うららかな日のこと
朝の風はつめたい。
冬支度にと菰(こも)を巻き付けた松の並木は、両脇にうつくしく連なり、この参道に影を落としていた。
こうして冬になると葉を食べに地上へと降りてくる幼い虫たちを誘い込むのだそうだ。
青白くかじかんだ指先をもう一方の手で擦りながら、普段は色づくことのない自分の息が外気に触れ、白くなるのを目に留めた。
煉獄さん宅に行くためには、この参道を抜けるのがいちばんの近道であった。
浅ましい理由で通り抜けようとしていることに少し申し訳なさを覚えながら、来た道を振り返り、鳥居の前で深々と頭を下げた。
足早に階段を駆け下り、その道へ続く数軒先の見慣れた門戸の前へ辿り着く。
「なまえさん! こんにちは!」
父上なら庭にいますよ、そう笑みを浮かべた彼に、こうして訪れる理由を見透かされてしまっているようで何だか気恥ずかしくなった。
「千寿郎くんは、これからどこかへ行くの?」と慌てて言葉を返すと、「はい! 今日は友人と浅草にある電気館というところに行くんです。異国の無声映画というのを観に行こうと思いまして」と爽やかに微笑んだ。
いつの間にか大人びて、立ち襟の白いシャツに着物を重ねて、深い色の外套を羽織った彼は、まるでどこかの書生さんのようだ。
「今日の着物、大変素敵ですよ」とこちらが云おうとしたことを、反対にさらりと返されてしまい、もう一度優しく微笑んだ彼が、少し駆け足で去って行くのを見送った。
庭先からは何かを焼いているような、香ばしい匂いが漂ってくる。
「槇寿郎さん、こんにちは」
何やら七輪の前に屈み、時おり団扇で扇ぎながら、短い串をひっくり返している。
「ああ、君か。よく来たな」
彼は少し微笑み、今、田楽を焼いているから食べていくといい、と縁側に座るよう促された。
槇寿郎さんは、この数年、すっかりお酒を飲まなくなっていた。
今は近所の子供たちに剣術などを教えながら、変わらず千寿郎くんと二人きりでこの家に暮らしている。
「田楽とは何ですか?」
槇寿郎さんの言葉にふと疑問に思い、思ったままを口にした。その時、わたしはまたやってしまった、とはっとして口を結んだ。このような子供みたいなものの尋ね方はやめようと先日心に決めていたのだ。
案の定、槇寿郎さんは目を細めて田楽について丁寧に教えてくれる。
本来、切り分けた蒟蒻を串に刺し、甘い味噌だれなどをつけて頂くこの料理は、江戸時代に生まれ、今では各地方の郷土料理になっているのだという。
「ほら食べてみろ」
差し出された串を手に取り、四角く切り分けられた緑色のそれを口に含む。
こんがりと黒い焼き目がついて、縁取りは丸みを帯びていた。
「美味しいです……!」
思わずため息が溢れ、モチモチとしたこの食感は何だろうと不思議に思う。
その様子を見た槇寿郎さんがその正体を明かしてくれ、どうやらこれは蒟蒻ではないらしい。
「この緑色の方は、生麩(なまふ)によもぎを練り込んだもので、こちらの黄色い方は、粟を練り込んである。甘味噌につけて食うと上手いだろう」
その素材は小麦粉を水で練り込み、もち米などを加え蒸し上げたもので、京都に行くと食べることが出来るのだと槇寿郎さんは続けた。
「つい先日、土産にもらってな」
またひとつ串を手渡され、それを受け取る。
美味しい、美味しいです、とそればかりが口をついて出るので、槇寿郎さんはこれまでで一番ではないかというほどに笑った。
「その着物、よく似合っているではないか」
一頻り笑った後、唐突にそんなことを云うので、もぐもぐと生麩とやらを口に含んだまま、俯いてしまった。
「それを見せに来たのではないのか」
恐らく何の気なしにそう云ったのだろう槇寿郎さんに、わたしはもう居たたまれなくなって、この思いはそんなに筒抜けだったのだろうかと頭を抱えたくなった。
きっと顔など目も当てられないほど真っ赤に違いない。
いつからかは知らないが、千寿郎くんにも、槇寿郎さんにもとっくに伝わってしまっていたのだ。
穴があったら入りたい、そう云えば昨日読んだばかりの本の登場人物がそう云っていた。その風貌の描写が、何だか槇寿郎さんや千寿郎くんと似ているなと思ったわたしの日常は、すっかりこの家の人たちに染まってしまっている。
「今度、連れて行ってやろう。京都に」
槇寿郎さんは、静かに音を立てる炭を見守りながら、網の上の串を返した。
