たかが小人、されど小人





「本当に!」

つい、目を煌々とさせてしまい炭治郎がくしゃりと笑いながら頷いたのを前にしてこほんと咳払いをした。

「無理しなくていいよ」
「大丈夫だよ、約束してただろう?次はいつになるかわからないし、今日行こう」

今日は、炭治郎と浅草へ行く約束をしていた。浅草に美味しいお店があるんだよ、と甘露寺さんに教えてもらったお店を、そのまま私もそれとなく炭治郎へ伝えたのだ。遠回しの誘いに炭治郎がわかってくれるか、期待半分不安半分だったのだけれど、意外にも『今度一緒に行こう』と話が進んでいた。
けれど、数日前に任務へと赴いてから、炭治郎が帰ってきたのはつい昨日のことだった。それもかなり疲弊し切っていた。だから、今日の予定はなかったことになるだろうし無理はしてほしくないし、諦めながら炭治郎が休んでいる病室へとお見舞いに行けばその姿はなく。どこへ行ってしまったのだろうかと立ち竦んでいる私の後ろから声をかけたのは、いつもの隊服に身を包んでいる炭治郎だった。『もう大丈夫だから浅草へ行こう』と。

「でも、傷が開いたりしたら大変だよ」
「大きな怪我はしてないよ。しのぶさんにも激しい運動をしなければ大丈夫だって言ってもらったし」

炭治郎と浅草へ行ける、それも、禰豆子ちゃんは日中なほちゃんたちと遊んでいるから二人きりだ。その事実に素直に心躍らせながらも、でもやっぱり病み上がりの炭治郎を少し歩いた先の浅草まで連れ出すのは如何なものかと踏み留まっていた。
けれど、迷う私に炭治郎は和らげな笑顔を向ける。

「今日俺、すごく楽しみにしてたんだ」
「……」
「行こう」
「炭治郎が、そう言うなら……」
「うん」

勘違いしてしまいそうになる。炭治郎は平等にみんなに優しいから、誰かが『美味しい店があったよ』と炭治郎に伝えれば一緒に行こう、なんてさらりと言ってしまうのだろう。美味しいものは一人よりみんなで食べたほうが美味しい、って。きっとそんなことを話して私のような人間を周りに沢山、自分の知らないところで生み出しているに違いない。
けれど私は、その中の一人になりたくなくて必死だった。
しのぶさんや甘露寺さんに必要以上に近寄られると、炭治郎はいつも顔を赤くする。だからきっと、年上の人が好きなのだと決めつけて、自分の気持ちに気付いてからは炭治郎の前での振る舞いを変えた。子供のような言動にならないように、余裕のあるお姉さんのように。

「辛くなったら言ってね」
「うん、ありがとう。なまえ、今日化粧してるんだな」
「……うん、一般的にね、身嗜みを整えないと」

少し待っていて、と炭治郎に告げてからほんの少しだけ、いつかきっと使うからと町へ赴いた時に購入していた紅を塗っていた。炭治郎が隣にいなければ、こうして二度と使うことはなかったと思う。だから、身嗜み、なんてのはでまかせだ。本当のところは、ちょっと大人びてみただけ。ただ、気付くとは思わなかったから少し驚いた。

「あ、うどん屋の」

浅草の歓楽街へと入る前、人通りはそこそこの小道で屋台を引いている人がいた。出店も色々あるのだなあと能天気にしていると、その人へ炭治郎が声をかけた。知り合いだったのだろうか、声をかけられた店主さんはちらとこちらを見据えてから眉間に皺を寄せる。

「……ああ!」
「はい!竈門炭治郎です!」
「いや名前は元々知らねえけどよ」

少しだけ離れたところで炭治郎のことをじ、と見据えた後、おそらく炭治郎との出会いを思い出したらしい。ぶっきらぼうにしつつもその人は炭治郎と、それから私へと交互に視線を配る。

「お前女を取っ替え引っ替えしてんのか」
「え、」
「ああ、悪い悪い口が滑っちまったな。今日はこの辺じゃ売りがよくねえから場所を変えんだよ、じゃあまたな」
「い、いやちょっと!」

