×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



「本当に素敵ですね、この車」

溜息を漏らすような言葉が聞こえた。助手席に視線を送ると、走る夜景を眺めていた。それに加え、静かな振動を愉しんでいるようだった。常に微笑んでいる口元が、いつになく上機嫌に見えた。
どう考えても、この品の良い女は容易く男の車に乗るような人間には見えない。自分が言い出したことではあるが、峯にはどうしても拭えない違和感があった。

「やっぱり義孝さんでも、憧れるものなんですね」
「お気に召しませんでしたか?」
「いいえ。ロマンの違いを理解できないので、私には勿体無い席だなと思いまして」
「どの口で、そんなことを仰るんです」
「あら、嫌味でしたか?」

釘を刺すような言い分にも、申し訳なさそうな態度にも理由があった。単にナマエの資産に底が見えないせいだった。おそらく、自分の倍以上、あるいははるかに凌駕しているだろうという漠然とした見立てだけがあった。そんな人間が、そんな世界にいる人間が。
しかし実のところ、峯には何の嫉妬も湧いていなかった。成り上がりでお喋りな連中のように、ナマエが煽ってきたことは一度もない。生まれ持った境遇も、努力で得た才知も。どちらも彼女にとって当然のことだからだ。馬鹿にすることを知らない人間に、腹の立てようはなかった。

「こちらこそ。意地の悪い言い方をしました
 ですが誤解をする方もいるでしょう」
「そうかもしれませんね。気をつけます」

素直に反省したようだった。きっと、表情は崩さずに眉だけが下がっているのだろう。こういう素直さが、ナマエを才媛に見せるのだろうか。いや、少し買いかぶりすぎだ。遠く彼方、海の光を感じながら、なぜここにいるのかを考えた。この女と同じ土台、同じ空間の中。いつの間にかの話。

「今ではもう当たり前のようですが、最初は見栄のつもりでした
 実際、貴女の言うように憧れがあったんでしょう」
「その背中も、見栄のおつもりだったんですか?」

突然叩きつけられた言葉に、峯はただ驚いた。ナマエに渡した名刺には、そんな気配は欠片もなかった。そこに一切偽りがあったわけでもない。もちろん、突っ込んでみればフロント企業だということくらいは割れてもおかしくない。調べたのか。背中、と言ったからには相当深くまで。
ナマエはニコニコと、変わらず上機嫌の様子だ。しかし呆けていた輪郭が引き寄せられたのに気づいて、峯は少しばかり愉快になった。彼の持つ自負心が煽ったせいでもあった。

「ご存知でしたか」
「お金で人を動かすのは私も得意ですから」
「直接聞いてくださっても、良かったんですがね」
「そうですね、彼には可哀想なことをしてしまいました
 でも私、義孝さんがそんなにも危ない方だと思っていなかったんです」
「軽蔑しましたか?」

いいえ。先ほど同じ言葉でありながら、尾を引き、絡みつくようだった。ゆらりと擡頭した気配は、これまでどこに隠していたのか。普段の様子からは想像を許さないほど、獰猛な匂いだった。いや、これまでが余りにも無害に見えた。程よく地味で、それが逆に引く手数多ではなかったのかと、思ったこともあった。

「もし貴方が、ただのお金持ちの御曹司だったら、つまらないと思っていたんです」
「それは、どういう意味でしょうか」
「ぬくぬくと育った殿方はもう御免です
 野心のある殿方のほうが、ずっと刺激的ですから」
「それは、貴方が“ロマン”とやらに執着するのと関係がありそうですね」

フフ、と笑ったナマエは妖艶だった。目まぐるしく形を変える気配。こちらが本性なのだろうか。ナマエがどうしてこれまで独り身だったのかも、分かったような気がした。晒したとしても、隠したとしても、すぐに御破算になって然るべき姿だ。よくこれまで。
はあ、と息を吐く音がした。次に発した言葉は、気の抜けた様子でありながら、嬉々としていた。これまでとこれからが丁度折半になったようだ。

「でも良かった
 実は、義孝さんに刺青があるかどうかまでは分からなかったんです」
「博打だった、ということですか
 はぐらかせば良かったですね」
「それじゃあ……つまらないじゃないですか」

立ち並ぶ住宅の中、もうすぐナマエの家が見えるはずだ。計算通り、という意味ではナマエに軍配があがるだろう。これがゲームだとしたら、まだ始まったばかりだろうか。それとも既に、負けているのかもしれない。

「見せてくださいません? お背中の模様」
「構いませんよ
 今までのように紳士然とはしませんが、それでもよければ」




嚇しの作法 160717