焼肉奉行に、私はなりたい





「みょうじ。お前こりゃスゲエの描いたな。こいつはド派手に入選するぞ」
「えっ!? いやいや、先生……流石にそれは言い過ぎですよ……」
「この宇髄天元様の審美眼がそう言うんだ。間違いねえ」

ニヤッと自信たっぷりに笑う先生は、その含みのある不敵な表情にはそぐわない世にも美しいお顔をしている。
テレビで見る女優さんのように傷ひとつない肌は色白で、目は鋭く目尻の切れたアーモンド型。スッと真っ直ぐに伸びた鼻筋と上品な口元。顔だけ見れば日本画から抜け出た現代風美女と言えなくも無いが、先生の場合は初対面の人間から見ても間違えようもなく男性だった。天井を見上げるくらいに首を傾けないと目が合わないほどの長身で、受け持ちが美術とは思えないほどがっしりとした厚みのある体躯をしている。
宇髄先生は昔から何かと素行に問題のある存在だったらしい。何の因果か教師として母校である我が校に舞い戻ってきたわけだが、今なお語り継がれるようなアレな伝説を在校当時は次々に創生していたという。現在も自校の生徒からのみならず他校の生徒からも輩先生などと呼ばれて恐れられている存在だ。
しかし、その色彩感覚や発想力は独特かつ繊細。美術教師らしい腕前と知識を持っている。そして意外にも頼ってくる生徒には親身になってくれる先生だった。望まれなければ口出ししないが、要望を出せばしっかり応えてくれる。宇髄先生はそういう先生だ。特に美術部員の進路指導にはきっちり時間を作ってくれるし、生徒側からも慕われている。とはいえ部員は各学年一名ずつのみで、しかも全員美大志望の熱心な芸術オタクばかりのため、世間一般の見方とは違っているかもしれないが。かくいう私も先生に指導してもらえる世代に生まれてきて良かった、と、この身の幸運を噛み締めるくらいには宇髄天元シンパだった。しかし、そもそも何故美術部が常に少数精鋭なのかというと、春に行われる輩先生による新入部員大選別のせいである。四月、新入生からの入部希望者が殺到するのに、先生が容赦無く振る舞うせいで一週間と経たずに最少人数まで絞られてしまうのだ。もともと先生の美丈夫っぷりに惹かれてやってきたミーハーな女子生徒らはともかくとして、先生の時に横暴とも言える言動に着いて来られるかどうかで篩にかけるのは勘弁して欲しいと流石の私も思っている。

「よし分かった。そんなに俺の目が信じられないなら今ここで約束だ。入選したら祝いに何でも好きなもん奢ってやる」
「ええ……先生、気が早いです」

それにどっちに転んだって私は損はしない提案だ。面映さで素直に喜びを表現出来ていないが、私はすでに有頂天になっている。先生のお眼鏡にかなった、というだけで舞い上がるくらい嬉しいし自信になったのに、入選したら先生とご飯に行けるなんてそんな……絶対入選して欲しい。それを考えると完成したと思った作品がコンペに出すには心許無いように思えてきた。充実した達成感があっという間に後ろ髪引かれる不安に変わる。でも手直しする時間は無いからこれで満足して応募のための準備に取り掛からないといけない。

「不安か?」
「……はい……」

自信作ではあるけれど、この自信を粉々に打ち砕かれるんじゃないかという恐怖は必ずある。それは今までに何度も経験したことだ。入選なんて夢のまた夢。そう感じていた時期もあるし、今回は先生のお墨付きを貰ったことで逆に今までになく緊張している。

「何であれ、まずはひとつの世界を自分の手で作り上げたことを喜べ。それから後は成り行きに任せりゃ良い」

先生が余計な期待をさせるから……とは流石に言えない。

「で、入選したら何が食いたい」

期待はあれども、確約はない。冷静に考えよう。きっとそんなことにはならないだろうけど、でも万が一、億が一、入選したら。

「ほら、遠慮すんな」

先生がそう言ってくれるのなら要望はデカく、言うだけタダなのだから無茶苦茶言っておこう。

「先生」
「おう」

宇髄天元先生様のお財布から私のご褒美が捻出される。そう思えば夢がある。

「バカみたいに高くて美味しい肉が食べたいです!!」


△▼


「先生」
「なんだ」
「私知ってますよ。ここクソ高いとこじゃないですか」
「オメーがクソ高いとこが良いっつったんだろうが」
「それは、そうなんですけど……」

美味い肉ってせいぜい大衆向けチェーン店の焼肉辺りを想像していた。それがまさかの高級鉄板焼きでA5ランクのお肉をいただくことになろうとは。これは黒毛和牛? 神戸牛? 松坂牛? 但馬牛? 三田和牛? 霜降り? ロース? ヒレ? 希少部位、とは?

