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「秘密を知ったの」

カリカリとした音が机上を滑る。まるで言葉など存在しなかったかのような空気。なまったるいそれが、申し訳程度に彼らの間をつなぎとめていた。
 秘密を知ったの。
女が言った“秘密”を男は想像できなかった。白痴だからではない、あまりに大きな積み荷だからだ。

「それは、一体どこまでの話でしょうか」
「……ホント嫌な人」

悪態を吐き吐かれておきながら、淡白な空気はそのままにした。男の左手は相変わらず用紙の上を滑っていたし、女の眼は男の白いシャツを通り抜けて虚空を見ていた。いっそどちらかが残酷な方が幸せだったかもしれない。希望と絶望が同じだけの均衡を保っているせいで、彼らは救われなかった。

「でもきっと立華さんも知らない話」
「何故です」
「知ってて平気なふりをしてるなら、心底同情してあげる」
「貴女はそれを、私に聞いて欲しいんでしょうか」
「聞いて欲しくて秘密を教えてくれたことがあったの?」

沈黙。
彼はまだギリギリのところで人間だった。否、躊躇うことで人間であろうとした。ナマエが今更傷つかないことは知っていたのに。いつから明滅していたのか、古い蛍光灯が不規則にチカチカと音を立てていた。チカチカと、思い起こした。彼女に告白をしたいくつかの場面を。それはいつも必然的で、結果だった。生まれを話したのは、アジア街との繋がりを明確にするためだったし、片腕の理由を話したのは過剰なまでの尾田の信奉を裏付けるためだった。世間話のような流れを装って、時期を計って伝えていたことも。

「……必要だったからです。私にとって」
「そうね。知ってる」

興味がなさそうに、テーブル脇に置いていたポーチからチョコレートを一粒取り出した。包装を剥がす音。これが立華の見えないところだとしたら煙草を咥えていただろう。たまに纏っている匂いから想像ができた。しかし彼女が言う秘密とは、そういう些細な話ではない。恐らくもっと、深く。であれば発露の元は一つに違いなかった。

「尾田さんに隠し事が多いのは、いつものことですよ」

それを聞いて、ナマエは一瞬ばかり空気を固めた。立華は結局のところ全て見抜いているのだろうか。そんな馬鹿な。妹が右腕に凌辱されたこと。良心、いや保身の気持ちがあれば誰も本人に言えるわけがない。ビデオ屋のあの男だって素知らぬふりをしなければ溢さなかった筈だ。それに、彼女がどこにいるか分からないから、何も状況が変わらないのだし。自分で言いだしたくせに、ナマエはやりきれない想いでいっぱいになった。チョコレートは飲み込まれたのに。声だって掠れた。

「いつか不幸になってしまうわ」
「誰が?」
「貴方達が」

男は鼻で笑った。何を馬鹿な、と嘲笑した。書き物を初めて意志を持って止めた。

「今更ですね。私はもう何年も、他人を苦しめ続けてきました
 貴女のことだって」
「……苦しんでなんかない。味はしないけど」
「同じでしょう」
「それでも昔よりは、ずっとマシなのよ」

感謝しているわ。ナマエがそう言ったところで、立華は奥底では欺瞞であると決めつけた。どぶさらいの立場を押し付けたのは自分で、彼女自身が選んだものではない。自らが選んだ結果だとナマエが信じて止まないのは、立華や尾田が仕組んだからだ。後になって覚えた罪悪感はどう足掻いても拭えない。罵ってくれれば、楽に吹き飛んでしまうのに。自分の責任だと決めつけて、二人は互いに咎を負った。

「私には相応しいんじゃないでしょうか」
「何が?」
「地獄堕ちが」
「そこまでは言ってない」
「一緒ですよ」
「どうかしらね」

焦点をずらし、立華の背後にある神室町を遠く眺めた。この街を手に入れるのと、妹と再会するのはどちらが早いだろうか。全ての結末を知るまでに、追い出されてしまう可能性の方がずっと高い。それぐらいのことを知ってしまった。それぐらい、歪な関係を知ってしまった。

「尾田さんには、お似合いなんじゃないかしら」

彼女は今ここにある現実が、とうの昔に崩壊していることを知っていた。消失したマイナスが、じわじわと毒を広げて物語を変えてしまったことを。願ったところで過去はどうにもできないし、何より、傍観者でしかないことが一番悲しかった。




幸せになりたい戯言 160822