甘いエンディングを





幼い頃、母の隣で見た映画に強く心を惹かれた。

125分にもおよぶ長い恋愛映画だったけれど、とあるワンシーンは一瞬と言えるほどの美しさで。当時はその感情に名前をつけることなど出来なくて、擦り切れてしまいそうなほど巻き戻しと再生を繰り返し、画面に齧り付いて、瞳を輝かせていた。





「あの感情は、今思えば"憧れ"のことなのかも」
「はは、なまえは小さい頃から可愛らしいんだな」
「な、ちょっと、炭治郎...!そんな大きな声で...恥ずかしいよ!」
「ん?別にいいだろ?」

本当のことなんだから、と言いながら小さく首を傾げた炭治郎が意地悪く目を細めた。それと同時に揺れたピアスがやけに色っぽく彼を演出させるものだから、溜息が出てしまいそうになり慌てて飲み込む。自身の胸をトントンと叩き、ゆっくり気持ちを落ち着かせながら、目の前に座る彼に視線を向けた。

今日は炭治郎と付き合って3年目の記念日。
まあ、そのお祝いというか...日々の感謝の気持ちを込めて、普段は来ないような少しお高いレストランで食事をいただいている。いつもなら二人で相談しながらお店を決めるのだが、今回は炭治郎が「このお店にしよう」と、爽やかに言い切ったのだ。そりゃもう否定はさせないぞ、と彼の瞳は物語っていたのだが、気付いていないふりをして頷いた。それに、最初から彼の意見を否定するなんて考えはなかった。だって、ビバリーヒルズの中心地に建つ有名なホテルと雰囲気が瓜二つだったから。

そんなレストランに行くのだからと新調した黒のカクテルドレスはちょっと恥ずかしい気もしたが、炭治郎の「綺麗だよ、なまえ」という言葉だけで、あっという間に自信がついた。だってさ、彼、炭治郎の横を歩くんだよ?一緒に食事するんだよ?ダークネイビーのスーツに、降ろされた前髪ががよく似合っていて、もうなんだか...

「酔いが回ってきたかも」
「大丈夫か?今日はアルコールやめておくか?」
「ううん...、せっかくいいお店に来たんだから、まだ飲みたい!」
「そうか...無理するんじゃないぞ!」

小さい子に優しく言い聞かせるような彼の話し方に誘われて、ゆっくりと首を縦に振れば、炭治郎は満足そうに微笑んでくれた。そして、「次は何にする?」と言いながら、アルコールメニューを広げてくれたが、彼の綺麗な指先にばかり視線が向いてしまいイマイチぴんと来なかった。そんな私の視線に気付いた炭治郎は薄く笑みを浮かべながら私の名前を呼んだ。

「なまえ?」
「は、はい、」
「今はドリンク、な?」

彼の言葉にどきりとしながら、今度こそはとドリンクメニューに集中した。おお、流石良いレストランだけあってお洒落だな...このお店の雰囲気にとてもよく合っている。このお店にした炭治郎はピカイチのセンスを持っていると改めて思い知った。

そうだな、例えるなら...大好きなあの映画の中に入り込んだ。とでも言ってしまおうか。まあ、寄せた、と言った方が正しいのかもしれない。黒のカクテルドレスを選んだのは、あの映画に出てくるドレスと同じだからね。酔いも相まって、ふわふわと浮かれた気分になった私は、20代後半に差し掛かるいい歳なのにとんでもない事を口走ってしまうのだ。

「可愛いのが飲みたいなあ〜」
「ああ、分かった」
「......え?」

可愛いのが飲みたい、だなんて、ほんの冗談のつもりだったのに、炭治郎は当たり前かのように相槌を打って、ドリンクメニューを音もなく閉じた。そして、待機していた男性のウェイターに向かって小さく手を挙げると、そのウェイターは厨房らしきところに下がってしまった。
その一連の流れを見ていた私は、炭治郎のあまりにもスマートな対応に、パチパチと瞬きを繰り返すしか出来なかった。

