全て分かつ





申し訳程度に鳴ったインターホンの余韻が消える間もなく、鍵の開く音がする。
ドアの向こうから覗いているのは、部屋の合鍵の持主だ。

「おかえり、杏寿郎」

出迎える間もなく勝手知ったる様子で上がり込んでくる恋人に、なまえは声を掛けた。
同棲している訳でもないのに、迎える時に『おかえり』と言うようになったのは何時からだっただろうか。
最近は殊に忙しかった杏寿郎に会うのは久し振りだった。

「修学旅行、どうだった?」

「あぁ、無事に終わった。土産だ!」

ずいっと差し出された紙袋を両手で受け取る。
ただでさえ個性的な生徒が多いマンモス学園の、それも羽目の外しやすい一大イベントだ。
引率する教師陣の緊張たるや、察するに余りある。
彼のこの様子なら、特に大きな騒動も無く解散できたのだろうが。

両手の空いた杏寿郎はネクタイの結び目に手を掛けた。
ほぉと一息を吐き、開放された喉元が上下する。
彼がただ疲れていることは明白なのに、そのしどけなさに思わず目を逸らした自分が嫌になった。

気分を変えようと紙袋を漁り、五色の餡の色に染め抜かれた包装紙を指でなぞる。
滑らかな上質の紙に、もみじまんじゅうと平仮名で銘菓の名前が印刷されている。
修学旅行としては今時古風な行先の、誰もが知っている紅葉の形をした菓子だった。

「ど定番だね……」

今時他にも色々あるだろうに、全く外さない男だ。
味に想像が着くだけに、ご当地の代名詞のようなものを寄越すなんて面白みも無い。
宮島の杓子に熊野の筆、柑橘を使ったお洒落な洋菓子、現地に行かなくても思い浮かぶ数々。
そもそももみじ饅頭なんてバラマキ用なんじゃないの、とささやかな愚痴が脳裏を駆け巡る。

「この店のものが一番うまかったぞ!」

笑顔満開な杏寿郎に、それ以上何も言えなくなった。
事前学習の準備に、気の抜けない四日間が大変だったのは理解してあげるべきだ。
なまえの土産を選ぶ時間なんてきっと無かったのだろうし、彼の一番気に入ったものをくれただけで良しとしよう。

それぞれのマグカップにお茶を注ぎ、先にソファーで寛いでいる杏寿郎に手渡す。
箱を開ければ、シンプルで上品に包装されたもみじ饅頭が並んでいる。
素直に綺麗だな、と思った。
最も定番の味を一つずつ取って、口に運ぶ。

「美味しい! こっちで買えるのとはやっぱり違うね」

しっとりとしたカステラに、藤色がかった褐色のこし餡がぎっしりと詰まっている。
お腹に溜まりそうな程に密度が高い。

たかが銘菓、されど銘菓。
長年一途に改良を重ねて磨き上げられてきたものは馬鹿にできない。

「……杏寿郎?」

こんなに美味しいものを食べているのに、普段なら大声でうまいを連発する男がやけに静かだ。



「これじゃない」

「は?」



杏寿郎は心底不思議そうな顔をして、手の中の食べかけの菓子を凝視している。
唐突な呟きに、なまえの方こそ意味が分からない。

「店で焼いたばかりのものを食べたんだ。もっとうまかったんだが」

いつもはきりりと上を向いた眉が、枯れかけた花の柄ように落ちている。
まるでがっかりした子どものようで、思わず吹き出しそうにになるのを何とかこらえる。

「で、出来たてが食べれる店があったの? そりゃあそっちの方が美味しいに決まってるよ」

駄目だ、笑う。
身体を折って、ぷはっと息を漏らす。
一度出てしまってからはもう、喉を鳴らすのを止められない。

「でも、これも充分美味しいよ。ありがとう」

引率中の教師に自由時間なんてある筈がない。
何時どういう機会があって彼が菓子処に行けたのかは分からないが、焼きたてはさぞ美味しかったんだろう。
本来は闊達な杏寿郎が、こんな饅頭一つでしょげている様が可愛くて堪らない。
すぐ横に座っている彼の膝に、上体を預けるようにぽすんと倒れ込む。

「なぁ、なまえ」

平然と受け止めて、なまえの前髪を払いながら杏寿郎は徐に名前を呼んだ。
先程までとは異なる『男』の声だった。

「自分がうまいと感じたものを食べさせてやりたいと思うのは、どういう感情なんだろうか」

優しくて懐の深い、緋色の瞳がなまえを見ている。
慈しみすら含んでいる彼の細められた目と視線が合うと、きゅうっと心臓が締め付ける気さえした。

「なまえに教えたかった。……一緒に食べたいと思った」

問い掛けは、杏寿郎の中で既に消化されている。
答えを知っていて、改めて言葉にしてくれるのが彼らしい。
彼のそういった真っ直ぐな所が、なまえは好きだ。

「うん」

手を伸ばせば、彼の柔らかな髪に触れる。
合間を縫って頬を辿ると、取られた指先に彼の唇が落ちる。
心の奥底から湧き上がる歓喜に、彼は気付いているだろうか――きっと、気付いてくれている。

「そう思ってくれて、ありがとう」

愛していて、愛されている。
自分が良いと思ったものも、経験も、全て共有したいと思う程に。

「今度は一緒に行こう。美味しいものも、綺麗なものも、たくさんあったぞ」

春は桜、秋は紅葉。
夏の萌える山もきっと美しい。
何度でも共に行けばいい。

頷いたなまえの額を杏寿郎は撫でた。
軽く身を屈ませて、なまえの手の中の菓子に喰らいつく。
私の、と思わず抗議の声を上げる。

「甘いな」

口の端に付いた餡をぺろりと舐めとって、彼は満足げに笑った。

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