すこやかな調律を



 彼が紡ぐ言葉に嘘偽りがないことは分かっている。彼は、純真でとてもやさしい人だからわたしに傷つけることはしない。これは自信ではなく事実。けれど今回ばかりは、信じる、とは言い切れなかった。
 口約束というものは、あまりにも脆く、儚い。時とともに風化し、砂塵のように散ってしまうのではないかと不安が心の底で燻っていた。人に絶対は有り得ない。絶対というのは破られるためにあるのだ。そんな話を耳にしたこともある。だからこそ、もう一度彼の顔を見て確信を得たかった。わたしにとっては、一生の別れのように感じてならなかったのだ。
 振り返って。 心からの悲願が届いたのか、彼の赤色の髪が揺れる。
「心配すんな。絶対帰ってくるから。お前をもらいにくるから」
 彼の下手くそなキスは、初めて出会ったときから変わらないまま。笑顔と共にそれはわたしに自信を植え付けた。今度はしっかりと言い切れるよ。あなたを、タイガを信じる、って。
 ――尤も、こんなに早く再会出来るとは思っていなかったけど。





 アレックスからタイガが帰ってきたと聞いたのは、あの約束から一年と半年経ったときのことだった。最初に聞いたときは、アレックスがからかっているとしか思えなかった。けれど真実だったようで思いきり飛び出してきてしまった。後ろではアレックスが呆れていた。
 わたしの耳は便利なようで、タイガがいるというストリートバスケの場所はしっかりと頭にインプットされている。幸いそれほど遠くない。ワンピースが翻るのも構わず、ただがむしゃらに走った。こんなに全力疾走したのはいつ振りだろう。
「……タイガ!!」
 ちょうど彼がダンクを決めていたところで、周りの人々もわたしの声に驚いて振り返った。けれどそんなことは目に入らなくて、彼のダンクの荒々しさに目を奪われた。
 全然、変わってない。
 ほっと息をつくとゆっくりと歩き出した。しかし徐々に縮まる距離にもどかしさを覚え、どんどん小走りになっていく。また一つたくましくなった背中に抱きつくと、タイガの背中が小さく震えた。
「…っと……ん?」
「タイガ!」
 夢中で抱きしめるとタイガは驚いたみたいで、わたしの肩をつかんだ。その頬は心なしか赤くなっていて即座に理解する。あっちじゃハグなんてしないらしい。すぐに離れたけれどどタイガはわたしの肩に触れたままだ。彼なりの気遣いに胸が熱くなる。
「タイガ、彼女はガールフレンドか?」
「…まあ、そんなところだ」
 ぐっと肩に力を入れられ、次の瞬間には手を掴まれていた。ヒューヒューとはやしたてる彼らをおいてけぼりにして、わたしたちは走り出した。まるで愛の逃避行ね。


 ぴたりと止まったタイガは、近くにあったベンチを指し示すとそこに座った。後に続いてわたしも座る。
 わずかに沈黙が流れ、お互いの呼吸だけが響いた。タイガはバスケをしているだけあって、すぐに体力が回復したらしく呼吸もさほど荒くない。一方わたしは、ストリートバスケに向かうときにも走っていたため、体力の減りようがひどい。昔はあれだけ走り回っていたのに。体中のいたる所が悲鳴を上げて、舌打ちをしたくなった。
 背中にあたたかな何かが触れた。タイガの、手だ。大きなそれはわたしに安心感を与え、呼吸を穏やかにさせる。その瞳は慈しみに溢れていて、気を抜いたら口元が緩んでしまいそうだ。
「タイガ。おかえりなさい」
「ただいま…つっても、一時的だけどな」
「そうなの?」
「ああ。日本でもうすぐでっかい大会が始まるからな」
「そのために帰ってきたの?」
「おう」
「ふふ。……タイガらしいね」
「……こんな形になっちまったけど、お前に会えて嬉しいぜ」
 にかりと白い歯を見せてタイガは笑う。その笑い方も、変わってない。身長が伸びて、声が一段と低くなって、タイガに似た他人みたいだと思ったけど、そんなことない。正真正銘、本物のタイガだ。
 目頭が熱くなったような気がして、瞼を固く瞑るとタイガが頭を撫でてくれた。
「…タイガはおっきくなったね。声も低くなってるし」
「お前は…むしろ縮んだんじゃねえの?」
「そんなわけないじゃない!」
「あと、髪が伸びたな」
 タイガの無骨な手がわたしの髪に触れ、すいていく。「髪さらさらだな」と呟く彼に、ちゃんと髪のお手入れをしておいてよかったと思う。髪を巻き込んで首筋に、タイガの唇が触れる。あまり長くない睫毛も、薄い唇もやけに色っぽくて思わず目をそらした。照れているのだと悟られぬように、頭のてっぺんにそっとキスを落とした。
 いつ日本に戻るのか。そう問うともう少ししたら、と曖昧な答えが返ってきて唇を尖らせた。もう少し、とは一体どれくらいだろう。タイガの基準はよくわからないから、考えるだけ無駄だろう。しかし別れはすぐにやってくるのだということは分かった。不思議と、悲しくはない。それだけ成長したのかもしれない。身体的にも、精神的にも。
「そっか。また行ってらっしゃいか」
「…そうだな」
「また、おかえりって言われるために帰ってきてね」
「おう!」
 そのときはいっぱいお土産話もよろしくね、と笑った。

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