※臨也vs波江


「貴方の人間愛って不完全よね。」

波江はティーカップから唇を離し、ゆったりと漏れ出た吐息に呟きを乗せる。あくまでも自然で優雅な動作の流れに投じられたその棘は、臨也の笑みを誘うには十分なものだった。

「……君からそんな風に言われると、心外にも程があるなぁ。」
「それはつまり、私の愛が不完全とでも言いたいのかしら。」
「さぁ、どうかな。」

言葉は濁されているものの、嫌味な程に釣り上げられた彼の口角は、明らかに肯定を示していた。加えてわざとらしく細い首を傾げ、波江を挑発気味に見遣る。
しかしそんな男の姿など目もくれず、波江はただ、カップの中の紅い湖面に視線を注いでいた。混じり気の無い純度の高い紅が、彼女の無愛想な表情を映し出している。余り感情の掴めない表情をそのままに、彼女は再び優雅にその唇を動かした。

「私の愛は不完全なんかじゃないわ。私の世界の全ては誠二への愛、ただ一つだけ。他には何も無い。それが私の中の絶対の真理であって、その真理は決して揺らぐ事も歪む事も無い。私はこの地球上の誰よりも全うで完璧で完全な愛を有していると自負しているわ。」
「実の弟に愛を向けるっていうのには言及しないのかねぇ。……でもまぁ、それを言うなら俺の人間愛の方が、波江の愛よりも完全に決まってるじゃないか。俺はこの地球上の多種多様限りない要素を持つ人間という種を、平等に分け隔てなく愛しているんだからね。俺は人類を愛している!これは俺の真理だ。俺のこの真理だって歪む事はない。そう考えれば、ほら波江、俺の愛はまるで神の愛だ。対象を狭く規定した君の愛よりも、よっぽど俺の愛の方が完全無欠、歪み無い愛だ。」

臨也は至極満足げに言い放ち、更に口角の角度をきつくする。
波江はつまらなさげに溜息を吐き、再び紅茶に口を付ける。そして唇をカップから離し、先程のように吐息に呟きを乗せた。

「貴方の愛は不完全よ。だって全然、完全なんかじゃないもの。」

コトン、と音を立ててカップがデスクに置かれる。まるでその音が合図になったかのように、一瞬にして臨也の表情からは笑みの一切が消え失せ、不機嫌と苛立ちが眉間に刻まれた。波江は、臨也のその表情に余程気分を良くしたらしく、今この時初めて、その端正な顔を臨也に向けた。その表情には、数瞬前の臨也のような挑発が見てとれる。
あたかも、一気に二人の顔の表層だけが入れ替わってしまったかのような、奇妙な交感が成立していた。

「貴方の愛は不完全よ。私の愛の対象は誠二。そして私は、私と私の愛の全てをあの子に捧げている。性愛から慈愛まで全ての愛を誠二のどんな側面にも捧げているのよ。そして貴方の愛の対象は人間。けれど貴方は貴方の愛の全てを、全ての人間に捧げてはいる訳ではない。この地球上で、そして貴方の世界の中でたった一人だけ、貴方が『愛していない』と臆面も無く言い放つ人間が居るわよね。多種多様な人間を平等に愛する気があるのなら、そうやって例外を作るのはおかしい事だわ。『完全』に『例外』は存在してはならない。貴方の愛は神の愛だなんて名乗るにおこがましい、不完全なものよ。詰まる所、愛の完全さは、対象の範囲でも聖俗でもなく、愛に対しての忠実さが決めるの。貴方の人間愛は忠実さを損なっている。だから不完全。それだけよ。」

くすりと、波江が満足げに艶やかな微笑みを浮かべる。それは、恐らく誰しもが心を奪われるような美しいものだったに違いない。だが、不機嫌な臨也の目にはただの嫌味な表情にしか映らなかった。反論の余地なく捲くし立てられ言葉を浴びせかけられ、あたかも常の自分が人に対してするような振る舞いを他でもない自分が受けた事で、彼女に対して一種の同族嫌悪までもうっすらと感じてさえいた。
そんな臨也をよそに波江は、彼に一矢報いたという優越に浸っていた。ある意味では、火種ともなったカップの白い陶器の肌に指先を滑らせている。

「……あいつは、人じゃなく化け物だから例外でも構わないんだよ。俺が愛しているのは人間なんだから。」
「一応は人間でしょう。生物学上はね。」
「……波江、」
「言い訳を重ねるのも結構だけど、私は、貴方の人間愛はやっぱり不完全だと思うわ。」

紅茶を啜る。カップの中はもう空になってしまった。残念だと波江は思う。今もし、カップの中にあの澄んだ紅い湖面がまだ残っていたならば、きっと勝ち誇って満ち足りた自分の表情がどんなものかを見る事が出来ただろう。

「……波江のせいで気分が悪くなった。どうしてくれんの。」
「あら。じゃあ、貴方にもお茶、淹れ直して来てあげるわ。」

自分のカップを持ってキッチンに立つ。臨也のカップを棚から取り出し、自分のそれに並べ置く。ポットから二つのカップに紅茶を注ぎ入れる。
波江は考えていた。臨也の「人間愛」は不完全だが、彼の「例外」に対する感情は、完全であるかもしれないと。この地球上で、そして臨也の世界の中で、「例外」は他の群れなす人類とは明らかに異なる目線を向けられ、価値を与えられている。圧倒的な地位を持って臨也の中に存在している。臨也の全ての感情は回り回って「例外」へと繋がるのだ。しかも臨也の中で、この真理は恐らく森羅万象何よりも揺らぐ事は無いだろう。

「私からしたら、『愛していない』のではなく、『愛する事を拒んでいる』ようにしか見えないのだけれど。――まぁ、愛と呼んでも良いのかは別として。」

結局は歪んでいるのだ、折原臨也という人間とその愛は。
そう結論付けた所で二つのカップは紅く染まり、今度は二つの湖面が、波江の無愛想な表情を映し出していた。



完全に不完全



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