冬支度にと菰(こも)を巻き付けた松の並木は、両脇にうつくしく連なり、この参道に影を落としていた。
こうして冬になると葉を食べに地上へと降りてくる幼い虫たちを誘い込むのだそうだ。
青白くかじかんだ指先をもう一方の手で擦りながら、普段は色づくことのない自分の息が外気に触れ、白くなるのを目に留めた。
煉獄さん宅に行くためには、この参道を抜けるのがいちばんの近道であった。
浅ましい理由で通り抜けようとしていることに少し申し訳なさを覚えながら、来た道を振り返り、鳥居の前で深々と頭を下げた。
足早に階段を駆け下り、その道へ続く数軒先の見慣れた門戸の前へ辿り着く。
「なまえさん! こんにちは!」
父上なら庭にいますよ、そう笑みを浮かべた彼に、こうして訪れる理由を見透かされてしまっているようで何だか気恥ずかしくなった。
「千寿郎くんは、これからどこかへ行くの?」と慌てて言葉を返すと、「はい! 今日は友人と浅草にある電気館というところに行くんです。異国の無声映画というのを観に行こうと思いまして」と爽やかに微笑んだ。
いつの間にか大人びて、立ち襟の白いシャツに着物を重ねて、深い色の外套を羽織った彼は、まるでどこかの書生さんのようだ。
「今日の着物、大変素敵ですよ」とこちらが云おうとしたことを、反対にさらりと返されてしまい、もう一度優しく微笑んだ彼が、少し駆け足で去って行くのを見送った。
庭先からは何かを焼いているような、香ばしい匂いが漂ってくる。
「槇寿郎さん、こんにちは」
何やら七輪の前に屈み、時おり団扇で扇ぎながら、短い串をひっくり返している。
「ああ、君か。よく来たな」
彼は少し微笑み、今、田楽を焼いているから食べていくといい、と縁側に座るよう促された。
槇寿郎さんは、この数年、すっかりお酒を飲まなくなっていた。
今は近所の子供たちに剣術などを教えながら、変わらず千寿郎くんと二人きりでこの家に暮らしている。
「田楽とは何ですか?」
槇寿郎さんの言葉にふと疑問に思い、思ったままを口にした。その時、わたしはまたやってしまった、とはっとして口を結んだ。このような子供みたいなものの尋ね方はやめようと先日心に決めていたのだ。
案の定、槇寿郎さんは目を細めて田楽について丁寧に教えてくれる。
本来、切り分けた蒟蒻を串に刺し、甘い味噌だれなどをつけて頂くこの料理は、江戸時代に生まれ、今では各地方の郷土料理になっているのだという。
「ほら食べてみろ」
差し出された串を手に取り、四角く切り分けられた緑色のそれを口に含む。
こんがりと黒い焼き目がついて、縁取りは丸みを帯びていた。
「美味しいです……!」
思わずため息が溢れ、モチモチとしたこの食感は何だろうと不思議に思う。
その様子を見た槇寿郎さんがその正体を明かしてくれ、どうやらこれは蒟蒻ではないらしい。
「この緑色の方は、生麩(なまふ)によもぎを練り込んだもので、こちらの黄色い方は、粟を練り込んである。甘味噌につけて食うと上手いだろう」
その素材は小麦粉を水で練り込み、もち米などを加え蒸し上げたもので、京都に行くと食べることが出来るのだと槇寿郎さんは続けた。
「つい先日、土産にもらってな」
またひとつ串を手渡され、それを受け取る。
美味しい、美味しいです、とそればかりが口をついて出るので、槇寿郎さんはこれまでで一番ではないかというほどに笑った。
「その着物、よく似合っているではないか」
一頻り笑った後、唐突にそんなことを云うので、もぐもぐと生麩とやらを口に含んだまま、俯いてしまった。
「それを見せに来たのではないのか」
恐らく何の気なしにそう云ったのだろう槇寿郎さんに、わたしはもう居たたまれなくなって、この思いはそんなに筒抜けだったのだろうかと頭を抱えたくなった。
きっと顔など目も当てられないほど真っ赤に違いない。
いつからかは知らないが、千寿郎くんにも、槇寿郎さんにもとっくに伝わってしまっていたのだ。
穴があったら入りたい、そう云えば昨日読んだばかりの本の登場人物がそう云っていた。その風貌の描写が、何だか槇寿郎さんや千寿郎くんと似ているなと思ったわたしの日常は、すっかりこの家の人たちに染まってしまっている。
「今度、連れて行ってやろう。京都に」
槇寿郎さんは、静かに音を立てる炭を見守りながら、網の上の串を返した。