「なまえ?どうかしたのか?」
「え、いや、さすが炭治郎だなって...」
「ん?」
「ううん、うん、なんでもない。注文してくれてありがとう」
「どういたしまして」

にこっと効果音がつきそうな笑顔を浮かべた炭治郎を見て、自身の頬がほんのり赤みを帯びたのを感じる。これだから天然タラシ様はなあ、なんて文句のひとつでも投げかけてやりたいと思う反面、大好きと言いながら抱きつきたくなるものだから困ったものだ。そんな私の心情など炭治郎には筒抜けだったようで、彼は赤い瞳を薄らと細め、小さい声で可愛いと零した。



「お待たせいたしました」

落ち着いた男性の声が耳に届き、炭治郎の所為で宙を彷徨っていた意識がパチンと弾けるように戻ってきた。いまだ熱く音を立てる心臓を落ち着かせつつ、ウェイターの男性に「ありがとうございます」とお礼を言っている炭治郎の声に合わせて軽く会釈をした。そして、革靴の音が徐々に小さくなるのを聞きながら、ふう、とゆっくり息を吐き、からりと乾ききってしまった喉を潤そうと視線をテーブルに向けた。

いつの間にか下げられた空の食器たち。次の主役は自分だと主張するかのように、細長いシャンパングラスが深青色のクロスの上に鎮座していた。そして、ゴールドに輝きながら弾ける液体の中には、

赤い、赤い苺が一粒。

「炭治郎、これ、」
「うん。シャンパンベリー」
「シャンパンベリー...っ、えっ、なんで、」
「なまえが可愛いの飲みたいって言ってたから。...嫌だっただろうか?」
「ちがっ、違うよ、!凄く嬉しくて...、」
「喜んでくれて良かった」

食後だけど、と言いながらグラスを持ち上げた炭治郎に合わせ、私もグラスをゆっくりと持ち上げた。小さく音を立てて離れたそれを、そのまま自身の唇に押し当て、ゴクリとひとくち。喉を通る液体は、苺の甘酸っぱさに引き立てられ、本来の旨味を増した味わいを感じられる。

「気に入ってくれただろうか?」
「凄く美味しくて、それで、」
「...ん?」
「憧れの味なの...」

そう、シャンパンベリーは私の大好きな映画に出てくるカクテル。幼い頃、いつか愛しい人と味わえたらな、なんて夢に見ていたそのもので。
ああ、もうこんなの偶然なんて思えるわけない。向かいの席でシャンパンベリーを口にして「俺もとても好きな味だ。美味しいな」と微笑む炭治郎が何を考えているか手に取るように分かってしまう。そして、それに気づいた時、炭治郎がこのお店を選んだ理由、シャンパンベリーをウェイターとの目配せだけで注文できた理由、全てに納得してしまったのだ。


「炭治郎、私の好きな映画、知ってたの?」

なんとか絞り出した言葉は、少しだけ震えてしまった。だけど、今はそれが精一杯で。炭治郎はそんな私を笑うことなく、ゆっくりと頷いた。

「なまえの部屋のテレビ。ずっと録画を残したままの映画があったから気になってたんだ」
「ああ...昨年テレビで放映されてたときの...」
「よっぽど好きな映画なんだろうなって思ったんだ」
「うん...炭治郎の言う通りだよ」
「だから、俺もなまえが好きな映画、最後まで見たんだけど、」
「......うん」
「この後、俺が何を言うか...分かるだろう?」


少しだけ不安気に眉を寄せた炭治郎が、グラスを握っていた私の手に自身の手を重ね、綺麗な瞳で真っ直ぐ見つめてくる。

切り取られたような二人だけの世界は、いつか、いつかと思い焦がれていたもので。この後、彼が赤い薔薇の花束を持って私に愛をくれることを、私だけが知っていた。

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