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秋山が気分良くバンタムに向かうことができたのは、珍しく体が軽かったせいでもなく、予定していた外回りを終えたせいでもなく、マスターがとびきり美味いプロシュートを仕入れたと連絡を寄越してきたからだった。たまの特別で些細な日に真面目に振舞ってもバチはあたらない。週末の扉を開けると、店内には客が疎らに。見知ったマスターの顔も。それから、ダーツに興じる女が一人。そこそこに美人の空気をまとっていたので、彼女が今日の働きに対しての褒美になればと思った。

入口から近いカウンター席を選んで座り、カールスバーグを頼んだ。すぐに用意された酒瓶には「お試しで」と話にあったプロシュートがおまけされた。口にしてみると確かに聞いた通りの良い品だった。臭みもなく、始めは物足りないかと思った塩味は、噛みしめるうちに癖になる甘さに変わっていった。
俄かにインブルに刺さる派手な音が聞こえて振り向くと、女は既に三投目を構えているところだった。モニターを見るに一人で01をやっていたようで、残りスコアは45。三投目が刺さって33。あと1ラウンドを抱えて上々の出来ではないかと思ったものの、その顔は険しく、内から漏れ出る感情はどうみても訳ありだった。

「彼女、よく来るの?」
「うちでは初めて見ますね」
「ふぅん」
「あんまりチャラいのはよしてくださいよ」
「わかってるって」

眺めていると、次の一投目が14のトリプルに刺さって、ガラスが割れるような効果音がした。ゲームは終了。女が店員に矢を返してテーブルに戻り、酒に口をつけたところで席を移動した。対面の空いた席に座ると、取り繕うとして諦めたような、そういう微妙な表情が返ってきた。

「惜しかったね」
「はい」
「お姉さん、一人なんだね」
「はい」
「機嫌悪いんだ」
「はい」
「難しい顔してひたすら投げてるから、結構面白い絵になってたよ」
「……そう、でしたか」

少し気恥ずかしそうにしたのをみて、秋山は彼女の年を見誤ったことに気がついた。眉間に寄った緊張が、些か年を食って見せていたと。気づいたかは知らないが、お姉さん、なんて呼び方も不躾だったかもしれない。聞けば、名はナマエといって、年は秋山が想像した若い年齢よりもう二つ下だった。それが一生ものなのか、一晩限りのものなのかは、聞くだけ野暮な話だった。追求したところで、何が変わるわけでもなかったし。それよりも気がかりなことだってあった。

「聞いてもいいかい?」
「どうぞ」
「何をそんなにイライラしてるのかな」
「……ありもしないことでフラれたんです」
「ありもしないって? ああ、言いづらかったらいいけど」

ナマエはグラスを口につけたまま、一二ミリ飲むか飲まないか、無作法に考えあぐねて見せた。鮮明に振り返っているのか、言葉を選んでいるのか。それとも、いくつかの虚構を作ろうとしているのか。グラスを置き直して口を少しだけ開けてからも、声が出るまでは少し間があった。

「私、オタクなんですけど」
「……え?」
「オタク、なんです」
「そうなの?見えないよね」
「最近は多いですよ、そういう人
 まあ、それで、隠してオタク活動してたら、浮気してると勘違いされまして」
「ごめん、ごめんね。気を悪くしないでほしいんだけど
 ……それ外から聞くとめちゃくちゃ面白いよ?」
「私も他人事だったら指差して笑ってます」

力なく笑ってから、グラスを煽って見せた。その様子はこれまで見てきたオタクと呼ばれる男達とはやはり線を引いているものの、自分が気づいていないだけで何人も出会ってきていたのかもしれない。秋山もつられるように酒を流し込んだ。勤勉に働いた割には、どうも酒の回りが軽快でないようだった。マスターに声をかけてから、ナマエはスカイウォッカを、秋山は今と同じものを選んだ。それから約束のプロシュートを頼むと、ナマエはその存在に少しばかり目を輝かせた。

「それで、フラれちゃったから、ダーツ」
「……アニメとか見ても、今は楽しめないと思って」
「なるほどね
 結構得意そうだったけど」
「昔とったなんとかです」
「じゃあさ、俺とゲームしようよ
 そっちの方が楽しめるでしょ?」
「優しいんですね」
「夜の男なんてそんなもんだよ」

気をつけてね、と言って立ち上がり、店員に話して小銭と矢を入れ替えた。丁度テーブルに届いた代わりの酒は、ナマエが対応して空になったものと入れ替えた。それから席を降りて駆け寄ってきたのでゲームの種類を聞くと、陣取りが選ばれて、決定された。差し出した三本の矢を受け取り、順に緩んだティップを締め直しながら、伏目のままナマエは口を開いた。

「駿さんも気をつけてくださいね」
「なにを?」
「夜の女は嘘つきですから」

今更なことだと思った。どれだけ足取りを軽くしたところで、崩れた天気が邪魔をしたし、訪れた先の八割は留守にしていた。それでも些細で特別な日であることには変わりなく、実際に嘘なんてどこにもない。見ないふりさえできれば、真実になる世界だってある。気づかなければ、虚構すらどこにもないはずだった。ナマエがどこかで嘘を吐いていたとして「それはそれで」

酔狂ではないのか。




酒場にて 160814