手を伸ばす炭治郎の声も虚しく、キイキイと音を立てながら車輪を回して屋台を引っ張っていった。取っ替え引っ替えって、この人が見たのは禰豆子ちゃんのことだろうか。

「違うからな、そんなこと俺はしてないから!」
「え?」
「取っ替え引っ替えとか、そういう……断じてない!あの人が前に見たのは禰豆子のことで、」
「うん、だと思ったけど……」
「なまえ以外の、……え」

何を焦っているのだろうか、炭治郎がそういう人ではないことはわかっているしうどん屋の人のあれはかなり適当そうな物言いだったし。売れ行きが悪くて腹の虫の居所が悪かったのだろう。わかりきったことにそのまま返せば、私の両肩を掴んでいた炭治郎の手がパッと離れる。それから一度息を深く吸って吐いた。

「よし」
「……?大丈夫?」
「うん、行こう」

まるで先ほど取り乱していたのはなかったかのような切り替えの早さだ。不思議に思いながらも大通りとは少し外れたこじんまりした通りに佇む甘露寺さんが教えてくれた店、喫茶店の扉を開いた。と、同時に話に聞いていなかったものが私たちを出迎える。
みゃあ、と小さな身体でぽてぽてと私たちに歩み寄ってきたのは一匹の猫だった。見渡すと、お店には他にも何匹かいる。なんとなく、甘露寺さんが好きそうなお店だと納得した。人一倍人懐こいのか、私たちを出迎えてくれた猫は炭治郎の足に擦り寄っている。

「可愛いな!毛並みがふわふわしてる」
「わ、本当だね」

擦り寄るその猫へ炭治郎が屈んで撫で始めたので、私も同じくその猫の毛並みを撫でたけれど、この猫は私の手にはまるで反応しない。

「……男好きだ」
「?」
「なんでもない」

人ならぬ猫までも、そうして落としていくのか、この男は。小さくため息を吐いた後に、店の人が奥から出てきてこちらへどうぞ、と案内されたので椅子に腰掛けた。洋風のお店には今まであまり入ったことがないから、お店に飾られている西洋のものに見える小物とか、小洒落た時計とか、つい色々と眺め回してしまいそうになるけど、子供じみている気がして我慢した。
お品書き、と記された紙を見て、これが美味しいんだって、と指を差す。

「カレートースト?」
「うん、そのままだけど、カレーとパンだって。一斤来るみたい」
「へえ、それにしよう!」

笑いかけた炭治郎の隣の空いた席にはさっきの猫が椅子に座っている。随分ゆったりとした時間が流れているけど、私の心はどこか落ち着かない。
二人で一つのものを食べるのって、気付けば初めてだった。そわそわとしてしまった挙句、こんなんでは大人には見られないと飲んだことのない珈琲まで一緒に注文してしまった。
待っている間、猫と戯れる炭治郎を見ていると、好きだという気持ちが強くなっていく気がする。もっと、余裕がほしい。抑えたい。抑えつつ、炭治郎も私のことを好きになってほしい。

「お待たせしました」

目の前に出されたそれは、お皿までもがお洒落に模様の入ったものだった。カレーのコクの深い香りに直ぐにでもフォークを刺したくなるのだけれど、それも我慢。二つ用意されたお皿に炭治郎の分を一切れ載せて差し出した。

「はい、どうぞ」
「うん、……ありがとう」

良かれと思ってしたことは、微妙な反応をされてしまった。
でも、炭治郎は長男だから、一瞬でも私が気を抜いてしまうときっと今私がやったことだって炭治郎が自分でしてしまうだろう。それだと私はみんなの中の一人になってしまうのだ。あくまでも、私は炭治郎の特別でありたい。我儘かもしれないけど、私が勝手にそう思って、迷惑をかけることをしていなければ問題はない。
そんなことを思いながらいただきます、と漸く口にしたこの店一番の料理は言葉通り頬が蕩けそうだった。

「美味しい!さすが甘露寺さんだ!」

沢山食べるだけあって、美味しいところもよく知っている。それから柱として各地を巡回しているから、というのもあると思うけど。
頬を抑えながら炭治郎にそのまま感じたことを伝えると、先ほどの微妙な反応とは打って変わって頬を綻ばせた。

「うん、帰りにお土産買って行こう」
「……」
「なまえ?」
「そうだね、甘いものがいいかな」

一瞬でも気を抜いてしまうと、子供じみた言動になってしまうとついさっき思ったばかりなのに、美味しいものを口にして素直な反応が出てしまった。もっと上品な大人でいたいのに。紅色の瞳の奥に映る自分がいやに幼くて、すうっと心の中が冷え切った。

