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阿波野が目覚めた時、既にナマエの身支度は粗方整っていた。その風体が明らかに日常的でないため、その空間が、なにかブラウン管の向こう側のようにも見えた。
そのことについて聞いたような気もすれば、覚えもないように思えた。少なくとも昨日の夜にそんなことは聞かされていない、筈だ。様子だっていつも通り何も変わらなかった。しかし男はいつだって鈍感で、女はいつだって繊細だ。なるべく声の調子を静かに努めるよう声をかけた。

「なんだ、葬式か」
「法事よ」

言わなかった? と不思議そうにされたので、聞いたのかもしれない。どちらにとっても曖昧な過去に見えたので阿波野は喉を鳴らすだけの返事をした。少なくとも、擦り減らしながら気を遣う必要のないことが分かったので安心はした。ナマエが思い出したように、前に置いていった服を渡してきたのでそれを着た。首を通した時、この部屋でだけ感じる淡い香りを強く感じた。

「今日は実家で過ごすから、来てもいいけど居ないわよ」
「鍵もないのに来るかよ」
「あら、じゃあ貸しましょうか?」
「いらねえ」

流れるように否定の台詞をついたものの、阿波野は選択肢を見誤ったことに気が付いた。ナマエの方も、悪戯心のほんの一割に満たない分だけ、勝手に合鍵を作っても許すつもりでいた。しかしそれも露に消えた。大きな分岐点はあまりにも狡い。
その気になればいつだって言える。いつだってできる。その『いつだって』は『いつだって』になってしまった時点で『いつまでも』来ないということを二人とも知っていた。余程のことがない限り。

「戻ったら、とりあえずポケベルに入れるから」
「そんなに気を遣わなくてもいいぞ」
「会えないと会いたくなるかと思って」

淡々と挑発的な発言を繰り返すのは、その格好のせいだろうか。いつもより薄い化粧は、まだ紅を差してないように見えた。七分丈から覗く腕は、いつにも増して容易く手折れるに違いない。
ナマエはその、自分を計る阿波野の視線に気がついた。目に星が入る、という表現を聞いたことがある。辺りの光を取り込んだ奥に、獰猛さが宿る。それがどういう時に起こるか、何となくは知っていた。

「何、考えてるの?」
「いやなに、喪服ってのは随分と刺激になる」
「女性のは特にね、私でも思うわ。いつも」
「折角だ。口説かれて来いよ」
「馬鹿言わないで。しょうもないおじさんばっかりなんだから」

強く言った口調の後、反省するように「阿波野ちゃんもおじさんだったわね……」と零したので流石に笑わずにはいられなかった。気恥ずかしさと可笑しさが混じったおかげでナマエの方は涙すら浮かんでいた。筋肉の浮く阿波野の胸に顔を埋めて、紛らわせずにはいられないほどだった。見た目に惑わされていた日常が少しばかり顔を出した。逸らすようにナマエが嘯く。

「阿波野ちゃんはどうかしらね、喪服」
「艶っぽくてしょうもないクソ親父になんだよ」
「だから、ごめんって」

二人してまた笑った。
目を瞑り、体を預けながら、ナマエは阿波野の姿を想像した。いつもとは違う仕立てのジャケット。光を失った靴。きっちりと詰められた襟元から垂れる黒いネクタイ。色と光を失って、華がなくなるかもしれない。それで得るものは一体なんだろうか。我儘が許されるなら、一目逢瀬を与えてはくれないだろうか。もしそれが重大な日であったなら、尚更傍にいたいと思った。

「その時はネクタイ、締めてあげるわ」


いつまでも来ない『いつだって』が、
思いの外早く打ち止めになる未来を

二人はまだ知らない




黒いいつか 160527