「先生、どうしよう」
「今度はどうした」
「て……手が震える……」
「おいおい、大袈裟だなお前」

先生はカラカラと面白そうに笑うが私は笑い事ではなかった。箸が上手く持てない。緊張している。今は宇髄先生とご飯を食べているということよりも、こんな高級な肉を私の舌が理解出来るのかということにドキドキしている。
塩。私は今、人生で初めて藻塩というもので生焼けの肉を食っている……。

「生焼け言うな。レアだレア」
「あっ、口に出てました?」

はっきり言って美味さが分からない。貧乏人の舌に高級な肉はハードルが高かったのか。

「気になるならしっかり焼いてもらうか?」
「いえ……う、はい……」

ハハッとまた軽く笑い声を上げた先生は教え子の動揺する姿がそんなに可笑しいのか上機嫌だ。一応私を連れているからということでお酒は飲んでいないが、先生は素面でも酔っ払っても変わらない調子なのかもしれない。
先生にとっては馴染みの店なのだろうか。まず暖簾をくぐった時に奥の座敷を案内されそうになった。予約制とか、もしかしたら会員制のお店とかだろうか。店の人とも気安い感じで話しているし、先生はお得意様なのかもしれない。

「完全にVIP扱いじゃん……」
「なんか言ったか?」
「何でもないです」

今回はこいつが一緒だから、といってカウンター席に座ったが、居心地が良くはならない。店内には他に客が一人も居ない。何故なんだ……。理由は想像しない方が精神衛生上、良い気がした。

「せっかく美味い肉食わせてやろうと思ったのに、そんなガチガチに緊張してたんじゃ味も良く分かんねえだろ」
「うっ……」
「お子様にはまだ早すぎたか?」
「……」

揶揄うような響きの中にちょっとばかり苦笑も混じっている。そんな宇髄先生の声が隣から落ちてくるのを聞きながら、私は俯きがちだった顔を上げた。

「先生」
「ん?」
「正直に言います」
「おう」
「その通りです」

白状すると、先生はまたも大きく口を開けて愉快げに笑った。今日は先生の笑顔がたくさん見られる日だな、と他人事のように思って、そうか。と、不意に合点がいった。
先生はきっと、私の入選を自分のことのように喜んでくれているのだ。だから奮発してご褒美にこの店を選んでくれたし、たくさん笑顔を見せてくれているのだと。

「お前は背伸びしねえなぁ。ま、そのまま等身大の自分を忘れるなよ。歳なんてのは……特に若い感性はな、大事にするもんだ。時間も技術も、ゆっくり重ねていきゃあいい」
「……はい」

この場で渡されるのは先生本人の経験に基づく教訓だろうか。何にせよ、個人的なものには変わりない。私だけが受け取る、先生の言葉。特別でキラキラしていて宝物のようだった。

「先生」

汗をかいたジンジャーエールのグラスを傾けたまま、先生はやんわりと目を細めて先を促すように私を横目で見下ろした。

「志望大学に合格したら、今度は焼肉食べ放題に行きたいです」
「俺の金でか?」
「先生のお金で、です」
「急に生意気になったな」
「私、絶対合格します」
「……そうか」

考えておいてやる、と口元を楽しげに綻ばせながらも宇髄先生は濁したけれど、私は確信している。先生はきっと、私が受かっても受からなくても何かしらの餞別は用意してくれるだろうことを。意外にもそういうところのある、身内に甘い先生だということを今日私は知ってしまった。だから私も目標を決意として言い切ることが出来たし、先生に笑い返すことが出来たのだった。所詮は口約束。果たされなくとも良い。でも果たされるものと思って頑張りたい。約束は約束として在るだけで、価値がある。
次にニコニコ顔で口へ入れたウェルダンのお肉からは、ようやく美味しいと感じられる味が帰ってきたのだった。

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