「食べていいよ」

穏やかな店内ではたまに猫の鳴く声と、台所の方からカチャカチャと食器を洗う音が聞こえてくる。何を買って行こうか、と話しながら減っていったカレートーストは最後の一切れだけが残っていた。
美味しくてあっという間に食べてしまった。けど、こういうのは私が譲るべきだとフォークをお皿に置いてから、もう温くなっているであろう一人だけ頼んでしまった珈琲を口にした。

「…………」
「…………大丈夫か?」
「ん、な、なにが?」
「苦くないのか?」
「え?全然。美味しいよ」

嘘だけど。正直に言えばとても苦かった。これを好んで飲んでいる人の舌がどうなっているのか疑うほどに苦かった。しのぶさんに飲まされる薬ほどではないけれど、それでも私にはまだ早いというのはこの一口でわかった。
怪訝な顔をして私を見据える炭治郎に誤魔化して笑うと、食べていいよと言ったのに炭治郎もフォークを自分のお皿の上に載せる。

「俺は正直に言う」
「?うん、なに?」
「俺は、前までのなまえの方がいい」
「前までの私?」

心臓がどくりと跳ねた。嫌な方の跳ね方。俺は正直に言うって、それはつまり、私が炭治郎の前で取り繕っていることがバレていることになる。鼻がいいことは知っているけど、そんな細かい感情まで分かるものだとは思っていなかった、し、確か本人もそれっぽいことは話していた。

「はぐらかさないでくれ。急に態度が変わっただろう」

やっぱり、匂いで気付いたというわけではなかったらしい。穏やかな空間にいるはずなのに、嫌な汗が身体中から吹き出そうだ。

「そんなことないと思うけど……、どんな風に?」
「無理して大人びてる」
「無理なんてしてないよ。炭治郎からしてみれば私はそういう人ってこと」
「……俺が知ってるなまえは、町に出かけた時に綺麗な簪買ったんだって俺に見せたり、庭に燕の巣があるって喜んで俺の手を引っ張ったり、善逸の好き嫌いが減った、伊之助が読み書きできる漢字が増えたって自分のことのように喜んでいたり、そういう人なんだ」

私にとっては、葬り去りたい過去の話なのに真剣につらつらと言葉にされるものだから、頭を抱えたくなる。炭治郎のことを好きだと自覚していなかった時だ。ただただ、みんなと一緒にはしゃいでいた。それだけ。例え炭治郎がそっちの私がいいと言っても、それだと何も変わらない。

「いいって思われても、そんな私意味ないから」
「……」
「我儘だし、猫にだって少なからず嫉妬しちゃうし、美味しいものが余ってたら食べたいって思っちゃうし。でも、そんな人間好きになる人いないから」

子供の恋愛ごっこじゃないのだ。好きな人に好きになってもらうには、多少なりとも本当の自分なんて隠さないといけない。理想の人に近付かないといけない。このままだったら炭治郎の中で私は所詮友達止まりだ。

「それは、なまえのことを好きになる人に失礼だ」
「だから、いないから」
「いるよ」
「いない」
「いる!」
「どこにいるのよ!」
「ここにいる!!」

しん、と辺りが静まり返る。元々落ち着いたお店だったけど、今流れる空気は張り詰めている。炭治郎の隣に座っていた猫も私たちのやり取りに驚いて店の奥へと逃げて行ってしまった。
炭治郎の一声に硬直してしまったけれど、他のお客さんたちがこっちに視線を向けているのに気付いて小さく頭を下げた。炭治郎も我に返ったらしく、一度息を吐いてから呟いた。

「俺は、好きな人には最後の一切れは譲りたいし、美味しそうに食べて笑っていてほしい。そういうところが見たいんだ」

勢い任せに口走ったことではないことが伝わり、一気に胸がばくばくと音を立てる。私が、炭治郎への思いを自覚する前から、炭治郎は私のことをそういう風に見てくれていたのだろうか。そう思うと、なおさら身体中が熱くなる。

「炭治郎」
「うん」
「これ、食べてもいい?あと飲み物がほしい、甘いの」

情けなくも小さい声で尋ねた私に、炭治郎は満足そうに笑い最後の一切れを私のお皿へ載せた。

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