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「私と結婚しませんか?」

峯とナマエの間には、不明瞭な友好関係が続いていた。友人以上で恋人未満とか、ビジネスライクとか、そういう話ではなく。いつの間にか、なんとなく、優にも不良にも寄らない関係だった。地方に行った折には必ず土産物を持って訪ね、その土地のことを話した。上手くして実際に商材に転ばせたこともあったが、そのための付き合いにしては割が悪い。味覚の共有が目的の女と、甘味を食べる口実を見つけた男で作った、具合の良い均衡の筈だった。

それが今日はどういう訳か。唐突なプロポーズはナマエからだった。峯は一瞬、わずかばかり硬直したが直ぐに麩饅頭の咀嚼を続けた。間を置くように飲み込んだのち、二分の一切れをさらに半分で割った。

「君とはそんなに深い仲だったか?」
「お茶菓子を一緒にいただく程度の仲ですね」
「あまり俺に興味がないと思っていた」
「人としてある程度はね、惚れてますよ」

淡々とした言葉のあと、六分の一を口に入れたナマエは、皿に残る別の六分の一を眺めながら、少しの名残惜しさを顔に出した。交わされる会話よりも、ずっとそちらの方が大事であるかのような態度のせいで、峯は白昼夢の中、全く異なる次元の話をしているのではと疑った。

「もう一度言ってもらえないか」
「結婚しませんか、峯さん」

どちらも言い放ってから、最後の一欠片を口に放り込んだ。十二分に堪能する間、沈黙が挟まって、その次は緑茶の出番になった。日本茶に惚れ込んだ外人が作ったという、会話には困らない特殊な茶葉だった。格別旨いかというと、それはまた別の話だ。残る餡子の余韻と混ぜ合わせてから飲み込んで、峯はソファへと慇懃にもたれ直した。腹の前で組まれた指は、考えを持て余すような風情をしている。丁寧に茶を含む相手を観察しながら、魂胆を明かすよう沈黙と一瞥で促した。淡色の湯のみを両手に持ったまま、ナマエは相手の手元を見る程度に顔を上げた。

「申し入れというよりは、交渉だと思って欲しいんです」
「なにかメリットがあると言いたいのか」
「既婚、ということで得られるで社会的な信用は、魅力的じゃないですか?」
「成る程。家事が云々を言わないのが、“らしい”な」
「だってそんなの、雇えばいくらでも解決します」

少しバツが悪そうに飲み物を啜ったことから、はみ出し者の自覚はあるようだった。こんな些細な空間に人生を持ち込んでしまえるほどの図太さだってあるくせに。およそ女性らしい人生というのが唯一深い意味でナマエの自尊心を抉るということは既に分かりきったことなのだから、もう少し平気な顔はできないのか。
そのくせ、「私がもし取引先だったらって、話ですけど。峯さんくらいのお歳で、しかもそのステータスで独身だと、なにか人間的に問題があるんじゃないかって思ってしまう気がするんですよね」と言うのだから。そちらをあと少しでも気まずそうに言えばよかったのではないか。そのせいで、峯の方でもらしくない軽口を叩いてしまう。

「実際に問題があるから、君も俺も独身なんじゃないのか」
「人のこと言えませんが、自覚あったんですね」
「自覚もなにも、俺は極道者だ」
「それもそうでした」

たしかに、言いたいことの概要は良く理解できる。実際にナマエがそれを欲しているからこそ出た立案だとしても、峯にとっても加方向に働くことは否定しない。但し、求めている最終的な様式がどういったものかは判断し兼ねていた。持たせ掛けていた上半身を起こし、再度湯のみに触れたが、すでに空になっていることを思い出して指を組み直した。身を乗り出すような形で確認を問う。

「ナマエは信用が欲しいのか」
「ないよりはある方が、楽でいいです」
「金は」
「ないよりは。でも、自分で稼ぐだけで充分です」
「そうか」

なにかを飲み込むように納得してから、峯は急須を手に持ち立ち上がった。空になった器の中に新しい湯を注ぎながら、ナマエが広げた風呂敷の中にある情景を想像しようとした。淡白で、今まで通り変わらないのであれば可能な話。蓋をして、元いた場所に座り、居心地を確かめてから差し出された湯のみに注いでやった。半分までついで、自分の方に入れて、残りの半分を埋めると丁度いい色合いになった。

「俺以外にも、いくつか候補はあるんじゃないのか」
「いくらもいませんよ。仮面夫婦になろうとか、言えるの」
「一から作ろうとは、思わないのか
 はじめからなら、ある程度でっち上げることだってできるだろう」
「峯さんにフラれてから考えるつもりでした」

両手に包んだ湯気を見遣って、ナマエは卓上に戻した。まだ口をつけたいと思える状態ではないということ。鼻から息を深く吸って、先ほど峯がしたのと似た様な具合で、体を後ろに傾けた。組まれた指同士の先に光る爪は、肌と同じ色をしていた。無難。しかし、ないよりはある方がいい。先ほどナマエが言った一節が反芻された。

「いい話ではないかもしれないですけど
 悪い話でもないんじゃないでしょうか」
「しかし、君の方に悪い話が多すぎるんじゃないのか」
「どういうことです?」
「こっちの生業に巻き込まれて、死ぬことだってある」
「ここを出てすぐ、車にはねられるかもしれないんです
 確率なんて、ひいたら一緒じゃないですか」

楊枝だけが残った小皿を見てから「ああ、怖くないわけじゃないですからね」と言って組んでいた手元を離し、両掌を向けて補足をした。このやり取り全てを、馬鹿な話だと切り捨てるのは簡単なことだった。そういう選択を続けた人間が馬鹿に辿り着くのをいくらも見ているせいで、高慢さがブレーキをかけた。煮え切らないよりは。かといって、突き進むか止めるかの選択はいつでもできる。どうせナマエがこの話を持ち出した時点で、何もかも今まで通りというわけにはいかないのだ。

「検討しよう。明日の夜は空いているか?」
「調整します」
「20時に迎えを送る。泊まる用意もしておくといい」
「わざわざ言ってくださるお気遣い、嫌いじゃないです」
「悪いが、気乗りしなかったら辞める
 君もそのつもりでいるんだな」

笑った口元が飲み物を求めたのを見て、本当は、今ようやく覚悟をしたのだと思った。無鉄砲さの行間は、汲んでやるべきだったのだ。




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