このあとめちゃくちゃ頑張った





「君の手料理が食べたい!」

 と突然、そんなことを言われたとある日のとある任務帰りの、東の空から蒼が支配していた時の事。
 師範こと煉獄杏寿郎さんは、私にそんなことを言ってきた。
 鬼と交戦した際に付いた血が陽の光により蒸発して消えていく。
 私は、私の速度に合わせて隣を歩いてくれる師範をたっぷり数秒ほど見つめた後、「…えっと」ととりあえずの言葉を吐く。
 そんな私の反応を見た煉獄さんは少し首を傾けた後、「ん?」となにを不思議がる、と雄鶏のような目が言外にそう訴えていた。
 再びその目と見つめ合うこと、たっぷり10秒。「私の手料理が、食べたいんですか?」と時間を開けた後聞き返す。「君の、手料理が、食べたい!」今度は区切って同じ言葉を言ってきた。
 私はパチパチと瞬きをする。何を言っているんだ、この男は。
 心から敬愛する師範にそんな失礼なことを、胸裏で吐き捨てる。自慢ではないが、私は料理がすこぶる下手くそだ。それはいま、隣を歩いているこの人も知っているはずだ。なんせ師範の継子に選ばれ、柱それぞれに与えられている邸で世話になっている時、こんな風に全く同じセリフを言われたからだ。
 柱であり、師範である人の言葉を無下にすることも出来ず、またこの時の私は、この機会を与えてもらえない限り自分が料理が下手だとは思わなかったのだ。初めて手料理を提供させて頂いた際、そのあまりの不味さに師範は目を開けたままぶっ倒れたのだ。そんな彼にとっては決していい思い出ではない、下手をすれば恐怖という名の記憶が深く刻み込まれるであろう体験をしたはずなのだが、何をとち狂ってしまったのだろうか。師範はそんなことあったっけ? とおどけた顔を私に向けている。
 ぽかんと口を開けまま、しかし足を止めることなく歩いていく。「……うむ」と私から目を逸らし、前を見据えた師範が感嘆な声を漏らした。

「君は料理が下手だろう?」

 そして、あけすけにそんなことを言われた。私はまた開いた口を塞ぐことが出来なかった。心外! と声に大にして訴えてやりたいが悲しきかな。まったくその通りである。
 師範は続けて言う。

「だから訓練させるべきだと思ってな!」

 訓練? なぜそんなことを?
 珍しく遠回しに言う師範に、「訓練? なぜ?」と聞き返す。
 すると煉獄さんはやっぱり、「必要なことだろう?」と今度は顔を覗かせ、そう言ってきた。







 唐突に言われたあの任務の帰りの日から、私は何故か師範にお弁当なるものを作っている。しかも重箱で。
 炎柱邸に備え付けてある台所(ほとんど使わない)を借り、購入した『馬鹿でも作れる簡単料理〜お弁当編〜』と題された本を睨みながら作っていく。
 何故お弁当なのかというと、それが師範の命令だったから。これ一択だ。
 そんなことよりもこの料理本のタイトル、もう少しまともなものにはならなかったのだろうか。とても腹が立つ。買った私も買った私なのだけど。
 トントンと包丁を鳴らす音だけは軽快だ。音だけ聞けばとても料理が出来る人だろう。しかし、結果が全ての世の中である。結果が悪ければ全て悪し。
 釜いっぱいに炊き上げた白米。白米だけは炊くのが上手い。これは火加減と水の量を間違えなければとんでもない馬鹿ではない限り失敗はしない。ということは白米を上手に炊ける私はとんでもない馬鹿だということではないということだ。
 お弁当の定番といえばコレ! とトゲのある吹き出しマークで指定されているおかずに目を通していく。
 玉子焼き(だし巻き)、鯛の塩焼き、伊達巻、そら豆、栗きんとん等々。冷蔵庫を開け中身を確認する。私と師範は任務で忙しいため滅多に料理はしないが、彼の弟である千寿郎さんがよくここに足を運んできては、任務から帰ってきた私たちのために作ってくれる。そのため、ここ炎柱邸の冷蔵庫の中身は以外にも材料が揃っている。そういえば師範は薩摩芋の他に鯛の塩焼きも好きだと言っていた。この料理本にも塩焼きの作り方は書いてあるし、レシピ通りに作ればまず失敗はしないだろうと―――思う方もいるだろうが、失敗したのがこの私である。上手く作れない自信しかない。つけたくなかった自信である。
 とりあえず作ろう。苦手なものをそのまま苦手なままにしておくのもよくはない。
 師範だって言っていた。訓練だと。おそらく、師範は鬼がいなくなった時のことを想定して言っているのだろう。鬼がこの世から全ていなくなった時、遠い未来、どこかに嫁ぐかもしれない未来、もしかしたら旦那さんになるかもしれない、男の人にために料理を振舞う私。のたうち回る旦那様(仮)、搬送される旦那様(仮)―――そこで私は考えるのをやめた。うん。師範だって言っていた。考えても仕方がないことは考えるな、と。
 とりあえず、私は師範の命令通りお弁当を作るという任務を全うしなくてはいけない。不味かったら野良猫にでもあげるとしよう。それか捨てよう。もったいないけど。
 よし、と私は息をつき料理本とにらめっこをしながら調理に取り掛かった。







