できた子ども
「ちちうえ…」
ひどく弱々しい声に呼ばれ、曹丕は扉の方を見やる。
そこには今にも泣き出しそうな顔をした幼い長男が佇んでいた。
曹丕の長男、曹叡はこの歳の子どもとしてはかなり聡く、聞き分けの良い子だった。
叱られるようなこともしなければ、わがままを言って泣きわめくこともない、至って手のかからない子ども。
故に曹丕は曹叡が何故こんな顔で自分を訪ねてきたのか計りかねていた。
「…どうした、叡。」
なるべく穏やかな表情を作って問いかけてみる。
…ちゃんと穏やかな顔に見えているかは甚だ疑問だが。(曹丕は無愛想な仏頂面が平常なのだ)
「おひるねしていたら、怖いゆめをみたのです…起きても誰もいなくて、それでっ……」
ひっく、としゃくりあげる曹叡。それまで堪えていたのであろう涙が大粒の滴となってぼろぼろと零れた。
大方、曹叡は世話のかからない子だからとお守り役の侍女が一時的にその場を離れていた間に、目を覚ましてしまったのだろう。
しかし利口とはいえ曹叡はまだ幼い子供だ。こういうこともあるのだから侍女は2人以上必要であろう…などと考えながら部屋の戸口に立つ曹叡の元へ歩み寄り、抱え上げる。
いつもは利発な顔をしていて大人びて見えるが、涙目で鼻を赤くしていると年相応の幼児だ。
「何故私の書斎に来たのだ?
お前の寝ていた部屋の近くに甄はいなかったのか。」
ふと気になったことを訊くと、曹叡はぐすぐす言いながらもはっきりと答えた。
「ははうえは、いそがしくてお疲れだろうと思ったのです…。」
前言撤回。
どんな顔をしていようと曹叡の精神は幼児ではない。
確かに曹丕の妻、甄姫は数ヶ月前生まれたばかりの長女につきっきりで世話をしており慌ただしい生活をしている。侍女がいるとは言え、長男と違い長女はなかなか手間のかかる子の様だ。
あやす人間が母親以外だとさらに機嫌が悪くなることも日常茶飯事らしい。
昨夜は特に寝つきが悪かったのか、今朝の甄姫はいつものはつらつとした雰囲気は消え失せ、どことなく顔色も優れなかった。
とは言っても、甄姫もできた母親である。曹叡に対しては疲労の色をひた隠しいつもと同じ明るい振る舞いをしていた。
しかし、曹叡はその振る舞いの奥の疲れや苦労を見抜き、怖い夢を見ても母親に世話を焼かせまいと気を回して動いたのである。
涙目だろうと鼻を赤くしていようとこの子は下手な大人よりも大人だと曹丕は思い知らされた。
「すー…すー…」
曹叡を抱えて部屋を歩きまわりながらうだうだと考えていたら、気づけば腕の中の子どもはまた寝息を立て始めていた。
「まったく、本当に手のかからん子どもだな。」
ここまでくると逆に呆れる、と呟く曹丕は、しかし優しげな笑みを浮かべ我が子を見つめていた。
fin
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