薄藤色の指先

「あの夜何の術を使った」
「あの夜?」

珊瑚に服を着せ、自分の背中についた塵を払い落とした。

「霧隠れでの夜だ。生憎記憶が殆ど無い、どういう術を使ったか聞いてんだよ」
「鏡遁は感覚を支配する術です。
あの時私は仕事を終えて直ぐ里に帰るつもりだったのに、巷で噂の暁に声をかけられたものだったからひどく警戒しました。
貴方一人でいらしたから、あわよくば殺してやろうと思ってたのに、ちっとも隙は無いし。
諦めて兎に角逃げることだけ考えた。
傀儡に入ってる姿しか知らなかったから、最初は誰だか分かりませんでしたわ」
「どうやって術にかける、瞳術か」
「鱗粉です。あの時使ったのは、普通なら二、三日動けなくなる麻痺の毒なのに傀儡だと、一晩とは」

珊瑚は指先に歯を立て、印を結び床に手を突いた。
煙と共に現れたのはたった一匹、極小のサイズの蛾。

泡藤と紅泡藤の幻想的な色合いである。

ひらひらと珊瑚の指に留まり、
暫らくすると背景と同化し姿を消した。

「私は抗体を持ってるから効きません。
こうして気付かれずに鱗粉を撒く、もっとも白眼にはバレてしまうけど」
「…今も撒いてねえだろうな?」
「そんな、もう致しません。コントロールくらい出来ますもの」

珊瑚が蛾の消えた指先に息を吹きかけるとまたじんわり、その姿が浮かび上がった。するところりとそれは床に落ち、美しかったはずの羽色は赤黒く鮮血に染まった。

もう死んでいた。

「調べるでしょう。一匹差し上げます。
欲しければ幾らでも。
連携するなら尚更、役に立つ」


怪しくはないか。

何故先刻、半ば無理矢理勧誘されたばかりの組織の幹部にここまで手の内を見せる?

今まで何年もかけて守ってきた里を捨てたばかりの人間だ。
今まで何年も姿を隠し、人間を騙し、殺してきた女だ。


「怪しいですか」


襖を開けて巻物を読んでいたときのあの顔だ。勿論その視線は指から転げ落ちた蛾の死骸に向けたままである。


「疑っていないと言えば嘘になる。虫のいい話だからな、警戒はしてる」
「無理に信じろと言わない。
私は、あなたを騙すつもりなんて一切無い。
理由は一つ」


蛾を留めていた手と反対の手が、指先が、静かに俺の頬を包んだ。
見た目と裏腹に、とても冷たい手だった。

動けなかった。


「あなたに殺されたいと、思うからです」


創りもののような見目好い顔が、俺の瞳の奥を見据えているようで恐ろしくも思った。






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