それは特に何という事も無い朝の事だった。


「細ぇ……。」

ベッドに座り込み、寝癖の付いた髪を整える臨也の手首を、静雄が強引に捉える。存外の細さに戸惑った静雄が目を細めるのと、存外の行動に戸惑った臨也が目を見開くのはほぼ同時だった。自分の無骨な手の平の中に収まった臨也の手は、遠目に見るよりも線が細く、薄いとさえ感じられる。寝起きの頭に流れ込んで来る感想を、静雄が素直に口に出せば、臨也の見開かれた目は次第に細められ不機嫌を訴えた。

「ちょっと、離してよ。」
「手前の手、細すぎねぇか。これ男の手じゃねぇだろ。」
「は?正真正銘俺は男ですけど。ていうか離してってば。」

臨也は非難がましい目付きで静雄をじとりと睨み付け、手を振り解こうと腕を揺らす。しかし、静雄がそんな臨也の様子など意に介す訳も無く、その手が臨也の手首から離される事は無い。次第に抵抗は無意味だと臨也は悟り、非難の眼差しの中に次第に呆れの色すら滲ませ始める。何が面白いのか、まじまじと自分の手を観察する静雄を眺めながら、臨也は大きく溜息を吐いた。

「細ぇ。」
「……そりゃシズちゃんの手と比べればね。」

臨也の手は、静雄の感想に偽りなく、手首から指先まで何もかもが細かった。余計な物など一切付いていない、必要最低限の組織しか持っていないような手。加えて、臨也の肌の白さが、元々細い印象を、より一層細めているように思える。細く、薄く、しかしそれでいて、痛々しく骨張っているという訳では無い。男特有の関節の強張りを除けば、まるで女のような手だと静雄は思った。
やがて一頻り観察し終えると、静雄は落とすように臨也の手首を離した。そして何の抑揚も無く、静雄は言った。

「……何か食えそうだった。」

聞こえは物騒な言葉ではあったが、特に何という意味も込められてはいない事など静雄は元より臨也も理解していた。ただの軽口、あるいは単なる感想でしか無いと。しかし臨也は敢えてその台詞を逃がさず捉えた。自分の台詞に頓着せずぼんやりと欠伸を噛み殺す静雄に、臨也は揶揄をぶつけた。

「シズちゃんに食われたら、骨の一欠片も残らなさそうだ。シズちゃんって獣って感じだし。こっわーい。」
「手前……本当に食ってやろうか。」
「ハハ、それはジャムで?蜂蜜で?ケチャップかソースか?あ、マスタードかな?醤油はやめてね。」
「五月蠅ぇ黙れ。」
「まぁ、俺も自分の指の食べ方なんて話してても面白くはないから黙る事にするよ。でも言っておくけど、きっと、俺の指は美味しいよ。どっかのシズちゃんとは違って繊細な味がする筈だ。」

静雄のこめかみに徐々に青筋が立っていくのを、臨也は愉快そうに見遣る。先程まで静雄に握られていた主導権がようやく自分の元に返って来たとでも言いたげに、にんまりと笑う。そして徐々に怒りを蓄積し始めた静雄を尻目に、臨也は改めて手櫛で髪を整えると、弾みを付けてベッドから降り立った。

「あ、そろそろ朝食の時間だ。俺はフレンチトーストでも食べるけど、シズちゃんはコーヒーでも飲んでて。それでさ、飲んで飲んで胃に穴開けて死んじゃってよ。」
「手前……ッ!」

静雄の怒声が飛び、あ、と臨也が思う間も無かった。
静雄は瞬時に臨也の手首を捉え、細い指先に獣のように牙を刺す。臨也の思考が追い付く頃には、静雄の歯の下で、肌は切り裂かれ見る間に腫れ上がっていた。

「った……本当に食べられるかと思った。流石獣。」
「は、食い千切ってやる程美味くも無かったから残しといてやった。」
「……へぇ……。」

互いに苛立たしげに、ぎりぎりと唇を歪ませて笑う。冷戦よろしく不穏な対峙の中で、臨也はその赤味を帯びた白い指先を揺らしながら、胡散臭いまでの爽やかな声で一日の始まりを告げた。

「さあ、最悪な一日の始まりだ。」

それは特に何という事も無い。
粗野で粗暴な池袋の朝の風景。ただそれだけ、何という事も無かった。



断食を破る



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