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軽くてよく通るノック音がした。書類はなるべく纏めて持ってくるよう言ったではないか。さっきは、確か十分ほど前だった筈だ。反射的に現れる苛立ちを抑えながら入室を促すと、顔を見せたのは外周りにやった男だった。

「親父、すみません。ナマエさんが……」
「ナマエが? 来てるのか」
「いえ、ちょっと心配でこちらに来てもらいました
 お通ししてもよろしいでしょうか」
「……分かった」

隠す様子もなく渋澤は溜息をついた。礼儀正しい部下は一旦退出して、おそらく事務所前で待つナマエを迎えに行った。暫く休憩になるのが分かったので、書類は傍に寄せられた。煙草に火がついた。気を利かせた別の者が二人分の飲み物を持ってきて、出て行った。丁度入れ替わりにやってきたナマエはお辞儀と一緒に当たり障りのない挨拶をした。ソファに腰掛ければ渋澤と直線で繋がった。

「また性懲りもなく来てたのか」
「そう、いつも怒らなくてもいいと思いますけれど」
「餓鬼のこと教育してんだよ」
「もう子供じゃありません」
「ついこの間家飛び出したばっかでなに言ってんだ」

ナマエはそれでぐっと言葉に詰まった。渋澤は事あるごとに彼女を世間知らずと呼ぶ。渋澤はナマエの世界を知らなかったが、自分が知る世界の広さや黒さに比べればほんの欠片だということはよく分かっている。だからいつまでも子供扱いを止めなかった。単に、選ばなかった過去への嫉妬もあったと思う。
ナマエはそれを、清らかな世界しか知らないせいだと思っていた。実際、渋澤はナマエのことを善良なお嬢ちゃん呼ばわりしたこともある。それだけで自分への評価を判断してしまうナマエはやはり軽率だった。たとえば先の部下だって、いつもよりも丁寧な物腰をしていた。他にも、騎士として誇らしそうにする者だって見たことがある。彼女に惚れているという話でなく、それぐらいナマエは善意の鏡だというだけの話だった。渋澤はいつも、それが通用しない悪党のことを考えた。

「痛い目みたこととか、ねえのか」
「そうですね、先程。少し反省しました」
「うちのが何か言ってたな」
「ええ。助けていただいたんです
 少し、粗暴な方に声をかけられてしまって、危なかったかもしれません」

いつも毅然とした眼差しを向けてくるのが煩わしくて、今の今まで目を合わせなかった。よく見れば、奥に泪の出来損ないがあることくらい始めから気付けただろうに。手首を握っていたので、もしかしたら乱暴に掴まれたのかもしれない。なんとなくの状況は想像できた。舌打ちをするかわりにフィルターを噛んだ。

「怖かったのか」
「慰めてくださるんですか」
「訊いてるだけだ」
「そう……ええ、勿論。怖かったですよ
 でも、この組の方のほうが恐ろしかったんですから」

明らかな暴力を見たのは初めてだとナマエは言った。実際には、現場からすぐ引き離されたので両の目で確かめたわけではない。しかしその気配は十分に伝わった。どの程度のどういった制裁があったのか分からないから、やっぱり自分が子供扱いされておかしくないと言った。ナマエの瞳孔は逡巡している。混乱した内面を見て、渋澤は口を開くのを待った。まだ熱いお茶をそっと飲みながら、次の句を考えているようだった。

「叔父様も、そういうことをされるんですか?」

その呼び名を聞くたびに、渋澤の頭が痛くなることをナマエは知らない。他人はあくまでも他人。血縁などという、煩わしく非合理的な感覚は父が死んだ時に全て捨てた。火を押し付けられた灰皿はあらゆることを思い出す。一方で、ナマエは血の繋がりだけを理由に、いつも他人を理解したがった。担保のない無遠慮な信頼を押し付けた。渋澤は彼女を、親族であるがゆえに最悪の人種だと評価する。
沈黙で誤魔化されたのが分かって、ナマエは少し諦めた。

「例えばさっき、助けがこなかったとする
 そのまま攫われていって、どうなってたと思う」
「……強姦、とかじゃないんでしょうか」
「それで済めば、まあ御の字だろうな」

渋澤は想像をした。実際には、ある程度の過去を見た。色欲に囚われたならばたしかに強姦、あるいは複数の餌にするだろう。私物として拘束する場合だってある。ありもしない借金を膨らませる天才も知っている。悲鳴をあげる玩具に興奮するような頭のイカれた男も知っている。若しくは、商売道具にしてもいい。その場合には、使い捨てと恒久利用。こんな華奢な女一人、なんとでも、どうとでもできる。
先ほどより指先を強張らせたナマエが、どこまで想像できたかは分からない。しかし少なからず、居心地の悪さを実感し始めているようだった。

「もう神室町には来るな」
「それは、私が決めることです」

あくまでも気丈に振舞おうとする。
餓鬼のくせに。濁った感情は押しつぶして、口には出さなかった。




悪人 160611