってたの。昔喧嘩したことあるって
 当時は割と見かけたけど、いつの間にか見なくなったそうよ」
「悪さしすぎて、もう死んどるかもしれんな」

そうであればいい、と素直に望めないのが複雑な話だった。どんな形であろうと蝙蝠が見つからないことには、いつまでも亡霊に取り憑かれるだけなのだ。あの娘や、あの娘を大事に思うこの人が。
例え他所へ移っただけだとしても、その時に大手を振って出て行ってくれていればよかったのに。まあ、ただのチンピラにそんなものを求めることがお門違いか。海の藻屑と同じくらい、生まれた消えたも分からないような人種なのだから。

「見つけたら、どうするつもりなの」
「そんなん決まっとるわ。一発二発でも殴らな気ぃすまんやろ」
「死んでいても?」
「屍体やったら、脳天に風穴でも開けたるわ」
「……筱喬は、なんて?」

その男が泣いて許しを請うところを、あの娘はいつかに求めただろうか。一度死んでもう一度殺してしまうことを、求めるだろうか。到底、憎悪の掃き溜めに落とすような行為を望むとは思えなかった。ズタズタに切り裂かれたくせに、まだどこか、何かに縋っているような。

「自分をどん底に落とした男や。憎うないわけあらへん
 せやけどあの子が持っとる執着は、なんや別のとこにあるみたいでな」
「貴方にも教えてくれないのね」
「はっきりとはな。でもまあ、大方兄貴のことやろ」

一体何を問うたのかも忘れて、膝を抱えて瞼の力を抜いた。ふくらはぎに押し付けられたビールを受け取り、今度はちびちびと流し込んだ。純粋な彼女に対して嫉妬がないと言い切れば嘘になる。このまま不幸になってほしいわけではない、でも。その善良さが、私からひと雫、ふた雫と心を掬い去っていくのだけは止めたかった。
このままでは、私だけが二人の希望から、絶望から、置いていかれてしまう。

「東京の神室町にも、中国人のコミュニティがあるのは知ってるでしょ」
「聞いたことはあるな
 気味悪いくらい統制とれとる言うて」
「次のお休みにでも、私、行ってみるわ
 風通しがいいなら、情報だってきっとすぐに手に入る筈」
「ええんか」
「旅行のついでよ」

私が、早く幸せになりたいのよ。本当は。
催促するように見上げれば、向こうも察して口付けをした。浅く何度か交わしたら、また再び取り上げられた缶の、最後の3センチが飲み干されて、最後は潔く床に鎮座された。どういう意味かは、わかる。大きさのせいでワンピースのようになった彼のシャツが捲られる。一度冷えた躰の上を、熱を持った掌が這う感覚は、先ほどとは打って変わって舐られるような心地がした。身を竦めたのは、半分は反射で、半分は誘惑だった。
手を握って。組み敷かれて。丁度、卓上に置かれたポケベルが鳴った。

「マコトさん」
「悪いな。先に寝とき」
「……言われなくても、そうします」

私が言葉を選ぶ、そのすぐ一瞬に、身支度を整えた背中が憎らしい。名残すら残さない体温が憎らしい。今まさに、不幸になろうとしている女の子が憎らしい。「行ってらっしゃい」。

悲しみはとうに知っていた。
蝙蝠を見つけたところで、筱喬の兄を見つけたところで。
マキムラマコトがいなくならないことを。




呪縛 160919