 時間をかけてやっとの思いで完成した重箱(5段)を風呂敷に包み約束していた大木の元に行く。
 そこには既に師範がいて、彼の鎹鴉と戯れていた。
 柔らかい風が吹く。青葉の香りが漂う皐月の、心地よい風。
 師範の好きな季節。月。春は命が生まれ、その生まれた命が懸命に生きようとしている。強い生命力を感じるこの季節が好きだ、とそう言っていた。
 鎹鴉が師範の頬に頬擦りをしている。目が合って笑い合っていた。その姿を私は目を細めて見る。
 今日は珍しく任務がない。警備する地区は私が料理に心を燃やしている間に師範がしてくれた。
 穏やかで、温かい、優しい風が吹く。鬼がいなくなればこんな眠たくなるような日々がずっと続く。それは異国の本のような噺で、私たちが切望している未来。遠い遠い未来。

「む! 来たか! 待ちわびた!!」

 さあ昼にしよう! と言ってポンポンと隣の、空いている芝を叩く。ここに座るといい、と優しい声で促す声。当然それに逆らうことなく、失礼しますと断りをいれて、隣に腰を下ろす。
 手に持っていた風呂敷を私と師範の真ん中あたりに置き、結び目を解いていく。
 1段1段並べ、割りばしと簡易お手拭きを手渡し、いただきます! という声に少し遅れて、いただきます、と言う。

「うむ! 相変わらず見た目だけはいい!」

 とりあえず誉め言葉として受け取っておく。褒められている気はさらさらないが。
 師範の箸が好物のひとつである鯛の塩焼きに伸び、ぱくりと一口。

「うむ、うむ」

 と声を漏らしながら咀嚼を繰り返し、そして、

「まずい!」
「まずいかぁ」

 元気よくハキハキと言われた。
 もうそこまでハッキリと言われてしまえば怒りすら湧かない。

「まずい! まずい!」

 と言いながら一向に箸を止める気配はない師範に、私はおにぎりを手に取ってもさもさと食べる。おにぎりは失敗しない。だって握るだけだから。

 まずい! まずい! 水!
 まずい! まずい! 水!
 まずい! まずい! 水!

 合いの手のように「水」と言葉を入れてくるので、水を手渡す。
 くぴくぴと飲み干し、そしてまたおかずを食べていく。
 気づけば重箱のひとつが綺麗に平らげてあった。そして2段目の重箱に箸を伸ばす。

「まずいなら食べない方が」

 という私の親切心は聞こえてはいないらしい。
 どうしてまずいと明るく言いながら食べ続けているのか理解できない。私なら絶対食べない。
 もさもさとおにぎりを頬張りながら横目で師範を見れば、「む!?」と明らかに違う反応をしてみせた。
 それに大袈裟なほどに体を跳ねさせ、手に持っていたおにぎりを落としそうになる。
 もしかしたらまずいより更に上が? ドキドキと謎の緊張感に襲われる中、師範はもぐもぐと味わうように咀嚼した後、

