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有線のジャズが流れる店内はもうすでに閉店済みだった。一人が奥で金勘定。一人が後の片付けを。それに加え、あえて取り残った客が一人。派手なスーツを着ていた。

「おめえなあ、言えよ」
「だって阿波野さん、最近顔出してくれないじゃない」
「来たら教えたか?」
「どうですかね」

鼻で笑って阿波野はもう一度グラスを傾けた。
今日堂島組の事務所で見かけたナマエは、弥生と連れ立って歩いていた。呼び出されたのか、それともナマエから先の手を打ったのかはわからない。ただ、事情だけは他の組員達も察したようで、誰だどいつだという静かな探り合いの末、久瀬の相手だということが判明した。
見知った女と兄貴分が。まさか。阿波野は冷水を顔面にかけられたような気さえした。ただ、自分の鈍感さだけが衝撃だった。

「で、いつからだよ」
「嫌ですよ言いません。あの人から聞いてください」
「分ーかったよ。じゃあ兄貴のことは聞かねえ
 ナマエの話だけすればいい。な?」
「しつこいですね。おつまみ出しますから、他に何か食べたいのありますか」

そう言ってナマエは残り物の蛍烏賊をカウンターに置いた。苦々しくこれでいいと言うのを待ってから、またグラスを磨く作業に戻った。阿波野はナマエの考えていることがてんで分からないでいた。自分の方が付き合いは長いはずなのに、何もかもを見ていなかったということらしい。くるくるとグラスに光を集めながら、阿波野は今日一番訊きたかったことのために口を開いた。

「兄貴のどこに惚れたんだ」

ナマエはなんの琴線に触れた様子もなく、ただグラスを磨き続けた。電球に透かし見て、満足がいくと定位置に戻した。聞こえていないのかと思うほど、あまりにも単調すぎた。その様子で淡々と「さあ、一目惚れなんで」と言ったせいで、また阿波野は面食らった。

「ひとめ、ぼれ?」
「ええ。阿波野さんが連れてきたあの日ですよ」
「おめえ意味分かって言ってんのか?」
「何がですか?」
「一目惚れって言ったらよ、もっと……こう、可愛げのあるもんじゃねえのか?」
「意外とロマンチストさんなんですね」
「誰に向かってそんな口きいてんだ」
「それはこっちの台詞です」

ぴしゃりとした言い草に、こめかみの血管が疼いた。ナマエに対しての突沸的な苛立ち。ああ、なるほど、確かに。兄貴分の将来の嫁ともなれば、それはそう簡単に歯向かっていいものではない筈で。今日突きつけられた新しい関係に、感情と理屈はどうしても違う速さでしか動けなかった。一方で少し、ほんの少しばかり阿波野が感心したのは、ナマエにも弥生と同質の胆力があっておかしくないということだった。

「冗談ですよ」

阿波野の灰皿が新しいものに変わり、もう一つ、別に新しい灰皿も増えた。一先ずの片付けを終えたらしく、ナマエは腰に巻いたエプロンをとって自分用のスツールを手繰り寄せるとそこに座った。仕事終わりの一服。格別美味そうに煙を吐き出すと、阿波野のことなど目に入らないように彼方を見つめていた。

「だって、久瀬さん可愛いじゃないですか」

は?
怖いと言ったか?可愛いと言ったか? 思わずナマエを見たが、逆にこちらが何か変なことを口走ったかのような眼差しを受けた。聞き返したところで、もう二度と言わないに違いない。恐らくも何も、こいつは初めからタガが外れている。そうでなければ、久瀬の強面に一目惚れなんてことを起こす筈がなかった。阿波野は少しずつナマエという輪郭を縁取り、何もかも理解不能な女だと結論づけようとした。

「格好良いの間違いじゃないのか」
「それも含めての話ですよ」
「じゃあ聞くけどよ。
 俺は……どうなんだよ」
「めっちゃこわい。ほんと顔怖いです」
「二回も言うんじゃねえ」

階段を降りてくる音がした。気だるげな靴音。目当てはこの店に決まっていた。阿波野にとっては今日、この音を聞くことも目的の一つと言ってよかった。静かにドアが開くと相変わらず凶暴な顔が覗いた。

「やっぱり来てやがったか」
「兄貴」
「あら、どうも」

ナマエの声色は、どう聞いても阿波野に向けられたものと変わらなかった。盗み見た表情も。それは久瀬も同じだった。自分が鈍感なせいではなかった。撫でおろした胸もあるが、だからこそ、底知れないざわつきを感じずにはいられなかった。これはきっと『愉快』と表現しても良い。
カウンターには先ほど磨き上げられたグラスが三つ用意された。




27時の境目で 160620