ぼくも、いつかきっと


がばっ。

曹叡は恐ろしい夢に起こされた。

ばくばくと忙しなく脈打つ鼓動。

治まらない冷や汗。

大きく立派な寝台の真ん中に自分1人。
だだっ広い部屋には先ほどまでいたはずの侍女はおらず、曹叡は泣きそうになった。

とりあえず、寝台から降りる。窓からは春先のうららかな日差しが室内に注いでいたが、そっと裸足を降ろした床はひんやりとしていた。

誰かに会いたい、この恐ろしさを薄めてもらいたい…と廊下に出てみたが、そこに人の姿は見えなかった。
隣の部屋には母が妹と居るはずだと、そちらに足を向けかけ、思いとどまる。

今朝の母親は明るく振る舞ってはいたが、妹の世話による疲れの色が滲んでいた。
そんな母親にすがって世話をかける訳にはいかない。

自分は強く誇り高い曹家の男なのだ。それくらいの判断もつかなくては父や祖父に呆れられてしまう…。

そんなのは嫌だ、と曹叡は頭を振り、進行方向を転換する。
母以外の頼れる人間で、曹叡が迷わずに居室に行ける人間は父だけだった。

ひたひたと、裸足のまま出来るだけ早足で歩き出す。
皆自分の執務室で仕事をこなしているのだろう。長い廊下だがほとんど人を見かけない。

曹叡の脳裏に先ほどの悪夢が浮かぶ。





夢の中で、曹叡は日が落ちきる寸前の薄闇の回廊に立っていた。

ついさっきまで自分の側には両親が居た気がするのに、曹叡は独りで立っていた。

言い様のない不安に襲われて振り返ってみると、そこには真っ黒な闇が口を開けている。

その闇を見つめていたら気が狂いそうな感覚に陥って咄嗟に目線を落とすと、銀色だったはずの自分の髪はいつの間にか目の前の闇と同じ、真っ黒に染まっていた。
声にならない悲鳴を上げながら髪に手を伸ばしたが、その手は髪に触れる前に静止する。

手のひらもまた、墨を溢したようにどす黒く汚れていたのだ。

気づけば、足元まで闇が迫っていた。

慌てて逃れようとするが既に遅く、曹叡はなすすべなく闇に呑まれる。

闇の中で誰かがこちらに向かって笑っている気がした。

誰なのかはわからないが、とてもおぞましい感じがした。






その後曹叡は飛び起きたのである。

独りで歩く不安感からか、悪夢の内容をまざまざと思い出してしまい、曹叡はまた泣きそうになる。

ちょうどその時父である曹丕の書斎にたどり着いた。
そっと扉を開けると、奥の机に向かって座る曹丕の背中が見えてほんの少し安堵する。

「ちちうえ…」

小さな声で呼びかける。
曹丕はそれで初めて曹叡に気づいた様で、少し驚いた顔でこちらを振り返った。
今の自分はきっと大層情けない顔をしてるに違いないと思いながら立ちすくんでいたら、父にどうしたのか訊かれた。
説明しようと口を開くとそれまで堪えていた涙が溢れた。
泣きたくないのに、勝手に涙が頬を濡らす。
このままでは父上に呆れられてしまう…と途方に暮れかけた時、ふわりと抱き上げられた。

父はどうやら呆れても怒ってもいない様だった。
なぜ母のところでなく私を訪ねたのか、と訊かれたから素直に部屋を出た時の考えを伝えた。
父はまたも少し驚いた顔をしていた。

その後のことはあまり憶えていない。

父が優しく背中をさすってくれていた為か恐ろしい夢の記憶はすっかり影を潜めていた。


目を覚ますと自分の寝台にいた。
それ以降は曹叡の周りには常に2人以上の侍女が控えている様になり、昼寝から目を覚ましたら部屋に1人だったなどということもなくなった。(それまでは曹叡につく侍女は1人というのが常だったので曹叡は不思議に思った)

けれど、今はもう例え独りでも、怖い夢を見ても自分は大丈夫だと曹叡は感じていた。

大きくて少し不器用な手のぬくもりが、いつも背中を抱いていてくれる様な気がするから。


fin




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