「うまい!」
「え」
「うまい! うまい!」

 不意に浴びる称賛の言葉に私は目を白黒させた。
 師範が食べているのはだし巻き玉子だ。少しだけ形が歪になってしまったそれ。
 師範は変わらず、うまい! うまい! と玉子焼きを食べ続ける。
 前を向いていた目がぎゅるんっ! と高速でこちらに向きもう一度、「うまい! 腕をあげたな!」とまるで自分のことのように褒めてくれた。
 玉子焼きひとつで大袈裟だと思われてしまうだろうか。しかし、嬉しいものは嬉しい。緩みそうになる唇を引き締めるのが大変だった。







 5段の重箱は米粒ひとつ残らず綺麗さっぱり無くなった。師範の胃の中に。うまいと褒めてもらえたのはだし巻き玉子とおにぎりと切っただけの沢庵ぐらいだったが、それでも3つ、敬愛する師範の口に合ったのは彼の継子として誇らしささえある。

「ごちそうさまでした!」とパンッ! と勢いよく手を合わせる。私も一拍遅れて、「ごちそうさまでした」と言い、重箱を重ね風呂敷に包んでいく。
 食休憩として師範と2人、大木に背中を預け揺れる木の葉を見る。
 そよそよと吹く風が頬を撫で、髪を揺らしていく。
 なんとなく師範の方に目を向けると、綺麗な金糸が太陽の光に反射してキラキラと光っていた。目がチカチカして、眩しい。
 次に師範の目を見る。お腹が満たされて眠たくなっているのか、いつもは見開かれている瞳が細まっている。
 師範の家は代々からお館様に仕えている一族で、不思議な虹彩と髪色は『勧篝』という煉獄家にある古いしきたりの元、その髪色になるらしい。と言っても、生まれた子全員が焔色になるわけではないらしく、男児限定だと、前尋ねた時にそう教えてもらった。
 私は黒髪だから、その異国さを感じる髪色と虹彩が羨ましかったりする。そういえば柱の皆さんは不思議な髪色の人が多い。新しく入った鬼をつれた隊士の子たちも異色が混じった髪色をしているし、何か特別な力を持っている人たちはやはり見た目からその特別な力が備わっているのだ。なんだか少し妬けてしまう。と、そこで自分の醜い嫉妬心に気づき慌てて首を振る。だめだぁ、すぐ劣等感を抱くのは私の悪いところだぁ。
 足を抱え顔を埋める。いまこうして生きているのが不思議に思うくらい、私は悪運が強い。まさか私が柱の、煉獄さんの継子になれているというのが、いまでも信じられない。出せる炎は少しだけ。元々他の炎の呼吸の育手の元で修業は詰んではいたけれど、他の炎の呼吸を使う隊士たちに比べたら私の炎の出力は大したものではない。それでも師範は私を継子として選んでくれた。
 選んでくれた理由を尋ねれば、折れない心を持っているからとのこと。うーーん。素直に喜ぶべきなのだろうが、何となく喜べないのはなんでだろう。わからない。根性があるということでいいのだろうか。いいのだろう。そういうことにしておこう。

「どうした?」

 ぬんっと視界いっぱいに師範の顔。「……」
 顔を覗き込まれているのだと遅れて気づいた。鼻と鼻がくっつきそうな、下手をしたら鼻ではなく口同士がくっつきそうなほどの距離。不覚にも染まる頬に、速まる心臓。柔らかく吹いていた風が、サアッと強い音を立てて私たちの髪を乱した。
 師範の髪がカーテンのように揺れ、私と師範の顔を隠した。

「……―――」

 師範の目で視界が埋まった。

「うむ。うまい」

 呆ける私に師範がそう囁くように言った。
 ニコッと笑う師範に、状況が理解できていない私はぽかんと口を開けていた。
 すくりと立ち上がる師範。炎を模した羽織がはためき、鬼殺隊の証である『滅』という文字が現れる。

「次の手料理に期待、だな」

 そう言って、風に攫われるように、師範の姿が木の葉に紛れて消えた。
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