彼はとても嘘を吐くのが上手な人だった。
その夜色の瞳を柔らかく細めながら、その桜色の唇を優しく緩ませながら、声帯がほろりと震える言葉は、何時でも残酷で冷酷だった。そして劣悪で醜悪でもあった。
彼の紡ぎ出す狂った言葉が、一人また一人と他人を堕落させていく様を、私は何度も何度も見てきた。零れて落ちて、そして潰れて腐って溶けていく様を、私は幾度も幾度も見てきた。
だからといって、私は彼に何かしらの怒りを覚えたり、畏怖をしたり、ましてや憐れみを向けたりする事も無かった。だって、する必要が無かったのだもの。私にとって、彼が嘘を吐くという事は、例えば涙が下に落ちて行くようなものであったし、例えば眠る時に瞼を閉じるようなものであって、つまりは自然な、そう、考える必要も無い程にごく有り触れた現象のひとつに過ぎなかったの。そして私はそんな日常を、何よりも愛していた。

「『君は僕の嘘に泣いたり苦しんだり怖がったりしないんだね。』」
「球磨川先輩の嘘が、私は好きですから。」
「『……君ってさあ。』『少し、いや大分、ううん尋常じゃ無く変わってるよ。』」
「こんな事を言われたのは、初めてですか?」
「『そうだね。』『嘘は吐いちゃ駄目って言うじゃない。』」

どうして、嘘を吐いてはいけないのかしら。私には分からない。
それはいけないと誰が決めたの。大昔の哲学者、倫理学者、それとも政治家か王様か英雄か、そうでなければ神様かしら。誰だか知らないけれど、そんな事は余計なお世話だとしか思えなかった。
そういえば、私の小学校の先生も言っていたと思い出す。誰かを傷付けてしまうから、嘘を吐いてはいけないよ。先生は言いましたね。ならば先生、教えて下さい。嘘を吐かなければ傷付いてしまうこの弱い人を、一体誰が守ってくれると言うのですか。
彼はとても堕弱で脆弱で貧弱な、それでいて誰よりも屈強で剛強で頑強な、矛盾の権化の人間でしかなかった。芯は通っているけれど、それでも今にも崩れ落ちてしまいそうな自分を、格好付けて括弧付けた嘘と虚勢の鎧で守っているだけの、過負荷なんてどうでも良い、ただの男の人。そして私はそんな彼が好きなのだ。
だから、彼を守ってくれるのなら、その嘘ごと私は愛するの。彼の嘘に触れれば触れるだけ、嘘と背中合わせの彼自身を少しでも感じる事が出来るから。例えその嘘が他人には如何に残酷で冷酷で、更に劣悪で醜悪であったとしても、私には睦言のように優しく清しく甘く響く。

「そんなどこの誰とも知らない人が言った言葉なんて、私は知りません。私は先輩がくれる嘘と本当だけで十分です。」
「『……そういう事を言ってくれるからさ、』僕は中々君を手放せないんだよね。」
「……一応訊いてみますけれど、今、括弧付けました?」
「『んー、どうだろうね。』『一応、格好は付けて言ってみたけど。』」

彼はとても嘘を吐くのが上手な人だった。
その夜色の瞳を柔らかく細めながら、その桜色の唇を優しく緩ませながら、声帯がほろりと震える言葉は、何時でも私を虜にする。



嘘が魔法



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